普通の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
普通の人々 Ordinary People |
|
監督 | ロバート・レッドフォード |
---|---|
製作 | ロナルド・L・シュワリー |
脚本 | アルヴィン・サージェント |
出演者 | ドナルド・サザーランド メアリー・タイラー・ムーア ティモシー・ハットン |
音楽 | マーヴィン・ハムリッシュ |
撮影 | ジョン・ベイリー |
編集 | ジェフ・カニュー |
配給 | パラマウント映画 |
公開 | 1980年9月18日 ニューヨーク |
上映時間 | 124分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
制作費 | 600万ドル |
興行収入 | 2312万ドル |
allcinema | |
キネ旬DB | |
All Movie Guide | |
IMDb | |
(■テンプレート/■ノート) |
『普通の人々』(Ordinary People)は、1980年のアメリカ合衆国の映画作品。
第53回(1980年)のアカデミー作品賞、監督賞(ロバート・レッドフォード)、助演男優賞(ティモシー・ハットン)、脚本賞(脚色部門:アルヴィン・サージェント)の4部門を獲得した。
俳優としてのロバート・レッドフォードはまだアカデミー賞を手に入れていないが、演出家としてはこの処女作でたちまち作品賞、監督賞を獲得した。
この後、俳優の仕事はほどほどに抑えるようになった彼は、サンダンス・インスティチュードを創設、サンダンス映画祭を主催して若手映画人の育成や援助に当たっており、近年これら出身の映画人が大活躍している。
ハリウッドの華やかな世界を嫌い、ユタ州の山中で一見地味な活動にあたっているところが現在までユニークであり続けている。環境汚染や政治にも一家言ある彼の素顔は真面目である。
『普通の人々』でも家族の断絶の問題を真摯な態度でわかりやすく描いていく。シカゴ郊外の弁護士の一家。半年前に長男が水死事故を起こして以後、父、母、次男の悩みが露呈し、心がちぐはぐになり、家庭は崩壊していく。気の弱い父親、冷淡で他人と協調できない母親、繊細で感受性豊かな次男で構成されるこのホーム・ドラマは暗い。
かつての米国映画は、郊外の高級住宅街に立派な邸宅を構えるワスプの上流中産家庭を理想的に描いたものだがいまやその家庭は機能不全で崩壊している。似たようなテーマとしては『アイス・ストーム』(1997)や『アメリカン・ビューティー』(1999)でも描かれているが、この作品は先駆的な作品と言ってもいいだろう。
若い頃は画家志望だったレッドフォードは移りゆく季節感や中西部の町を美しくとらえることにもみずみずしい感性を示した。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
シカゴ郊外の住宅地に一戸建ての家をもつジャレット家は弁護士の主人を中心に平凡だが幸福な生活を営んでいた。だが、ある湖で長男バックと弟コンラッド(ティモシー・ハットン)のボートが嵐で転覆、バックは溺れ死んだ。コンラッドは自分だけが助かってしまったことに対する罪の意識、初めての身内の死という体験をクリアできずに自殺未遂を起こし、精神病院へ入院させられる。
それから4ヶ月後、コンラッドは退院して再び学校に通い出すが、何も解決されたわけではなかった。彼に対してどこか冷たい母親(メアリー・タイラー・ムーア)とは心を開いて話すことが出来ず、頼れるのは父親(ドナルド・サザーランド)だけだった。だが荷が重すぎると感じた父はコンラッドを精神分析医のもとに通わせることにした。
精神科医の努力で、彼は次第に自分をとりまく環境、両親と自分との関係を理解するようになっていった。結局は相手の気持ちを分かろうとしない母親が問題だと思い至った父と息子は互いに本心をぶつけあい、母にも同様に接する。だが、ふたりに責められた母はある朝突然いなくなってしまう。あとに残った父と子は冬枯れの芝生の上で悲しく抱き合うだけだった。
[編集] エピソード
- この映画で使われた「パッヘルベルのカノン」は一躍クラシックの有名曲となった。
- バーガー医師は最初はジーン・ハックマンが演ずる予定だったが、断念した。この作品でこの役を演じたジャド・ハーシュはTVのレギュラーを持っていたため、8日間ですべての出演場面を撮り終えた。
- バーガー医師のオフィスは秋が進むになるほど暗くなり、影が長くなるようにセットの光線を調整した。
- 最後のカルビンとベスのダイニングルームのシーンは、演じたドナルド・サザーランドとメアリー・タイラー・ムーアと共にロケーションに参加して撮影したのだが、編集時にカルビンが泣き過ぎて、シーンが台無しになっていることにサザーランドは気がついた。レッドフォードはセットでダイニングルームを作り直したが、ムーアがニューヨークで劇に出演中だったので、サザーランドだけでシーンを撮り直した。
- ティモシー・ハットンとエリザベス・マクガヴァンのデビュー作である。
- ジェニン役のエリザベス・マクガヴァンは撮影中ジュリアード音楽院に在籍していた。学校側はシカゴへ金曜日の夜出発し、日曜日にニューヨークに戻ってくる日程で、撮影は毎土曜日だけだった。ジュリアードで映画出演を許可したのは、学校始まって以来の出来事だった。
- 第1稿が完成するまで1年半かかり、第2稿はもう1年費やした。原作は台詞のみで、ほとんど性格や設定が書かれていなかったのである。
1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | |