ユリウス・クラウディウス朝
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ユリウス・クラウディウス朝(ユリウス・クラウディウスちょう、Julius Claudius)は古代ローマ帝国最初の世襲王朝。その名前は皇帝たちの属したユリウス、クラウディウスの二つの氏族名から。
アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの5人の皇帝を輩出した。期間としては、帝政開始の紀元前27年からネロの自殺する紀元68年6月6日まで約100年間続いた。
皇帝たちが属する、複雑な姻戚関係で結ばれて王朝の母体となった家族は、ユリウス・クラウディウス家と呼ばれることも多い。またガイウス・ユリウス・カエサルを実質的な皇帝と考え、カエサルから養子アウグストゥスへ帝位が受け継がれているとしてこれに加える場合もある。
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[編集] 成立
初代皇帝アウグストゥスは後継者を自らの血統から出すべく一人娘の大ユリアを甥のマルケッルスに嫁がせ後継者とした。しかしマルッケルスが紀元前23年に没すと、早くも後継者候補がいなくなってしまう。そこでアウグストゥスはユリアを腹心であるマルクス・ウィプサニウス・アグリッパに嫁がせ、二人の間にできた子、つまりアウグストゥスの直系の孫であるガイウス・カエサル、ルキウス・カエサルを後継者とした。ところが、紀元2年にルキウス・カエサルがマルセイユで、紀元4年にはガイウス・カエサルがトルコで没してしまう。アウグストゥスは最後の手段としてアグリッパ家を継ぐことになっていたガイウスとルキウスの末弟マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ・ポストゥムスとアウグストゥスの妻リウィア・ドルシッラの連れ子であるティベリウスを養子にして、後継者候補とした。だが、ポストゥムスは養子となって間もなく、性格が粗野であるという理由で追放され、さらに狂気が見られるとしてプラナシア島へ流刑になる。これは実子を後継者にと、目論んだリウィアが働きかけたとも言われている。
そしてポストゥムスが流刑になったまま紀元14年にアウグストゥスが没し、ティベリウスが皇帝となる。ポストゥムスはアウグストゥスの死が公表される前に処刑される。この件に関してもリウィアが関係したと言われている。
ティベリウスはリウィアとティベリウス・クラウディウス・ネロとの間に生まれた子であり、ティベリウスの即位により、系統はユリウス氏族からクラウディウス氏族へと変わった。この時より「ユリウス・クラウディウス朝」が成立した、と言える。
[編集] 帝位継承
ユリウス・クラウディウス朝は成立過程も複雑ながら、帝位が実子に継承された例がない。 ティベリウスはアウグストゥスの後継者候補として養子に迎えられた当初から弟大ドゥルーススの息子、つまり甥のゲルマニクスを養子にさせられ、後継者を息子にすることができなかった。 これはあくまで自分の血統にこだわるアウグストゥスが、姪を通してユリウス氏族にも連なるゲルマニクスの帝位継承を望んだためである。いわばティベリウスは「中継ぎ」であった。そのゲルマニクスが没し、ゲルマニクスの息子のガイウス・カエサル・ゲルマニクス(カリグラ)が三代皇帝となるが、彼も治世四年で妻と娘と共に暗殺されてしまう。四代皇帝として即位した叔父のクラウディウスには実子ブリタンニクスがいたが、これもクラウディウスの妻にして姪の小アグリッピナが連れ子であるルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス(ネロ)を帝位に就かせんがために退けられたのである。
[編集] 終焉
54年にクラウディウスが没し(小アグリッピナによる暗殺が通説)、ネロが五代皇帝となる。ネロは最初の5年はセネカなどの補佐を受け善政を敷くが、次第に暴君と化し、ブリタンニクス、母小アグリッピナ、妻オクタウィア、セネカらを殺し、キリスト教徒を迫害するなどの悪政を行った。68年に起こったタラコンネシス属州総督ガルバの反乱に各地の属州が同調し、ついに元老院はネロを「国家の敵」と宣言する。追い込まれたネロは自殺し、ユリウス・クラウディウス朝は約100年の歴史に幕を閉じる。アウグストゥスは自分の血統から後継者が出ることに執着していたが、その結果はカリグラやネロなどの悪帝を生むこととなった。ユリウス・クラウディウス朝以後ローマ帝国は四帝分立期やフラウィウス朝を経て、五賢帝時代へと至ることとなる。
[編集] ユリウス・クラウディウス朝皇帝一覧
- ガイウス・ユリウス・カエサル
- アウグストゥス(紀元前27年 - 紀元14年)
- ティベリウス(14年 - 37年)
- カリグラ(ガイウス)(37年 - 41年)
- クラウディウス(41年 - 54年)
- ネロ(54年 - 68年)
[編集] 関連項目
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