マイ・フェア・レディ
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『マイ・フェア・レディ』 (My Fair Lady) は、
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[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
- 第一幕
オペラがはねたばかりのコヴェントガーデン・オペラハウス前。イライザ・ドゥーリトルという花売り娘が、売れ残りの花をさばくために駆けずり回っている。その姿を見ながら一心にノートを書きなぐる男がいた。彼の名はヘンリー・ヒギンズ教授。一流の言語学者で、下町上がりの成金に上流階級の話し方を教えて生計を立てている。彼が「どんなに下世話な花売り娘でも、自分の手にかかれば半年で舞踏会でも通用するレディに仕立て上げられる」というのを聞き、イライザは猛烈な興味を示す。
翌朝、ヒギンズの家に「下町流に」着飾ったイライザが現れる。「自分を一人前のレディに仕立てて欲しい」と訴えるイライザだが、ヒギンズは最初は袖に振る。しかし、居合わせたヒギンズの友人で言語研究家のピッカリング大佐が、「もし成功したら、イライザの授業費を全額持つ」と言ったため、ヒギンズは俄然乗り気になり、イライザの教育を引き受けることにする。
数日後、イライザの父・アルフレッドが、ヒギンズの家にやってくる。彼はイライザがヒギンズに囲われたものと思い込み、それをダシに金をせびりにやって来たのだ。一度は追い返そうとしたヒギンズだが、アルフレッドの話を聞くうちに彼の「道徳観」にいたく感じ入り、5ポンドを渡して帰す。そればかりか、アメリカの篤志家に彼を「イギリス一の中間階級道徳家」として推薦する手紙までしたためてしまう。
ヒギンズによるイライザの訓練は困難を極めた。しかしヒギンズはついに、イライザに上流階級の話し方をマスターさせることに成功した。狂喜乱舞するヒギンズとイライザ、そしてピッカリング。彼らは勢いに乗って、ヒギンズの母親がボックスを持つアスコット競馬場に乗り込む。しかし、イライザの社交界デビューは散々なものになった。彼女は上品な話し方こそ身に着けていたが、中身は下品な花売り娘のままだったからだ。イライザの言動のせいで大恥をかき、おまけに母親にまで「人間でお人形遊びをしている」と罵倒され、ヒギンズは屈辱に燃えて自宅へと戻った。だが、ボックスでイライザと同席した貧乏貴族の令息フレディ・エインスフォート=ヒルは、ヒギンズの家まで彼女を追いかけ、彼女に会えるまで玄関の前で待ち続ける決意を固めたのだった。
- 第二幕
アスコットでの失敗から六週間後。地獄のような特訓の末、イライザの再デビューの日がやって来た。場所はトランシルバニア大使館の舞踏会。ヒギンズやピッカリングの心配をよそに、イライザはトランシルバニア皇太子からダンスの相手に指名されるという快挙をやってのける。途中ヒギンズの弟子だというハンガリー人にゆすりまがいの詮索を受けるも、イライザは見事にだまし通した。イライザは花売り娘からレディへと、鮮やかな変身を遂げていたのだった。
こうして、実験は成功に終わり、賭けはヒギンズの勝利となった。舞踏会から帰宅し、互いの健闘をたたえあうヒギンズとピッカリング。しかしその二人の横で、イライザは静かに唇を噛み締めていた。彼女はまさに今、自分が単なる実験用のハツカネズミであったことに気づいたのだ。実験を通して、彼女の中には一人の人間としての自我が目覚めていた。しかしヒギンズは、彼女を一人の人間として扱ってはくれなかった。そしておそらくこれからも。
一人きりになった実験室で泣き崩れるイライザ。スリッパを取りにヒギンズが戻ってくる。イライザはヒギンズにスリッパを投げつけ、それをきっかけに大ゲンカが始まる。「この家に自分の居場所はない」。そう感じたイライザは、こっそり家を出て行く。
外に出たイライザは、待ち構えていたフレディと一緒に自分の故郷・コヴェントガーデンの青物市場に向かう。しかし、昔の花売り仲間たちは、レディとなったイライザに気づくことはなかった。絶望に駆られるイライザの前に現れたのは、ピカピカのモーニングで着飾った父親の姿だった。聞けば、ヒギンズがアメリカの篤志家に出した手紙のせいで、彼は篤志家の遺産相続人となり、年4000ポンドの金を受け取ることになってしまったのだ。その上、翌朝には愛人との結婚式まで控えているという。それでも彼は、「イライザを引き取ることは出来ない」と言い張る。そしてイライザに「お前なら一人でもやっていける」と、励ましになっていない励ましの言葉をかけるのだった。
翌朝、イライザがいないことに気づいたヒギンズは大慌て。彼女に秘書的な役も負わせていたので、スケジュールが一切わからなくなってしまったのだ。「イライザを探せ」と怒鳴り散らすヒギンズに、ピッカリングもとうとう愛想を尽かし、内務省にいる旧友のところに逃げていってしまう。しかしヒギンズは、彼が自分に協力してくれているものと信じて疑わない。
イライザが逃げ込んでいたのは、ヒギンズの母親の家だった。イライザの理解者となってくれる者は、もう彼女しかいなかったのだ。二人が話し込んでいるところに、ついにヒギンズが怒鳴り込んでくる。ヒギンズの母はわざと、息子をイライザと二人きりにした。イライザはヒギンズに「あなたのことは好きだが、人間として扱ってくれない以上、もう一緒にはいられない」と告白する。しかしヒギンズは、ますますへそを曲げてイライザを突っぱねる。結局イライザは再びヒギンズの前から姿を消し、ヒギンズは母親の前でイライザを散々馬鹿にしてから家路に着いた。
しかし、ヒギンズは気づいていた。イライザが自分と同等の人間になっていたこと。そして、いつの間にかイライザのことが好きになっていたこと。しかし、自分はイライザを拒否した。なぜなら、彼にとって女は一人前の人間ではなかったからだ。それでもなお、彼女の面影は頭の中から離れない…
帰宅したヒギンズは、研究室の椅子で独り想いにふける。録音してあったイライザの声を流しながら。
突然再生が止まり、聞きなれた声がこう言った。「手も顔もちゃんと洗ってきました」。
ヒギンズは応えた。「私のスリッパはいったい…どこだろう?」
[編集] 劇中歌
- なぜイギリス人は英語が話せない? (Why Can't the English?)
