岡崎久彦
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岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年4月8日 - )は外交評論家、NPO法人岡崎研究所所長、新しい歴史教科書をつくる会賛同者。田久保忠衛、古森義久らとともに親米保守派の代表的評論家の一人である。アングロサクソンとの協調こそが日本の国益につながると一貫して主張しているが、「媚米派」と印象攻撃されることが多い。また、自ら本を出すなど気功に傾倒している。
タイ大使の任期終了直前に、タイ国軍によるクーデターに遭遇した際、邦人保護業務を怠って自身の送別麻雀大会を館員と行なっていたと批判された。
祖父は大正時代に立憲政友会の幹部として活躍した和歌山県出身の政治家岡崎邦輔。関東州・大連生まれ。東京大学法学部在学中に外務省試験に合格し、中退入省。ケンブリッジ大学留学を経て、防衛庁参事官、外務省の調査企画部長、情報調査局長、駐米公使、在サウジアラビア大使、在泰大使を歴任。1992年に退官し、博報堂や千代田化工の特別顧問を務める。
1977年、『隣の国で考えたこと』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 1981年、『国家と情報』でサントリー学芸賞を受賞。第11回正論大賞受賞。
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[編集] 略歴
- 1952年 外務省入省
- 1955年 ケンブリッジ大学経済学部学士及び修士課程修了
- 1978年 防衛庁国際関係担当参事官
- 1981年 ジョージタウン大学戦略国際問題研究所客員フェロー
- 1982年 外務省調査企画部長
- 1984年 外務省情報調査局初代局長
- 同年10月 在サウジアラビア大使
- 1988年 在タイ大使
- 1992年 外務省退官、博報堂特別顧問
- 2002年10月 岡崎研究所創設
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『緊張緩和外交』(日本国際問題研究所, 1971年)
- 『隣の国で考えたこと』(日本経済新聞社, 1977年)
- 『国家と情報――日本の外交戦略を求めて』(文藝春秋, 1980年)
- 『戦略的思考とは何か』(中央公論社[中公新書], 1983年)
- 『陸奥宗光(上・下)』(PHP研究所, 1987年)
- 『歴史と戦略について――情報・戦略論ノート』(PHP研究所, 1990年)
- 『繁栄と衰退と――オランダ史に日本が見える』(文藝春秋, 1991年)
- 『新しいアジアへの大戦略――日本発展のビジョン』(読売新聞社, 1993年)
- 『国際情勢の見方』(新潮社, 1994年)
- 『悔恨の世紀から希望の世紀へ』(PHP研究所, 1994年)
- 『国際情勢判断――歴史の教訓・戦略の哲学』(PHP研究所, 1996年)
- 『国家は誰が守るのか』(徳間書店, 1997年)
- 『小村寿太郎とその時代』(PHP研究所, 1998年)
- 『自分の国を愛するということ――21世紀の日本の戦略的進路』(海竜社, 1999年)
- 『情勢判断の鉄則――21世紀の世界と日本の選択』(PHP研究所, 1999年)
- 『幣原喜重郎とその時代』(PHP研究所, 2000年)
- 『日本外交の分水嶺――日米韓体制が築くアジアの平和』(PHP研究所, 2000年)
- 『日本は希望の新世紀を迎えられるか――悔恨の20世紀を越えて』(広済堂出版, 2000年)
- 『なぜ気功は効くのか』(海竜社, 2000年)
- 『アジアにも半世紀の平和を――情報戦略論ノート1999‐2000』(PHP研究所, 2001年)
- 『重光・東郷とその時代』(PHP研究所, 2001年)
- 『吉田茂とその時代――敗戦とは』(PHP研究所, 2002年)
- 『岡崎久彦の情報戦略のすべて』(PHP研究所, 2002年)
