大分交通国東線
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国東線(くにさきせん)は、かつて大分県杵築市の杵築駅から、国東半島東部にある東国東郡国東町(2006年3月より国東市)の国東駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線。
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[編集] 路線データ
1961年10月当時
[編集] 路線概要
潮干狩りの時期には臨時に「貝掘り列車」、花見の際には奈多八幡の「花見列車」を出したり、みかんや七島イの輸送に使われたりと人々に長い間親しまれていた。
また、千光寺の坂(杵築本駅・八坂停留所間)、祇園の坂(祇園駅・若宮臨時停留所間)、塩屋の坂(志口停留所・安岐駅間)といった急坂は、いずれも距離が長かったので、乗客の多いときなど一度では上りきれずに後退してしまうことがあった。 そのようなときは思い切って戻り、勢いをつけて全速力で上っていったが、それでも上りきれないときには乗客に坂の間だけ降りて歩いてもらったものである。ひどいときには乗客に後ろから押してもらうようなこともあった。特に戦中戦後の燃料事情の悪いときには、日常茶飯事のことであった。
まことに小型で、玩具のような列車(トイトレイン)であったが、杵築高校生の通学をはじめ、地域住民になくてはならないものであった。
富来までの延伸が予定されており、最終的には国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、諸般の事情で実現せず、1961年(昭和36年)には大雨(仏崎の崖崩れで別大電車が埋まり、多数の死者が出たのもこのとき)により大被害を受け、さらにモータリゼーションの進行の影響もあって、1964年(昭和39年)には安岐~国東間を廃止した。杵築~安岐間は仮設の鉄橋をかけるなどして辛うじて営業していたが、1966年(昭和41年)に全線廃止となった。
[編集] 運行概要
1939年11月改正当時
- 運行本数:杵築~国東間11往復
- 所要時間:全線1時間11分~18分
1961年6月改正当時
- 運行本数:杵築~国東間16往復半(他、安岐~杵築間区間列車1本あり)
- 所要時間:全線1時間15~30分
[編集] 沿革
- 1912年(明治45年)2月 国東鉄道設立
- 1922年(大正11年)7月7日 杵築~杵築町(後、杵築市)間5.1km開業
- 1922年(大正11年)12月24日 杵築町~守江間4.3km開業
- 1923年(大正12年)10月20日 守江~奈多八幡間4.5km開業
- 1925年(大正14年)12月2日 奈多八幡~安岐間4.2km開業
- 1933年(昭和8年)7月11日 安岐~武蔵間5.2km開業
- 1935年(昭和10年)11月30日 武蔵~国東間7.0km開業
- 1945年(昭和20年)4月20日 交通統制により、大分交通へ合同。大分交通国東線となる
- 1961年(昭和36年)10月 集中豪雨による鉄橋流出のため、安岐~国東間休止
- 1964年(昭和39年)8月31日 安岐~国東間廃止
- 1966年(昭和41年)4月1日 全線廃止
[編集] 駅一覧
1961年10月当時
- 杵築駅 (本駅) - 八坂停留所 - 祇園駅 - 若宮停留所(臨時) - 杵築町駅(市駅) - 大内停留所 - 灘手停留所 - 守江(もりえ)駅 - 東守江駅(住吉浜駅) - 狩宿(かりしゅく)停留所 - 奈多八幡(なだはちまん)駅 - 北奈多停留所 - 志口停留所 - 安岐駅 - 古城(ふるしろ)停留場 - 大海田(おおみだ)停留所 - 武蔵駅 - 池の内停留所 - 綱井駅 - 小原停留所 - 黒津崎停留所(臨時) - 国東駅
若宮停留所は毎年12月の若宮牛馬市の際に、黒津崎停留所は海水浴シーズンに黒津崎海水浴場に遊泳に行く客のために設けられたものである。
[編集] 接続路線
- 杵築駅:日豊本線
[編集] 廃線後の現状
現在、路盤跡の大部分が国道213号となっている。また、一部の停留所の待合室が、現在もバスの待合として使われていたり、JR杵築駅ホームのはずれに、国東線乗り換え案内の看板が残っていたりしており、往時が偲ばれる。なお、旧杵築町駅(市駅)は、現在バスターミナルとなっているが、よく「市駅」と呼ばれる。これは、国東鉄道の名残である。同様にJR杵築駅は「本駅」と呼ばれることが多い。
[編集] 関連項目
- 廃線
- 国鉄10形蒸気機関車 - 本路線で使用された国鉄払下げの蒸気機関車。13,14の2両が在籍した
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