ハスキー作戦
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ハスキー作戦(Operation Husky)とは第二次世界大戦中の1943年7月10日より行われた、連合軍によるイタリアのシチリア島への上陸作戦のことである。イタリア本土上陸への前段階として敢行された。
[編集] 背景
1943年に、チュニジアのドイツ軍が降伏すると、地中海南岸のアフリカ大陸は連合軍が支配するところとなった。ソビエト連邦を支援し、欧州を解放するためにも、連合軍は早期の欧州への上陸作戦を行う必要があった。様々な検討の結果、チュニジア・マルタからの航空支援も受けられる、シチリア島へ上陸することが決定した。
作戦を行うに当たっては、北アフリカでの戦闘結果より錬度に不安があるアメリカ軍を助攻とし、イギリス軍を主力とするとした。
[編集] 作戦推移
連合軍は、英第8軍を主力に兵員16万、艦船3,000という過去に行われた上陸作戦の中でも最大規模の兵力を動員した。アイゼンハワー司令官の指揮下、連合軍実戦部隊指揮官にはジョージ・パットンとバーナード・モントゴメリー両将軍が任命された。シチリア島を防衛するのはイタリア軍の役目だったが、イタリア軍が全く歯が立たなかったため、ドイツ軍が主力となった。このドイツ軍部隊は、北アフリカへ増援として送られるはずだったが、途中で足止めを受けていたものであった。
7月10日、英米の空挺部隊の降下とともに、英軍は島の東南側海岸に上陸し北上、シラクーザから東北端のメッシーナを目指した。パットンの米第7軍は南西側海岸ジェーラに上陸後、モントゴメリーの側面を援護しつつパレルモを目指し北上する。当初ドイツ軍が優勢だったが、数で勝る連合軍によって戦闘開始から1ヵ月後の1943年8月11日、ドイツ軍はシチリア島を守ることは不可能と判断し、8月17日にはイタリア本土に撤退を余儀なくされた。同日、パットンは北東端のメッシーナを占領して全島を掌握に至った。 シチリア島が攻略されたことでイタリアのファシスト党が瓦解、ムッソリーニが7月24日に失脚し、後継政権は9月8日に、連合国へ無条件降伏することになる。
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