ヒロ斎藤
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ヒロ斎藤 | |
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プロフィール | |
リングネーム | ヒロ斎藤 斎藤弘幸 |
本名 | 斎藤弘幸 |
ニックネーム | ミスター・セントーン |
身長 | 175cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1961年5月25日 |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
所属 | 無我ワールド・プロレスリング |
スポーツ歴 | 柔道 |
トレーナー | 上田馬之助 |
デビュー | 1978年 |
ヒロ斎藤( -さいとう、1961年5月25日 - )本名:斎藤 弘幸(さいとう ひろゆきは)はヘビー級のプロレスラー。身長、175cm。体重、108kg。
[編集] 経歴
1978年に新日本プロレスに入門。魁勝司戦でデビューを果たす。
海外遠征でヒール転向すべく、ブロンド髪の悪役日本人レスラーの元祖である上田馬之助のもとへ「同じ髪色の使用許可」を得た。上田にはヒールの心得も伝授され、現在のスタイルの礎を築く。凱旋帰国後の1985年、ザ・コブラのライバルとして台頭し、第12代WWF世界ジュニア王座を奪取。同じヒール軍団であるマシン軍団に軍団入りするが、ワカマツらマシン軍団と仲間割れし軍団を脱退、その後、さきにマシン軍団を脱退したスーパー・ストロング・マシン&高野俊二(現高野拳磁)とカルガリーハリケーンズを結成し、新日を離脱、全日本プロレスを主戦場にするが、カルガリーハリケーンズは解散し、ジャパンプロレスの一員として全日本プロレスに参加する事となり、1986年には初代世界ジュニア王者に輝いている。その後新日本プロレスにUターンし、後藤達俊、保永昇男らとブロンド・アウトローズ(後のレイジング・スタッフ)を結成。
1990年にスーパー・ストロング・マシンと組み第14代IWGPタッグ王座を奪取するも、1993年10月に軍団は分裂。
1995年に蝶野正洋、天山広吉と狼群団を結成。その後nWo JAPAN、TEAM 2000、クレイジー・ドックスと、独自のヒール道を邁進している。
2006年に新日本プロレスを退団。直後から西村修と行動を共にするようになり、その縁あって無我ワールド・プロレスリングへの参戦、後に正式入団する。
[編集] 得意技
- セントーン(横たわった相手に背中から体を当ててゆく技。フロッグスプラッシュと反対向きに体を落とす)
- セントーンを出すとどんな会場でも沸くという。
- セカンドロープ上、もしくはトップロープ上からフィニッシュとして用いられることもある。セカンドロープからのダイビングセントーンは多く用いられる。
- 隠し技の一つで非常に綺麗なブリッジをする。ジュニア時代のフィニッシュ技。
- チンクラッシャー
- 足引き
- 蝶野正洋率いるnWoとT2000を大きく支えた大技。
- 急所攻撃
- 場外乱闘
- 椅子攻撃
[編集] その他
- ”ヒロ”のリングネームは、本名の弘幸からの命名である。また、同じく新日本プロレス所属のマサ斎藤の名前にもあやかっている。職人的なファイトスタイルと体型や風貌から、しばしばマサ斎藤と兄弟・親戚であると勘違いされるが血縁関係はない。
- 凱旋帰国当時の風貌は金髪のロン毛でたけし軍団のグレート義太夫に似ていたが(「義太夫!」と野次られた事もある)、ヘビー級に転向し色黒になり髪型もパンチパーマにしたら体型・髪型・風貌ともマサ斎藤に似てきた。ちなみにマサ斎藤はヒロのプロレスセンスを高く評価している。
- 凱旋帰国当初は、サングラス・リーゼント・革ジャン姿のクールスばりの暴走族数名を、引き連れて入場していた。しかし上田馬之助との決別試合において、試合前上田に竹刀で追い回されて消えた。
- 千葉県船橋市で「炭火焼肉ヒロ」を経営していたが、2005年に閉めている。
- 盟友の後藤達俊とは誕生日が5月25日で同じ。毎年一緒に祝われており、2002年および2004年に後藤と2人でタッグを組んで試合をし勝利している。斎藤は後藤より先輩であるが年下であるためか、「後藤さん」と呼んでいる。(後藤も「ヒロさん」と呼んでいる。)
- 人間的にも優れているようで、様々なレスラーから敬愛の気持ちで見られている。
- 蝶野正洋が仕切った新日本プロレスのドーム大会では、ドン・フライが安田忠夫を入場時に襲撃し試合が成立せず乱闘になった事態を収める際に「ヒロさん!ヒロさん!」と斎藤を探す蝶野の姿がテレビに映し出された。斎藤が選手から信頼を得ていたことの証である。
- 狼軍団の当時、ワールドプロレスリングにて盟友の蝶野正洋が斎藤の出場するタッグマッチの解説を担当する。その試合で実況を担当していた辻よしなりとは抗争中であったためか、蝶野は興奮状態であった。そんな状況にもかかわらず「ほらっ、今の斎藤さんのフォローをお前実況したか。そういう斎藤さんの目立たないかもしれないが自軍を有利にさせる影の名プレイを見逃すからお前は実況には向いてないんだよ。」という斎藤を慕う一面が感じられる発言を残している。
- 全日本プロレス参戦時代にジャイアント馬場から「プロレスがわかっている選手だ」と絶賛された試合運びには定評がある。