ARTA
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ARTA(エーアールティーエー、AUTOBACS Racing Team AGURI)は、元F1ドライバーの鈴木亜久里とオートバックスがジョイントして1997年に設立されたプロジェクト。
設立当初から、F1でチャンピオン争いをできるような世界に通用するドライバーを発掘することを目的としており、レーシングチームとしてフォーミュラ・ニッポンや全日本GT選手権→SUPER GTに参戦する一方で、レーシングカートの大会「ARTAチャレンジ」を主催するなど、次世代の才能を発掘・育成することに務めている。
2001年には同プロジェクトの支援を受けた金石年弘が、ドイツF3のシリーズチャンピオンに輝いている。
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[編集] 全日本GT選手権・SUPER GT
[編集] GT500
1998年・1999年には日産・スカイラインGT-Rで参戦した。
2000年よりホンダとジョイントし、マシンをホンダ・NSXに変更。初年度はオーナードライバーの亜久里に加えて土屋圭市がドライブした。2001年より亜久里に変わって金石勝智がドライブし、この年、最終戦までタイトル争いを演じた。
2003年には勝智のドイツツーリングカー選手権(DTM)参戦に伴い、従兄弟の金石年弘がドライブ。この年で土屋が現役ドライバーを引退した。
翌2004年はDTM帰りの金石勝智と伊藤大輔がドライブした。この年は前年に引退した土屋が監督に就任。しかしこの年はマシンの不調もあり、わすか2ポイントしか獲得できなかった。
2005年からはTeam Honda Racingとして、TAKATA童夢NSX同様ホンダワークスとなり、総監督に鈴木亜久里、監督に童夢の中村卓哉を迎えた体制となり、ドライバーも昨年に引き続き伊藤がドライブし、もう一人は当初ジョナサン・コシェだったが、開幕前になって元F1ドライバーのラルフ・ファーマンに変更した。シーズン序盤はやや苦戦気味であったが、第3戦から他チームに先駆けてターボエンジンからNAエンジンに換装し調子を取り戻す。この年の結果は、ポールポジションを3回獲得し、最終戦までチャンピオン争いを繰り広げた。また第7戦のオートポリスでは見事ポールトゥウィンで優勝を遂げている。
2006年も引き続き伊藤大輔とラルフ・ファーマンのコンビで参戦。開幕戦では圧倒的な速さでポールポジションを獲得したが、なかなか優勝を飾る事ができないでいた。しかし第4戦セパンでポール・トゥ・ウィンを飾る事ができた。
[編集] GT300
2001年にトヨタ・MR-Sで参戦を開始。2002年には新田守男・高木真一のコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。
2003年にマシンをオートバックスが独自開発したガライヤにスイッチする。この年はコーナリングはいいものの、日産から供給されたエンジンが悪く、不本意な成績に終わる。翌2004年にはエンジンの換装などのパワーアップを図り、2連勝するなど活躍しチャンピオン争いをするが、惜しくも1ポイント差で敗れる。2005年も第7戦(オートポリス)までポイントランキングトップだったが、最終戦で惜しくも敗れている。また、ガライヤでの参戦プロジェクトが2005年限りで終了するとともに、チームとしてもGT300への参戦を終了することとなった。