山梨県立甲府第一高等学校
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山梨県立甲府第一高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 寛政年間(徽典館) |
建学の精神 | 質実剛健 |
校是 | Boys be ambitious |
共学・別学 | 男女共学 |
制服 | あり |
教育課程の特例 | スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール (文部科学省) 2004年度~ |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科、英語科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒400-0007 |
山梨県甲府市美咲2-13-44 | |
電話番号 | 055-253-3525 |
FAX番号 | 055-253-3527 |
外部リンク |
山梨県立甲府第一高等学校(やまなしけんりつこうふだいいちこうとうがっこう)は、山梨県甲府市中心部にある高等学校である。普通科と英語科を設置。山梨県一の伝統校で、地元では「一高」(いちこう)と略称される。
目次 |
[編集] 概要
- 総合選抜が行われる前は県内屈指の進学校であり、多くの有名大学へ卒業生を輩出している。指定校推薦が多い。英語科は競争率が高く難関であり、通称は「一英」(いちえい)。
- 毎年秋に行われる「強行遠足」が有名である。
- 県下で唯一「生徒自治会」が存在し、生徒自らが生徒会活動を運営していく体制がとられている。生徒自治会は、平成18年度現在60代続いており、生徒会行事を先導する生徒会本部役員は全学年で毎年平均60名が所属する組織である。
- 本校OBによって結成された「鶴城クラブ」がJ1ヴァンフォーレ甲府の前身である。
[編集] 沿革
寛政年間甲府城南の地に設置された甲府学問所を前身とする官学徽典館(きてんかん)に淵源する。
- 1873年5月 - 開智学校に改称。
- 1874年3月 - 師範講習学校に改称。
- 1875年3月 - 山梨県師範学校に改称。
- 1877年7月 - 師範学校内に中学予備学科を設置。
- 1880年10月 - 「中学教則」の制定に基づき、山梨県中学校が師範学校内に併設。
- 1881年8月 - 師範・中学の両校合併、山梨学校に改称。
- 1882年10月 - 徽典館と改称,師範学科、初等中学科を設置。
- 1887年3月 - 山梨県尋常中学校が発足。
- 1888年1月 - 徽典館女教場を改修して、山梨県尋常中学校の校舎とする。
- 1890年4月 - 尋常中学校第1回卒業式を挙行。
- 1899年4月 - 「中学校令」改正に伴い、山梨県中学校と改称する。
- 1900年4月 - 甲府城内に新築移転。
- 1901年4月 - 山梨県第二中学校の設立に伴い、山梨県第一中学校と改称し、さらに同月県立山梨県第一中学校と改める。
- 1906年6月 - 山梨県立甲府中学校に改称。
- 1924年11月 - 第1回強行遠足を実施する。
- 1928年7月 - 西山梨郡千塚村(現在地)に新校舎竣工、移転する。
- 1948年4月 - 学制改革により、山梨県立甲府第一高等学校に改称。
- 1968年3月 - 甲府学区普通科(甲府一高と甲府南高)での総合選抜(制度)を実施。
- 1975年 - 甲府二高、甲府南高との3校間で総合選抜を実施。
- 1977年 - 甲府西高、甲府南高、甲府東高との4校間で総合選抜を実施。
- 1980年10月 - 創立100周年記念式典を挙行する。
- 1984年 - 甲府西高、甲府南高、甲府東高、甲府昭和高との5校間で総合選抜を実施。
- 1991年4月 - 英語科を設置。
- 2006年4月 - 3学期制から2学期制へと移行。
[編集] 應援團
