わが命つきるとも
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わが命つきるとも A Man for All Seasons |
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監督 | フレッド・ジンネマン |
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製作総指揮 | ウィリアム・N・グラフ |
製作 | ウィリアム・N・グラフ フレッド・ジンネマン ロバート・ボルト |
脚本 | ロバート・ボルト |
出演者 | ポール・スコフィールド スザンナ・ヨーク ロバート・ショウ |
音楽 | ジョルジュ・ドリュリュー |
撮影 | テッド・ムーア |
編集 | ラルフ・ケンプレン |
配給 | コロンビア映画 |
公開 | 1966年12月12日 ニューヨーク |
上映時間 | 120分 |
製作国 | 英国 |
言語 | 英語 |
制作費 | 200万ドル |
興行収入 | 1275万ドル |
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わが命つきるとも(Man for All Seasons)は、1966年の英国の映画作品。
第39回アカデミー作品賞、監督賞(フレッド・ジンネマン)、主演男優賞(ポール・スコフィールド)、脚本賞(脚色部門:ロバート・ボルト)、撮影賞(カラー部門:テッド・ムーア)、衣装デザイン賞(カラー部門:エリザベス・ハッフェンデン、ジョーン・ブリッジ)の6部門を獲得した。
この作品はロバート・ボルト自作の戯曲を自ら映画用スクリプトに書き改めたものである。
英国国王ヘンリー8世の時代、信念を貫き通し、死罪となったトマス・モアの姿を描きつつ、人間の生きる価値とは何か、と言う問題を追及しているとともに、テーマが米国で実際にあった赤狩りを彷彿させ、また信条を貫くとはどういうことか、という人生の根源の問題にもアプローチしている。
しっかりした演技力の持ち主が火花を散らしてわたりあっている感があり、当時の風俗、環境描写も実に丹念に描き込まれていた感がある。
[編集] ストーリー
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
1528年、イギリス国王ヘンリー8世(ロバート・ショウ)は宮廷の女官アン・ブーリン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)に恋をし、王妃キャサリンとの離婚を一心に望んでいた。しかし、当時はカトリックが国教であり、特別な理由がない限り離婚は不可能であった。教皇からこの「特別な許可」を得ることができるのは、広いイギリスにひとりトマス・モア卿(ポール・スコフィールド)だけであった。ユートピアを夢見た偉大な文学者としても有名な彼は、深い教養と厚い信仰心がゆえにヨーロッパの人々から尊敬と信頼を寄せられていた。
宗教界の実力者ウルジー枢機卿(オーソン・ウェルズ)はモアを呼び出し、大法官秘書のクロムウェル(レオ・マッカーン)を介して王の離婚を教皇が承認するようにとりなしてくれるように依頼した。だが、モアはこれを拒絶し枢機卿の怒りをかってしまう。国王はイギリスの教会をカトリック教会から離脱させ、強引に離婚を成立させてアンと結婚する。
やがてウルジーは他界、いまやモアは大法官の地位についていた。しかし、策士クロムウェルが権謀術数を弄し始める。孤立無援の状況下で反逆罪に問われ、弟子にさえ裏切られたモアは、信念を貫き通して、刑場の露に消えていく。
[編集] エピソード
- オーソン・ウェルズは、ウルジー枢機卿の公式の封印の精巧な模造品を用い、正真正銘の羊皮紙と羽ペンを使っている。
- リチャード・バートンはトマス・モア卿の役から降りている。
- 発泡スチロールで雪が降る光景を作ろうとしたが、準備を終えた段階で本物の雪が降り始めてしまった。
- ヴァネッサ・レッドグレイヴはアン・ブーリンの登場がカメオ出演だからと言って、ギャラの受け取りを拒否した。
- ノーマン・スケース(英国人)も主演級の役の提案があったのだが、日程が自身の劇の上演とぶつかってしまい役を降りている。
[編集] 関連項目
1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | |