大石倫治
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大石 倫治(おおいし りんじ、明治10年(1877年) - 昭和23年(1948年)3月20日)は、日本の政治家、衆議院議員。宮城県出身。立憲政友会、自由党、民主自由党に所属した。環境庁長官、農林大臣を歴任した大石武一は息子。民主党参議院議員の大石正光は孫に当たる。
仙台市会議員を経て、昭和5年(1930年)旧宮城2区から第17回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後当選回数5回。昭和14年(1939年)の政友会分裂に際しては正統派に属する。昭和17年(1942年)の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けなかったため落選。そのことが幸いして戦後公職追放を免れ、政界に返り咲く。日本自由党に参加し、党総務の他、第1次吉田内閣では農林政務次官を務めた。
硬骨漢で、戦争中、軍部の圧力で政党が解消していく中、尾崎行雄と共に最後まで反対の論陣を展開した。
カテゴリ: 日本の国会議員 (1890-1947) | 宮城県の政治家 | 1877年生 | 1948年没