- 素敵じゃないか (Wouldn't It Be Loverly?)
- 運が良けりゃ (With a Little Bit of Luck)
- 僕は普通の男だ (I'm an Ordinary Man)
- 今に見てろ (Just You Wait)
- スペインの雨 (The Rain in Spain)
- 踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)
- アスコット・ガヴォット (Ascot Gavotte)
- 君の住む街角 (On the Street Where You Live)
- でかしたぞ (You Did It)
- 証拠を見せて (Show me)
- 時間通りに教会へ (Get Me to the Church on Time)
- 男の賛歌 (A Hymn to Him)
- あなたなしでも (Without You)
- 忘れられない彼女の顔 (I've Grown Accustomed to Her Face)
作詞・脚本 アラン・ジェイ・ラーナー (Alan Jay Lerner),作曲 フレデリック・ロウ (Frederic Loewe)
[編集] ミュージカル
ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を原作とする。 ただし原作とは結末の部分が大きく異なって、ハッピーエンドで終わる。これはミュージカル化の際初めて行われたものと言われる事が多いが、実は1938年にレスリー・ハワードが監督・主演し、ウェンディ・ヒラーが共演した映画版『ピグマリオン』にも見られる。台本を書いたアラン・ジェイ・ラーナー自身も、ミュージカル化に際し映画版の要素を多く取り入れたと語っている。
My Fair Lady(マイフェアレディ)のタイトルは、Mayfair lady(メイフェアレディ)をコックニー訛りで表現してもじったものである。 ちなみにMayfairは昔は閑静な住宅地、今は高級店舗がならぶロンドンの地区の名前である。 原作のPygmalionは『ピグマリオン』とカタカナ表記されるが、英語で発音するときは『ピグメイリオン』なので注意。
[編集] キャスト
- ブロードウェイ初演(1956年3月15日)
- ヘンリー・ヒギンズ教授 レックス・ハリソン (Rex Harrison)
- イライザ・ドゥーリトル ジュリー・アンドリュース (Julie Andrews)
- アルフレッド・P・ドゥーリトル スタンリー・ホロウェイ (Stanley Holloway)
- ピッカリング大佐 ロバート・クート (Robert Coote)
[編集] 年譜
- 1956年3月15日 、ブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場にて初演。七年半にわたり2717回の公演を重ね、当時としては記録的なヒットとなった。また、トニー賞も最優秀ミュージカル賞、主演男優賞(ハリソン)など8部門で獲得している。
- 1963年9月、東宝により東京宝塚劇場で、日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された。主演はイライザ役に江利チエミ、ヒギンズ役に高島忠夫。好評を博し、翌年には同じキャストで再演された。
- 1964年ワーナー・ブラザーズにより映画化された。同年のアカデミー作品賞を受賞した。
1963年の東京宝塚劇場の公演の時に、日本では初めてカーテンコールの習慣が始まったとされている。 1964年の映画では、オードリー・ヘップバーンの歌はマーニ・ニクソンによる吹き替えであるが、後年DVDが発売された時に、自身による歌も収録され話題となった。
[編集] 映画(1964年)
[編集] キャスト
- レックス・ハリソン (ヒギンズ教授)
- オードリー・ヘプバーン (イライザ)
[編集] スタッフ
- 監督: ジョージ・キューカー
[編集] 受賞
- アカデミー賞
- 最優秀作品賞
- 監督賞 ジョージ・キューカー
- 編曲賞 アンドレ・プレヴィン
- 録音賞 フランシス・J・シェイド=マレー・スピバック
- 撮影賞(カラー映画部門) ハリー・ストラドリング
- 美術賞(カラー映画部門) ジーン・アレン
- 衣装デザイン賞(カラー映画部門) セシル・ビートン
- 男優賞 レックス・ハリソン
1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | |
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