ジュリー・アンドリュース
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デーム・ジュリー・アンドリュース DBE(Dame Julie Andrews DBE, 1935年10月1日 - )は、イギリス生まれの女優、歌手。
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[編集] 来歴・人物
本名ジュリア・エリザベス・ウェルズ(Julia Elizabeth Wells)、 イギリスのサリー州で生まれる。幼少より約4オクターヴという驚異的な声域を持っていた彼女は、双方ともヴォードヴィル芸人だった母親と義理の父親により才能を見出され、義父のレッスンを受けながら、1947年 ロンドンのウエスト・エンドで子役でデビュー、その後、1954年、19歳の時にアメリカへ渡米するまで子役として英国で幅広く活躍する。アメリカに渡ったアンドリュースは、ミュージカル『ボーイ・フレンド』のポリー役でブロードウェイ・デビューした後、『マイ・フェア・レディ』のイライザ役でブレイク、その後『キャメロット』等ミュージカル女優として、ブロードウェイや、ウエスト・エンドで活躍する。
「マイ・フェア・レディ」の映画化の際には、一般的な知名度の低さから主役をオードリー・ヘプバーンに奪われるが、ウォルト・ディズニー制作のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の主役として映画デビューし、イライザ役のヘプバーンを押しのけ1964年のアカデミー主演女優賞を獲得。更に翌年『サウンド・オブ・ミュージック』では主役のマリア役でスターの座を不動のものとした。
1970年代以降は映画、テレビ、舞台に時々出演し、童話作家としても活躍した。1998年には声帯に腫瘍ができ、外科手術を受けたものの失敗、手術を担当した医師二人を告訴した(後に和解)。手術後、女優業には復帰したものの、以前の美しい歌声は戻っていない。(歌声を失ったショックから彼女は精神科医に通った。)彼女の声質の変化(かすれ声)は、現在の彼女の話し声にも顕著に現れている。
2001年には『プリティ・プリンセス』に出演。2004年にはその続編にも出演した。
1959年にデザイナーのトニー・ウォルトン(映画『メリー・ポピンズ』の衣装コンサルタントを担当)と結婚し、娘が生まれたが1967年に離婚、1969年に映画監督のブレイク・エドワーズと再婚した。エドワーズと結婚後、二人の養子(二人ともベトナム孤児)を取っている。
2006年9月米国俳優組合(SAG)は、彼女の長年にわたる活躍に対して功労賞を贈ると発表した。
[編集] その他
日本の歌手の沢田研二は、彼女の大ファンだったので、「ジュリー」という愛称を付けられている。
[編集] 主な出演作品
- メリー・ポピンズ Mary Poppins (1964)
- サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music (1964)
- 引き裂かれたカーテン Torn Curtain (1966)
- モダン・ミリー Thoroughly Modern Millie (1966)
- テン 10 (1979)
- ビクター/ビクトリア Victor/Victoria (1982)
- アフタヌーンティーはベッドで Cin Cin (1991)
- プリティ・プリンセス The Princess Diaries (2001)
- シュレック2 Shrek 2 (2004) 声
- プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング The Princess Diaries 2: Royal Engagement (2004)
[編集] 外部リンク
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