土屋武士
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土屋 武士(つちや たけし、1972年11月4日 - )は、日本のレーシングドライバー。神奈川県出身。湘南高校出身。血液型はB型。全日本GT選手権やフォーミュラ・ニッポンで活躍している。
父親がレースガレージを営んでいた影響からレーサーになろうと決心するが、父はこれを猛反対し県内有数の進学校の高校に進学することを条件に認めるといったところ、これをクリアしてこうした熱意から遂にレーサーになることを認めた。
1989年にカートレースデビュー。1992年にFJ1600でレースデビューし、デビュー戦で優勝。1994年には全日本F3選手権にステップアップする(F3には1997年まで継続参戦したほか、2000年にもシリーズ参戦している)。
1995年には全日本GT選手権(以下JGTC)にスポット参戦を開始。1997年にはGT300クラスにトヨタ・MR2でフル参戦を果たす。1998年はGT500クラスに初のフル参戦(日産・スカイラインGT-R)。1999年には再びGT300クラスに戻り日産・シルビアをドライブし、シリーズ2位を獲得。2000年にはGT500へ再昇格しトムスよりトヨタ・スープラで参戦した。当時の土屋はJGTCでは良い結果を出していたものの、フォーミュラではあまり良い結果が出なかったため「典型的なハコドライバー」としての評価が一般的だったが、本人自身はフォーミュラ志向が非常に強く、そのチャンスを得るために2000年には自費でフォーミュラ・ニッポンにKONDOレーシングよりスポット参戦。それまでプロドライバーとして貯めこんだ貯金を全てはたいたというこの参戦は10位という結果に終わるものの、この時のドライビングが関係者の注目を浴び、2001年にはARTAよりフォーミュラ・ニッポンへのフル参戦が実現した。
2003年は、JGTCで元F1ドライバーのエリック・コマスをパートナーに、最終戦までシリーズチャンピオン争いを展開するが、惜しくもチャンピオン獲得を逃している。一方フォーミュラ・ニッポンに関してはARTAが撤退したためルマンに移籍した。
2004年はJGTCではマルコ・アピチェラをパートナーに参戦。2005年はジェームス・コートニーをパートナーに参戦。この年は最終戦までチャンピオン争いをするが、惜しくも逃してしまった。
2006年は父・春雄氏が監督を務める土屋エンジニアリングから参戦する。また、フォーミュラ・ニッポンでは新たに参戦したトムスに移籍した。GTでは2002年第3戦以来続いていた連続ポイント獲得記録がこの年の第5戦で遂にストップしてしまった。
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2006年度 TOYOTA・SUPER GT 参戦リスト |
GT500 |
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1TOYOTA TEAM CERUMO・立川祐路/高木虎之助 |
6Mobil 1 TOYOTA Team LeMans・飯田章/片岡龍也 |
25TOYOTA TEAM TSUCHIYA・織戸学/土屋武士 |
35TOYOTA TEAM KRAFT・服部尚貴/ピーター・ダンブレック |
36TOYOTA TEAM TOM'S・脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー |
66TOYOTA TEAM SARD・アンドレ・クート/平中克幸 |
GT300 |
19RACING PROJECT BANDOH・松田晃司/脇阪薫一 |
52TOYOTA TEAM CERUMO・竹内浩典/嵯峨宏紀 |
101apr・新田守男/高木真一 |
777梁山泊 with apr・田中実/大嶋和也 |