トーチ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーチ作戦( - さくせん、Operation Torch)とは、1942年11月8日より行われた、連合軍によるモロッコとアルジェリアへの上陸作戦のことである。
目次 |
[編集] 経過
[編集] 上陸
連合軍上陸部隊は西方任務部隊・中央任務部隊・東方任務部隊の3つに分かれ、それぞれカサブランカ・オラン・アルジェの港湾を目標とした。この3つの上陸部隊は、それぞれ米軍のみの部隊、または米軍指揮下の英軍部隊で編制され、これはヴィシー・フランス軍の反英感情を刺激しない為だった。上陸完了後にはアンダーソン将軍の英第1軍に上陸軍全部隊が配属された。
このうちジョージ・パットン将軍指揮する西方任務部隊は米第3歩兵師団・第9歩兵師団により編制された。第3歩兵師団は中央のフェダーラ地区へ、第9歩兵師団は2つに分かれ、第60歩兵連隊は北方のラバット地区へ、第47歩兵連隊は南方のサフィ地区へそれぞれ上陸した。また、それぞれの地区への上陸支援は第2機甲師団の一部部隊から成る機甲戦闘団が担当した。この西方任務部隊の合計戦力は35,000人である。
一方、オラン地区を目指すリーデンドール少将の第1歩兵師団と第1機甲師団からなる中央任務部隊は39,000人の戦力を擁した。アルジェを目指す米軍のライダー少将率いる東方任務部隊は英軍を中心とし、33,000人を擁した。
フランス領アフリカには20万人のヴィシー・フランス軍がいた。上陸部隊はすべて11月8日に上陸した。アンリ・ジロー大将(Henri Giraud)が現地のヴィシー・フランス軍と交渉に失敗して小規模な戦闘が行われたが、10日にフランス軍総司令フランソワ・ダルラン大将(François Darlan)が連合軍の停戦に応じ、11日までにヴィシー・フランス軍との戦闘は終結した。
[編集] 奇襲作戦
英米軍部隊は、枢軸国軍よりも先にチュニジアを確保しようと、まずアルジェの英軍が11月13日に進撃を開始、数日後には前方に前進拠点を築くべく、英軍2個大隊、米軍1個大隊の空挺部隊を降下させ、山岳の進撃路と飛行場の確保を命じた。これに対し枢軸国軍は、わずかな降下猟兵をチュニジアに空輸し、英軍の先遣隊を撃破した。少数のイタリア軍の増援を受け、2回の反撃で連合軍の進撃を頓挫させた。増援として送られた米第1機甲師団もドイツ軍によって瞬時に後退を余儀なくされた。
[編集] 攻防
枢軸国側では、エルヴィン・ロンメル司令官の部隊と、新たにユルゲン・フォン・アルニム上級大将率いるドイツ第5装甲軍がチュニジアに編制され、チュニジア西方の連合軍を抑えつつ、合流しようとする東西の連合国軍を撃破することにする。この反撃は1943年2月14日に開始された。数では圧倒的に勝っていた連合軍だが、ドイツ軍の巧みな戦術によって、この戦いを含む1ヶ月間に183両の戦車、194両のハーフトラック、122両の自走砲、86門の索引砲、500両を超えるトラックとジープを失った。
この大損害に衝撃を受けた連合国側では、後のハスキー作戦のためにモロッコで準備をしていた米第2機甲師団から戦車を、その他車両は同師団と米第3歩兵師団から抽出し、第2軍団は再建された。一方、ドイツ軍は独ヘルマン・ゲーリング師団の一部と、伊ラ・スペツィア歩兵師団からの増援を受ける。
3月3日、バーナード・モントゴメリー率いる英第8軍は、マレス・ラインを迂回して枢軸国軍の背後への攻撃を開始。知らせを受けた独アフリカ装甲軍はこれを攻撃。パットンはさらにその後ろから英軍部隊を支援した。枢軸国軍は挟み撃ちにされる状態となり、マレス・ラインを放棄し、後退していった。
4月、さらに連合軍は枢軸国軍を追いつめようとするが、またしてもドイツ軍の巧みな防御戦と険しい地形によってなかなか進撃できないでいた。そこで連合軍は、枢軸国軍の補給線への攻撃を開始した。シチリアからチュニジアへの補給線を大量の航空戦力で攻撃することによって、枢軸国側に多大なダメージを与えることに成功した。
5月、ドイツ軍は戦闘継続が不可能と判断し北アフリカから撤退。これを知った米第2軍団はチュニジアの補給港ビルゼトを占拠。同月13日に北アフリカの枢軸国軍は降伏することとなった。
[編集] その後
北アフリカの陥落によって地中海のほぼ全域が連合軍の制空権下となり、イタリア南部が連合軍の進出対象の圏内に入った。これらはハスキー作戦へと発展していった。
その後、北アフリカはアメリカとイギリスの後押しで一時ダルラン大将が総督となった。しかし、ダルラン大将が暗殺されると代わりにジロー大将が選ばれ、シャルル・ド・ゴール少将はシリアやダカール(ダカール沖海戦)での失敗から起用されることはなかった。
[編集] 外部リンク
地中海の戦い |
メルセルケビール海戦 | カラブリア沖海戦 | スパダ岬沖海戦 | タラント空襲 | スパルティヴェント岬沖海戦 | エクセス作戦 | バルカン半島の戦い | マタパン岬沖海戦 | クレタ島の戦い | サブスタンス作戦 | ハルバード作戦 | ボン岬沖海戦 | 第1次シルテ湾海戦 | 第2次シルテ湾海戦 | ヴィガラス作戦 | ハープーン作戦 | ペデスタル作戦 | トーチ作戦 | ハスキー作戦 | イタリア戦線 |
大西洋の戦い |
ラプラタ沖海戦 | ダカール沖海戦 | HX-84船団 | ベルリン作戦 | HX-106船団 | ライン演習作戦 | ラコニア事件 | ツェルベルス作戦 | トーチ作戦 |