西岡武夫
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西岡 武夫(にしおか たけお、昭和11年(1936年)2月12日 - )は、日本の政治家。現参議院議員(1期)。元衆議院議員(11期)。
新自由クラブ幹事長、文部大臣、自民党総務会長、新進党幹事長などを歴任。
生年月日 | 昭和11年(1936年)2月12日 |
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出生地 | 長崎県長崎市 |
出身校 | 早稲田大学卒業 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 衆議院議員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
参・国家基本政策委員会委員 参・文教科学委員会委員 |
世襲の有無 | 2世 父・西岡竹次郎 (衆議院議員、長崎県知事) 母・西岡ハル |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例区 |
当選回数 | 1回(衆11回) |
所属党派(現在) | 民主党(小沢グループ) |
党役職(現在) | 顧問 長崎県総支部連合会特別代表 |
会館部屋番号 | 参・議員会館542号室 |
ウェブサイト | 西岡武夫ホームページ |
目次 |
[編集] 概要
[編集] 出生 - 自民党議員
昭和11年(1936年)2月12日長崎県長崎市に生まれる。早稲田大学教育学部に入学。早大在学中より長崎民友新聞の経営に携わる。 昭和33年(1958年)早大を卒業。昭和34年(1959年)長崎日々新聞社と合併し、長崎新聞社を発足させる。長崎新聞社では、常務取締役社長室長、論説委員などを歴任し、長崎青年会議所広報委員長、長崎県青年団連合会会長(初代)なども務め、長崎の若手経済人として活動する。
昭和38年(1963年)第30回衆議院議員総選挙に自由民主党(以下、自民党)公認で立候補し、当選する。自民党青年局長、文教部会長をつとめていた。
[編集] 新自由クラブ
ロッキード事件を期に、河野洋平・田川誠一・山口敏夫・小林正巳各衆議院議員、有田一寿参議院議員と共に自民党を離党。昭和51年(1976年)6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結成、西岡は幹事長に就任した。新自由クラブは、結成直後の第34回衆議院議員総選挙で、自民党に不満を持っていた保守層の受け皿になる形で、一挙に17人を当選(さらに追加公認1人)させた。しかし、政策、政治姿勢をめぐり、野党として革新にも配慮を示す河野と、あくまで保守主義を念頭に置く西岡との間に亀裂が生じ、昭和54年(1979年)7月西岡は新自由クラブを離党。昭和55年(1980年)12月自民党に復党したが、昭和58年(1983年)12月の総選挙では落選。
[編集] 自民党議員 - 新進党
昭和61年総選挙で返り咲き。宏池会に所属し、文教族としてキャリアを積み、昭和63年(1988年)竹下改造内閣で文部大臣として初入閣した。宇野宗佑内閣でも文相に留任した。1989年(平成元年)海部俊樹内閣で消費税の見直しが求められ、自民党税制調査会長の山中貞則が辞任、後任の税制調査会長に就任する。平成2年(1990年)2月第2次海部内閣で自民党総務会長に就任し、党三役入りする。幹事長は竹下派の小沢一郎、政務調査会長は安倍派の加藤六月であった。のちに三人は自民党を離党するが、この時期に強い関係ができたと思われる。また、西岡は、党三役として海部を補佐し、総務会の運営をするが、自身が所属する宮沢派(宏池会)から離脱する。
海部内閣が総辞職した後、海部を会長とする政治改革推進協議会を自民党に結成する。平成5年(1993年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党から立候補し当選するが、政治改革推進派として執行部批判を強め、梶山静六幹事長が党内の混乱を収拾するために「結束前進の会」を作ろうとしたときはこれを「屋上屋を架すもの」と批判した。結局、西岡は同年12月自民党を再び離党。院内会派「改革の会」~自由改革連合事務局長経て、翌平成6年(1994年)新進党結党に参画し、海部党首実現に動く。国会対策委員長、幹事長を歴任。小沢一郎を補佐するが、新進党解党
[編集] 自由党 - 現在
- 平成10年(1998年)1月、自由党を結成し副党首に就任。同年2月の長崎県知事選挙に党内の慎重意見を抑えて出馬するも落選する。
- 平成13年(2001年)7月、第19回参議院議員通常選挙に比例区(自由党)で当選し国政復帰、党参議院議員会長、参院会派「国会改革連絡会(自由党・無所属の会)」代表をつとめる。
- 平成15年(2003年)、民主党との合流が決定すると、当初不参加の姿勢を示した。しかし最終的には参加を決断し、参院会派「民主党・新緑風会」常任役員・顧問に就任した。
- 平成18年(2006年)、皇位継承問題で、皇室典範改正に慎重な立場を明らかにし、党内の保守系議員を中心に「皇室典範改正を慎重に考える会」を結成し会長となった。
[編集] 経歴
- 昭和38年(1963年)
- 11月 第30回衆議院議員総選挙(旧・長崎1区)に無所属で出馬・4位当選(21日)
- 平成5年(1993年)
- 7月 第40回衆議院議員総選挙に自民党から出馬・1位当選(10期目)(18日)
- 平成8年(1996年)
- 10月 第41回衆議院議員総選挙(長崎1区)に新進党から出馬・当選(11期目)(20日)
- 平成9年(1997年)
- 12月 新進党解散(27日)
- 平成10年(1998年)
- 1月 自由党結成、副党首に就任
- 2月 長崎県知事選挙に無所属で出馬・落選
- 平成12年(2000年)
- 6月 第42回衆議院議員総選挙に自由党から出馬・落選(25日)
- 平成13年(2001年)
- 7月 第19回参議院議員通常選挙(比例区)に自由党から出馬・当選(29日)
- 平成13年(2001年)
- 自由党解散、民主党に合流(9月27日)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 西岡武夫ホームページ(公式サイト)
- 民主党長崎県総支部連合会