三韓
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三韓(さんかん)は、中国三国時代のころに帯方郡の南、朝鮮半島南部にあった部族とその地域の事。朝鮮半島南部の事を韓と言い、風俗や言語によって大きく3つに分けられた事から三韓と呼んだ。
- 三韓の地域
- 馬韓(のちの百済)は、西部に位置し50数国に別れていた。今の京畿道・忠清北道・忠清南道・全羅北道・全羅南道に相当する。ただし、京畿道・忠清北道・忠清南道を含まないとする説もある。
- 辰韓(のちの新羅)は、馬韓の東方に位置し、12国に別れていた。言語は馬韓と異なっていたと言われる。今の慶尚北道・慶尚南道の大半の地域である。
- 弁韓 (弁辰、のちの任那)も12国に別れており、辰韓と居住地が重なっていたと言われる。今の全羅南道・慶尚南道に渡る範囲に位置した。ただし、全羅南道を含まないとする説もある。
弁韓と辰韓の内12国は馬韓王に属していたと言われている。