- 『運命の10年――柳条湖から真珠湾へ』(産経新聞ニュースサービス, 2002年)
- 『百年の遺産――日本の近代外交史73話』(産経新聞ニュースサービス, 2002年)
- 『日本外交の情報戦略』(PHP研究所[PHP新書], 2003年)
- 『どこで日本人の歴史観は歪んだのか』(海竜社, 2003年)
- 『教養のすすめ――明治の知の巨人に学ぶ』(青春出版社, 2005年)
- 『国家戦略からみた靖国問題――日本外交の正念場』(PHP研究所[PHP新書], 2005年)
[編集] 共著
- (佐藤誠三郎・西村繁樹)『日米同盟と日本の戦略――アメリカを見誤ってはならない』(PHP研究所, 1991年)
- (藤井昭彦・横田順子)『クーデターの政治学――政治の天才の国タイ』(中央公論社[中公新書], 1993年)
- (中嶋嶺雄)『日本にアジア戦略はあるのか――幻想の中国・有事の極東』(PHP研究所, 1996年)
- (渡部昇一)『賢者は歴史に学ぶ――日本が「尊敬される国」となるために』(クレスト社, 1997年)
- (長谷川慶太郎)『中国発の危機と日本――見えてきた中国の危うい未来』(徳間書店, 1998年)
- (佐藤誠三郎)『日本の失敗と成功――近代160年の教訓』(扶桑社, 2000年)
- (渡部昇一)『国のつくり方――明治維新人物学』(致知出版社, 2000年)
- (渡辺利夫・江畑謙介・中嶋嶺雄・小島朋之)『「台湾問題」の先にある日本の危機――緊急提言田中真紀子外相に捧ぐ』(ビジネス社, 2001年)
- (阿川尚之)『対論・日本とアメリカ』(広済堂出版, 2002年)
- (渡部昇一)『尊敬される国民 品格ある国家』(ワック, 2002年)
- (古森義久)『アメリカン・ショック――日本に残された時間は、あと2年!』(ビジネス社, 2002年)
- (安倍晋三)『この国を守る決意』(扶桑社, 2004年)
[編集] 編著
- 『歴史の教訓――日本外交・失敗の本質と21世紀の国家戦略』(PHP研究所, 2005年)
[編集] 共編著
[編集] 訳書
- ハミルトン・フィッシュ『日米・開戦の悲劇――誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP研究所, 1992年)
- ヘンリー・A・キッシンジャー『外交(上・下)』(日本経済新聞社, 1996年)
[編集] 「新しい歴史教科書をつくる会」教科書への執筆
2005年検定合格版の教科書の執筆に参加し、旧版の記述のうち、反米的な箇所をすべて削除し書き換えたとテレビで発言している。西尾幹二は自分の担当した箇所を断りなく書き換えられたことについて、担当した岡崎やそれを認めた藤岡らに不信感を募らせ、会の離脱に至ったと述べている。
[編集] 靖国問題
2006年8月24日の産経新聞朝刊「正論」欄に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と題した記事を掲載、この記事で、遊就館の展示説明の論理性を求めている。主張の内容は遊就館の展示中にある、「アメリカが不況の脱却のために資源の乏しい日本を経済制裁により戦争に追い込み、これによりアメリカ経済は回復した」という旨の主張が不適切だというものである。
- なお、翌日の産経新聞の記事によると靖国神社も同年4月より展示の当該部分の修正を検討し岡崎氏に指摘を願い出ており、7月から内容の見直し作業に入ったとしている。
- アメリカ下院国際関係委員会委員長であるヘンリー・ハイド共和党議員も2006年9月14日の同委員会公聴会で遊就館の展示内容を日本を西洋帝国主義からの解放者のように教えるものとして批判している[1]。
[編集] 脚注
- ↑ アメリカ下院国際関係委員会公聴会およびこの中にある ハイド氏の発言のpp. 9--10。
[編集] 関連人物
- 阿久津博康 (岡崎研究所主任研究員)
[編集] 外部リンク
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