マツダ・ルーチェ
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ルーチェ (LUCE) は、マツダから製造・発売された乗用車。マツダのプレステージセダンとして発売。
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[編集] 車名の由来
- イタリア語で「光」「輝き」
[編集] 歴史
[編集] 初代(1966年-1972年)
- 1966年発売。
- 当時のライバル車はトヨペット・コロナ、ダットサン・ブルーバード、プリンス・スカイラインといった1500ccクラスのファミリーセダンであるが、ボディサイズはそれらよりも若干大きめに作られていた。ライバル車がいずれも5人乗りであったのに対し、ルーチェはこのクラスでは珍しく、2000ccクラスのセダンで一般的だったフロントが3人掛けの6人乗りであり、広告でもこの点がアピールされた。初期の広告では「子どもは法律上三人で(大人)二人と換算されるので、8人乗りも可能です」という、今ではかなり無理のあるものまで存在した。
- 1966年8月 4ドアセダン(1500)が発売される。
- 1968年12月 1800が追加される。
- 1969年10月 コスモスポーツ、ファミリアに次いでロータリーエンジン搭載の2ドアHTクーペが追加。機構的にはセダンとは全く別物の、マツダ初のFWD車であった。
[編集] 2代目(1972年-1977年)
- ボディタイプは4ドアセダン、2ドアハードトップ、そして4ドアセダンに2ドアのフロントマスクを装着した「カスタム」の3種類。
- 1972年11月 フルモデルチェンジされる。ロータリーエンジン(573cc×2・RE)搭載。
- 1973年4月 1800追加。
- 1973年6月 排ガス規制に適応したAP仕様発売。(優遇税制適用車)
- 1973年12月 13Bロータリー搭載のグランツーリスモ、ワゴン発売。
- 1974年11月 REAPS4エンジン搭載。
- 1975年10月 マイナーチェンジ。「カスタム」シリーズは4ドアセダンに統合され、廃止。
[編集] 3代目(1977年-1981年)
- 1977年10月 2代目の追加モデルとしてルーチェ・レガートが登場。ロータリーエンジン(573×2RE/654×2RE)、1800、2000。当面は2代目も併売。
- 1978年7月 レガートの名前が外れる。2代目販売終了。
- 1978年9月 タクシー仕様車(2000LPG)追加。なお、同代のタクシー仕様車には、「中型料金・6人乗り」(コラムシフト)と「小型料金・5人乗り」(フロアシフト)の2仕様が設定されていた。
- 1979年10月 マイナーチェンジ。
- 1980年9月 2200ディーゼル追加。
[編集] 4代目(1981年-1986年)
- 1981年10月 フルモデルチェンジされコスモとデザインを共通化。プラットフォームにマツダ・HBプラットフォームを採用。
- 1981年11月 ロータリー車を追加。
- 1982年10月 ロータリーターボ追加
- 1983年10月 マイナーチェンジ。RE13B-SIエンジン搭載。
[編集] 5代目(1986年-1991年)
- 1986年9月 フルモデルチェンジ。再び独自のデザインへ。(2000cc/654×2RE)。プラットフォームにマツダ・HCプラットフォームを採用。
- デザインが「『メルセデス・ベンツ』と酷似している」という声も聞かれる為、「広島(産)ベンツ」などと揶揄される事もあるモデルでもある(実際、広報資料では当時のベンツ・ミディアムクラスとツーショットで「日本のベンツです。」と謳っていた)。
- 1987年8月 V6・3000追加。
- 1988年9月 マイナーチェンジ。V6・3000はDOHC化される。
- 1990年3月 HTにV6・3000リミテッド・グランツーリスモが追加される。欧州仕様と同じサスペンションを持ち、鍛造アルミホイールや本革シートなどを装備していた。
- 1991年5月 ルーチェのフルモデルチェンジという形で後継車、センティアが発売され、長い歴史に幕を下ろした。ただしセダン(タクシー・教習車仕様)はマツダがタクシー車市場から撤退する1995年12月まで、カスタムキャブとともに生産が続けられた。
一方、日本国外では韓国の起亜自動車でセダンのみポテンシャという名称で生産・販売していた。
[編集] キャッチコピー
- 同じ乗るならマツダのルーチェ (1972年) 出演・大橋巨泉
- 熟して、ストロング。(1984年)出演・青木功
- 私の、ファースト・レデイーに(1986年)
- BigPersonal(1988年)
- 3000 V6 DOHC GranTurismo(1990年)
[編集] 後継車
- センティアが後継車となるが、そのセンティアも1999年に生産を打ち切った。