詰襟
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詰襟(つめえり)とは、衣服から垂直に立ち、首のまわりを筒状に覆うようになっており、襟の前をホックや紐などで締めて着用するタイプの襟をいう(⇔「開襟」)。襟の仕立て方によって立襟と折襟に大別される。
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[編集] 歴史
詰襟はもともと、近世以来の欧州で、軍人や官僚などの制服として広く用いられた。また、中国大陸では、満州族がその民族衣装の旗袍が詰襟を用いていた。そのもともとの機能は、頚部の保護ないし保温ではなかったかと思われる。
日本でも明治初期に、欧州から詰襟の洋服が導入され、ひろく軍人、官僚、警察官、鉄道員、教員などの制服として採用された。だが、まず昭和13年に陸軍の軍服がドイツ式立折襟のものに変更され、その他はいずれも日本の敗戦をおもな契機として背広型に変更された。社会人が着用した詰襟として最も遅くまで残っていたのは、関西地区の鉄道員であろうが、これも1980年代はじめごろまでには背広型に変更された。
[編集] 学生服としての詰襟
今日まで日本で広く詰襟が残っているのは、男子学生服としての利用である。これは、もともと明治期に海軍士官型の制服が東京帝国大学や学習院などで採用されたのが始まりで、その後、小中学校にまでひろく普及した。フランスないしプロイセン(現在のドイツの一部)など欧州の軍服に範を採ったものであり、軍事教練等とおなじく、青少年期から日本を支える軍国少年として規律ある思想を身につけさせる教育の一環であった。
だが、日本の敗戦後に日本の非軍事化を図り、教育勅語の廃止など数々の教育改革を行った連合軍は、なぜか詰襟学生服を禁止せず、それは戦後も日本の学校教育の中に生き延びた。韓国でも、1980年代初め頃までは、日本と同様の詰襟学生服が着用されていた。女子中学・高校生の制服としては、香港の伝統ある名門校を中心に、旗袍をかたどった詰襟の制服がみられる。また、旧南ベトナムを中心に女子中学・高校で着用されるアオザイ型制服も、詰襟制服の例といえないこともない。
[編集] 詰襟学生服の衰退と意味の変化
1960年中期ころまでに大学生の詰襟学生服姿は姿を消した。学園紛争を大学生の私服化の契機とするという見方もあるが、それ以前に私服化は進んでおり誤解である。ただ高等学校においての服装自由化は学園紛争の影響よるところが大きい。1970年頃、生徒の要求によって制服自由化を認める学校が現れてきた。この頃詰襟は、民主主義と主体性を求める生徒の運動によって、徐々に衰退していった。
1980年代に入ると、生徒獲得競争に励む私立学校や中堅から底辺レベルの公立高校を中心に、より魅力的なブレザー型にモデルチェンジし、それを売り物に生徒を獲得して学校経営の安定をはかろうと傾向が台頭した。この時期には学校が競争と経営を重視することにより、詰襟が衰退したといえる。
また、公立中学校は生徒獲得競争の必要がないが、公立の義務教育で制服を強制する行為自体が批判され、その結果、より動きやすいブレザーにするという妥協策がとられて、ここでも詰襟が衰退していった。
その上、折しも一部学校が荒れ放題だった80年代、一部学校では荒れるに従い改造制服が横行したため、制服を改造しにくいブレザーへと変更したという側面もある。
今日まで詰襟の制服が比較的よく維持されているのは、主に、歴史の古い私立学校と旧制中学の伝統を汲む公立の伝統進学校である。ここでは、学園紛争時に自由化されたのでない限り、制服自体が伝統とアイデンティティの象徴となっている。
[編集] 詰襟学生服の型
中学・高校生用の詰襟の学生服の標準的な型については詳細な規定があり、襟の高さが背面で4cm、前面で3.5cm程度である。ただし、大学の応援団員や、一部の高校生には、襟がこれより高い学生服を着ている者もみられる。他方、慶應義塾大学やその一貫教育校では、襟の高さが3.5cmで、標準より5mm低い。
一般に、襟元を鈎ホック2個でとめ、襟に白いプラスチック製のカラーと呼ばれる板を装着する。
詰襟のサイズは、かつて首まわりにピッタリ合うのがよいとされたが、着用感がたいへん窮屈なので、1960年代には襟に指1本程度はいるサイズ、さらに最近は首まわりより4cm大きめというように、しだいに首まわりに対し緩くなってきた。
学校によっては、校則に従い、襟の左右に校章や学年章などを装着させている。生地の色は一般に黒であるが、紺色や、まれに灰色などを採用する学校もある。また、海軍士官型の制服では、襟に黒い蛇腹のヘリトリで装飾を加える例もある。
元来詰襟は首まわりの着用感がかなり窮屈であるうえ、伸び盛りの中学・高校生にはすぐに襟のサイズがきつくなる。そこで最近はプラスチックカラーを省略し、襟の前を丸くしホックを1個とし、着用感に配慮したラウンドカラーと呼ばれるタイプも着用されるようになった。だが、これは襟の内側が生徒の首の素肌に直接触れるため汗や垢で不潔になりやすく、堅いカラーで補強されないため襟芯がよれよれになりがちなど、従来型と比べた別の大きな欠陥がある。このため、ラウンドカラーを規定で採用しないか、生徒にこれの着用を勧めていない学校も多い。
[編集] 詰襟と生徒管理
生徒指導上は、詰襟をきちんと着用するよう生徒に要求することで、社会の規律に従うという価値観を生徒の中に養うことができる。これは、出身者が工場などの労働者になった1960年代までの公立中学や職業高校などでは、重要な価値観だった。また、スパルタ教育で急速に進学実績を上げた私立高校でも、規律駄々しい心構えを養うことで、多少の苦しさにも耐えられる勉強への真剣な姿勢を培う指導がなされた。生徒が詰襟がきついと苦情めいたことをもらすと「学校で決められた規則に生徒はあれこれ文句を言うものではない」「批判するよりまず生徒としての義務を果たせ」「規則を守れないのは、不良の始まりだ」といった指導が加えられた。これに従順に従い、窮屈さに耐えてでも詰襟をきちんと着用した生徒もいる一方で、このような生徒指導に反発し、これ見よがしにわざと襟のホックを外したままにして制服を着る者もあった。
だが最近は、子どもの権利条約とのかかわりで、窮屈なカラーなど子供に身体的な苦痛を与える服装の強制を望ましくないとする考え方が強まり、学校側でも、襟のホックをはずしたまま着ることを許容する傾向が強まった。香港では校則が一般に日本より厳格だが、それでも旗袍の詰襟ホックを外したままにする女子中学・高校生が次第に増えてきている。