大石正光
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大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )は、日本の政治家。現参議院議員、元衆議院議員。
生年月日 | 1945年1月28日 |
出身地 | 宮城県仙台市 |
最終学歴 | 立教大学文学部史学科卒業 |
前職 | 会社員 議員秘書 |
役職 | 参議院国際問題調査会委員 参議院沖縄北方問題特別委員会委員 参議院環境委員会委員 |
世襲の有無 | 世襲 父、大石武一、祖父、大石倫治 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回(衆議院議員5回) |
所属党派 | (自由民主党→) (改革の会→) (新進党→) (無所属→) 民主党 |
党の役職 | ─党宮城総支部連合会副代表 |
会館号室 | 参議院議員会館342号室 |
ウェブサイト | ─ |
昭和20年(1945年)1月28日宮城県仙台市に大石武一の長男として生まれる。父、大石武一は、東北大学助教授(医学博士)を経て、衆議院議員、参議院議員となり、農林大臣、初代環境庁長官を勤めた文人政治家。祖父大石倫治も立憲政友会、自由党、民主自由党所属の衆議院議員。
私立暁星高等学校を経て、昭和44年(1969年)立教大学文学部史学科を卒業する。アメリカに留学し、フィットワース大学政治学部で学ぶ。国土計画(現プリンスホテル)勤務を経て、父の秘書となり、父が農相に就任した際は政務秘書官を務める。昭和61年(1986年)第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、当選する。通算5期。自民党では、父が所属し、自身が秘書であった関係から中曽根派)に所属する。中曽根後は、渡辺美智雄派に所属する。平成5年(1993年)自民党を離党し、平成6年(1994年)西岡武夫らと、改革の会を結成し、さらに海部俊樹元首相支持グループとして自由改革連合に所属する。同年12月新進党結成に参加。平成8年(1996年)第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で小選挙区宮城6区から立候補し落選する。その後、自民党の現職・菊池福治郎の秘書の長男が買収容疑で公職選挙法違反となり、連座制が適用され、議員を辞職したされたのを機会に新進党を離党し、自民党に復党を要請するも拒否される。結局、平成9年(1997年)衆議院宮城6区補欠選挙は無所属で立候補するが、自民党の新人・小野寺五典に敗れる。しかし、小野寺五典が公職選挙法違反で書類送検(後、議員辞職)され、平成12年(2000年)再度行われた衆議院宮城6区補欠選挙で民主党公認で当選。平成15年(2003年)第43回衆議院議員総選挙で再び小野寺五典に敗れ落選する。
平成16年(2004年)参議院議員通常選挙で比例区から立候補し、当選する。非拘束名簿式比例代表制が導入されて2度目となる、この参議院選挙では、俗に「地域型」と呼ばれる地域に地盤を持つ元衆議院議員などが当選し注目を浴びるが、大石もこのパターンである。
平成17年(2005年)9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙では、民主党は、県内で唯一、宮城6区に候補者を擁立しなかったが、大石の意向があったとされる。