應援團は1887年(明治20年)をその起源とし、1948年(昭和23年)学制改革のため山梨県立甲府第一高等学校と改称した際に、山梨県立甲府第一高等学校應援團となった。應援團は1887年(明治20年)をその起源とし、1948年(昭和23年)学制改革のため山梨県立甲府第一高等学校と改称した際に、山梨県立甲府第一高等学校應援團となった。應援團は県内随一の伝統ある應援團として山梨県内にその名を轟かせている。甲府一高應援團は、生徒自治会本部直属機関であり、應援團と應援團吹奏楽部からなる。また、補助機関として応援委員会がある。
應援團は團長を頂点として、副團長・旗手長・鼓手長をはじめとする幹部と1・2年生の團員で構成されている。吹奏楽部には部長・指揮のほかに各パートのリーダーがいる。吹奏楽部を擁する高校応援団は全国的にも珍しい。しかも、発足当初は女子の入部が禁じられていた。 「鶴城に」「希望の光」などの伝統のある應援歌がある。1995年(平成7年)より援舞発表会「団旗の下に」が毎年行われていて、團員は日夜練習に励んでいる。
團長は伝統に則った羽織袴に高下駄姿、團員は漆黒の詰襟学生服を身に纏う。この学生服は単なる学生服ではなく、右裾に紅く「甲府一高応援団」の刺繍も眩しい特注の團服である。幹部は高下駄を履いて闊歩しているが、一般の團員は普通の下駄しか履くことが許されていない。
また、團員が左腕に装着している深紅の腕章は、旧制甲府中学時代に級長が佩用していた袖章の伝統を受け継ぐものであり、金色の校章に白字で「甲府一高応援団」の文字が縫い取られている。
應援團は新入生に対して3日間行われる応援練習を指導する。
しかし最近では部員の少数化が進み、現在團員は三名となってしまった。 團員の少数化に伴い、應援團への在校生の敬意などが皆無となってきている。
[編集] 設置学科
[編集] 強行遠足
- 毎年10月始めに行われている行事で、遠足という名だが強歩大会である。
- かつては24時間以内に甲府-松本間を走りきるというものであった。松本がゴールであるが、その先まで自力で進むことができ、日本海を見てきた生徒がいるという逸話が残っている。
- その後甲府-小諸間を約22時間(103km~105km、コースは毎年微妙に変化)に落ち着いた。女子は須玉~小海間(約40km)であった。
- 中継地点の臼田には強行遠足名物、臼田のおばあちゃんがいて自家製のリンゴを提供していた。平成18年2月24日おばあちゃんが亡くなり、話を聞いた同窓生には告別式に参加した人もいる。
- 2002年、小海手前にて酒酔い運転の車が女子生徒に突っ込み、1名が死亡した。翌2003年度からは距離、所要時間ともに縮められてしまった。事故を起こした被疑者は危険運転致死罪が適用された最初の被疑者である。
- 現在のコースは、男子が甲府-野辺山間を11時間(53km〜56km)、女子は須玉-野辺山間を7時間30分(30〜31km)である。
- 同じ名前の強行遠足を実施している北海道北見北斗高等学校とは交流があり、互いに選手を数名派遣している。
[編集] 著名卒業生
- 石橋湛山 - 第55代内閣総理大臣
- 飯田蛇笏 - 俳人
- 飯田龍太 - 俳人
- 木々高太郎 - 直木賞作家
- 堀内光雄 - 衆議院議員(山梨2区選出)、前自民党総務会長、富士急行会長
- 赤池誠章 - 衆議院議員(比例代表南関東ブロック選出)、自民党所属
- 後藤斎 - 衆議院議員(比例代表南関東ブロック選出)、民主党所属
- 五味文彦 - 歴史学者
- 三神吾朗 - 日本初のプロ野球選手
- 武内直子 - 漫画家
- 中沢新一 - 宗教学者
- 望月春江 - 日本画家
- 内藤多仲 - 建築構造学者・東京タワー設計
- 小林中 - 開発銀行総裁・アラビア石油社長など
- 中尾栄一 - 元衆議院議員・元建設相
- 成島出 - 映画監督
- DJ-TOSHI - ラッパ我リヤ
- 古今亭寿輔 - 落語家
- 加藤信吾 - 鈴鹿の8耐で2位入賞
- 小田かおる - 元ミス日本、日活ロマンポルノ女優
- HISAMI - 元 ZOO
- 清水真理子 - 演歌歌手
- 筒井真理子 - 女優
- 保坂正紀 - 元テレビ朝日アナウンサー
- 山本栄彦 - 山梨県知事
- 井上幸彦 - 第80代警視総監
- 辻信太郎 - (株)サンリオ 代表取締役社長
- 今村均 - 陸軍大将・のち新発田中学へ転校
- 土屋裕一 - 俳優