原爆ドーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原爆ドーム |
|
原爆ドーム | |
(英名) | Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) |
---|---|
(仏名) | Mémorial de la paix d'Hiroshima (Dôme de Genbaku) |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(6) |
登録年 | 1996年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
原爆ドーム(げんばくドーム)は広島県広島市にある史跡、建築物。
目次 |
[編集] 概要
住所は中区大手町1丁目10。すぐ西には、原爆投下の目標になったともいわれるT字型の相生橋がかかり、南には元安川をはさんで広島平和記念公園(通称:平和記念公園もしくは平和公園)が広がっている。北には市内電車(広島電鉄)の走る通りをはさんで広島市民球場がある。東に200m行った所に爆心地とされる島病院がある。
GoogleMAP原爆ドーム
[編集] 歴史
[編集] 竣工から戦時期まで
現在、原爆ドームの名称で知られているこの廃墟は、元来は地上3階(一部5階)・地下1階の構造をもつ建造物であり、1915年4月5日に竣工、同年8月5日、広島県物産陳列館として開館されたものである。同館はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル(Jan Letzel, 1880年-1925年)によって設計され、ネオ・バロック的な骨格にゼツェッション風の細部装飾を持つ混成様式の建物であった。その後1921年に広島県商品陳列所となり、同年には第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなった。1933年には広島県産業奨励館に改称され、この前後は盛んに美術展が開催され、広島における美術の普及に大きく貢献した。しかし、1944年以後、産業奨励館はその業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として使用されていた。
[編集] 被爆時の状況
1945年8月6日午前8時15分(投下が15分で、爆発は16分ともいわれる)、原爆ドームの南東上空580mの地点で原子爆弾(リトルボーイ)が爆発した。ほぼ真上からの衝撃波を受けたことと窓の数が多かったことにより爆風が窓から吹き抜け、垂直部分のいくらかは破壊を免れ外壁を中心に残存した。 建物内にいた職員など約30名は全員即死したと推定される(なお前夜宿直に当たっていた県地方木材会社の4名のうち、1名は被爆直前の8時前後に産業奨励館から自転車で帰宅し、唯一の生存者となった)
[編集] 保存
原爆ドームは原爆の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、一方では「悲惨な戦争を思い出すので撤去すべき」などの意見もあり、その存廃が議論されてきた。1966年広島市議会が永久保存することを決議し、風化を防ぐため定期的に補修工事が行われている。1995年史跡に指定され、さらに翌1996年12月5日には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定された。最近では立ち入り禁止区域に入っての落書きなども問題になっている。
また、2004年以降、原爆ドームの保存方針を検討する「平和記念施設あり方懇談会」が開催され、博物館に移設する、 屋根をつける、などの議論も出たが、2006年に今後も原状のまま保存する方針が確認された。
[編集] 原爆ドーム保存の問題点
破壊された当時の形を保ったままの保存という特徴を持つ建造物である。(但し、崩落や落下の危険性のある箇所は保存工事の際に取り除かれている)定期的な保存作業が行われてはいるものの、年々風化が進んでいる箇所も確認されており、保存に非常に困難な面がある事は否めない。また地震の多い日本の地理的特徴の点から、大型地震に対しての耐震性を考慮した保存工事が行われてはいる。しかし、あくまでも理論上の数値に基づいての耐震工事しか行われておらず、地震による崩落の危険性を常に抱えている。
[編集] 世界遺産への登録
原爆ドームの登録審議は、1996年に開催された世界遺産審査委員会で行われた。このときアメリカ合衆国は、原爆ドームの登録に強く反対。調査報告書から、世界で初めて使用された核兵器との文字を削除させた。また、中華人民共和国も、日本の戦争への反省が足りないことを根拠として、棄権に回った。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている。)
[編集] 危機遺産への登録問題
2006年、周辺の緩衝地帯で高層マンション建設が進んでいることが発覚。周辺の景観が破壊され、同様の景観問題を抱えているケルン大聖堂のように危機遺産へ登録されてしまうのではないかと心配されている。しかし、原爆ドームは負の世界遺産であり、原爆ドームの存在が都市の発展を阻害するのはむしろ本末転倒ではないかという声もある。
[編集] 関連書籍
- 朝日新聞広島支局 『原爆ドーム』 朝日文庫、1998年 ISBN 4022612355
- 山下和也・井手三千男・叶真幹 『ヒロシマをさがそう:原爆を見た建物』 西田書店、2006年 ISBN 488866434X
[編集] 関連項目
日本の世界遺産
World Heritage Sites in Japan |
|
---|---|
文化遺産 | |
法隆寺地域の仏教建造物 | 姫路城 | 古都京都の文化財 | 白川郷・五箇山の合掌造り集落 | 原爆ドーム | 厳島神社 | 古都奈良の文化財 | 日光の社寺 | 琉球王国のグスク及び関連遺産群 | 紀伊山地の霊場と参詣道 | |
自然遺産 | |
屋久島 | 白神山地 | 知床 | |
世界遺産 | アジアの世界遺産 | 日本の世界遺産 | 五十音順 | | |