ランボルギーニ・ムルシエラゴ
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ランボルギーニ・ムルシエラゴ(Lamborghini Murcielago)は、アウディ社傘下に入ったランボルギーニ社最初の車であり、フラッグシップとしてディアブロの後を継ぐモデルとして、2001年秋から市販化された。ムルシエラゴの名は伝統にならい、闘牛の名から取られた。 設計・開発は、アウディ・デザインセンターのルーク・ドンカーヴォルケが担当。
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[編集] 機構・スタイル
後に発表されたベビー・ランボルギーニ「ガヤルド」が、アルミ製スペースフレームに、アウディの生産設備を利用する形で設計されたエンジンを搭載していたのに比べ、ずっと親会社の影響の少ないモデルである。いわば、ディアブロの構造的特徴の多くを受け継いだ、純血にかなり近い構造を持っている。
ボディは角断面を持つ鋼管スペースフレームによって組まれ、外部からのストレスをほぼ全てシャシーによって負担する構造を持ち、それらのほとんどはスチールであるが、フロアパネルと一部の補強用補助構造体などはカーボンファイバーを使用している。また、ボディパネルにもカーボンファイバーを用い、例外としてルーフと左右のドアにスチール素材を使っている。これらの最先端素材を多用することにより、ディアブロより全長が約100㎜延長されているにも関わらず、重量をほぼ同水準の1650㎏に抑え込んでいる。
エンジンは完全に新規設計されたものではなく、ディアブロから引き継がれた、アルミダイキャスト、60°バンクを持つ水冷V型12気筒DOHCエンジンを、最新のスーパーカー事情に合わせて発展させたものであるが、カウンタックからディアブロへの進化がそうであったように、あくまで基本構造を受け継いでいるだけで、パーツ設計などに関してはほとんど別物である。ディアブロの最終生産型である6.0SEのものを基本にストロークを延長され、6.2リッターの排気量を得たそれは、ムービングパーツを中心に徹底的に素材置き換えなどで軽量化、そして緻密なバランスを保たれ、エンジンパワーを580馬力、トルク66.3㎏/mにまで高めながら、初期のディアブロにあった荒々しさは払拭されている。
パワートレインの配置は更に巧妙に磨きをかけ、カウンタックの時代から受け継いで来た、エンジンとトランスミッションの位置を逆転させ、センタートンネルにトランスミッションを食い込ませ、後輪へドライブシャフトを伸ばす構造自体は不変だが、それまでオイルパンを貫通していたドライブシャフトをリアデフごと車体右側にオフセットし、潤滑方式をドライサンプにすることによって、エンジンを50㎜下げることに成功している。ムルシエラゴのエンジンは決してコンパクトではなく、エンジンルームの大半を埋めているほどの重量物であるため、運動性能の向上にはかなり大きい改良である。また、トランスミッションも従来の5段から6段に変更され、後に「eギヤ」と呼ばれるセミオートマチックトランスミッションが追加された。
ディアブロには、基本的に後輪駆動と四輪駆動の二つが用意されていたが、ムルシエラゴからは四輪駆動のみに統一された。比較的簡易的な構造を持つビスカス式センターデフを持つ4WDシステムで、ディアブロのそれのような姿勢を崩した時に効果を発揮する「保険」的な意味合いのものではなく、どのような路面にもフレキシブルに対応できるだけのトラクションを確保するものに変わった。そのため、メカニズムに大きな相違はないものの、制御ロジックには大きく手が入り、前輪にも積極的に駆動力配分するようになった。
これまでマルチェロ・ガンディーニが描いて来たスタイルは、ムルシエラゴが発表されるまでの間――つまりアウディ傘下に入る前も含め――の紆余曲折を経て、最終的にはアウディの手に委ねられることとなった。基本デザインに関してディアブロの精神と変わりはないが、ウェッジシェイプより塊感を強調するものとなった。多分にドイツ的テイストを取り入れたようにも感じられるものの、随所にランボルギーニの車としての匂いを感じ取ることができる。 だが、ディアブロの頃にはなかったものとして、電気仕掛けのギミックの数々がある。高速域でのスタビリティを確保するため、電動でせり上がるウイングの存在、そして可動式サイドインテークが挙げられる。
[編集] ロードスター
ムルシエラゴがデビューして約2年後の2004年に発表されたムルシエラゴロードスターは、ムルシエラゴのルーフを切り落とし、代わりに緊急用のソフトトップを付加したオープンモデルである。ソフトトップはあくまで悪天候に対応するための非常用として位置づけられており、高速走行時はオープンの状態で走るよう推奨されている。重要なストレスメンバーであったスチール製ルーフを取り払ったことにより、シャシーにはボディ剛性を低下させないための徹底した補強対策が取られている。エンジンルームのエンジン上部には、クロスメンバー状の補強フレーム(オプション設定で、スチールからカーボンファイバー製に変更可能)が装着されたことからも、ノーマルのムルシエラゴと同等の剛性を確保しようと躍起になっていたことがうかがい知れる。オープンカーは大概、空力にハンデを背負うので最高速度は低くなっているものの、それでも300㎞/h以上を謳うほどのパフォーマンスを有している。
[編集] R-GT
2004年にデビューしたムルシエラゴのレース仕様。ランボルギーニにとって90年代初頭のF1のエンジンサプライヤーを担当して以来、10年以上の空白を置いてのサーキット復帰の狼煙である。FIA-GTカテゴリーへの参戦を前提にしたモデルで、レギュレーションにより構造体そのものを大規模に改修するような改造は施されておらず、オールカーボンのボディ、強力なダウンフォースを生む空力パーツなどが装着されているものの、基本的には市販車の仕様に準拠している。2004年には全日本GT選手権に参戦したものの、この頃から全日本GT選手権(特にエントリーしていたGT500クラス)は、市販車の皮を被った純粋培養のレーシングカーで争われていたため、ライバル達の圧倒的なパフォーマンスの影に隠れ、目立った活躍をすることはなかった。ただ、これは相手が悪過ぎただけであり、FIA-GT選手権第一戦・バレンシアGPでは、デビューレースで表彰台に上るなど、本来睨んでいたカテゴリーではまずまずの戦績を残している。
[編集] RG-1
ランボルギーニ社が全日本GT選手権(現・SUPER GT)に参戦するJLOC(Japan Lamborghini Owner's Club)のために製作したマシン。2004年の第2戦から登場。ベースはR-GTであるがほとんどワンオフといえるパーツで構成されている。2005年途中からGT300クラスに鞍替えし、2006年の第1戦で優勝。JLOCはこれが史上初の優勝であり、ムルシェラゴ自身も世界で初めての優勝である。