トゥルファン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トゥルファン(吐魯番)は中華人民共和国新疆ウイグル自治区の都市。トルファン盆地の中央に位置し、面積は1万5738km²。人口は24万人(1995年)。古くより交通の要所であり、シルクロードの要所として栄えた。現在は観光都市となっている。
目次 |
[編集] 歴史
前漢代に車師国の一つ車師前国があり、その王城は交河城(ヤルホト)と言った。この城の下には河が流れているので、交河城と言う。その当時で人口が六千五百とある(当時の首都・長安の人口が二十四万ほど)。この交河は現在のトゥルファン市街から西に10Kmほど行った所にその遺跡がある。これに対して漢は現在のトゥルファン市街から東へ45Km行った所に高昌城(カラホジョ)を築いて屯田を行っていた。
その後、中国から戦乱を避けて高昌へと移り住むものが多くなり、北涼の王族・沮渠氏が車師国を滅ぼして、450年に高昌国を立てる。この高昌国は柔然に圧迫されて滅び、その後は北方民族(柔然・高車・突厥)の影響下の元に闞・張・馬の四氏が王となり、498年に麹嘉(きくか)が高昌王になり、640年に唐に滅ぼされるまで続く。
高昌を征服した唐はこの地に安西都護府を置いて西域経営の拠点とした。唐の国力がこの地方にまで及ばなくなる9世紀になると天山ウイグル王国の支配下に入り、夏都とされた。
モンゴル帝国の征服後にはチャガタイ・ハン国に領有され、分裂後は東チャガタイ・ハン国の領有となる。
トルファンの名前は明代より流布し始め、その意味はウイグル語で「くぼんだ地」を意味する。
戦後、イギリスのスタイン探検隊や日本の大谷探検隊がこの地に入り、出土品を持ち帰った。その中でも文献群は敦煌文献と並んで貴重であり、西域と古代の研究に大量の史料をもたらした。
[編集] 地理
トルファン盆地の中央に位置し、北に天山山脈を臨む。
トゥルファンは海抜がマイナスの場所がほとんどであり、トゥルファン市街のそばにあるアイディン湖の水面は海抜-154mで、中国で最も低いところにある。
夏の暑さは非常に過酷で、最高気温は38~40℃、これまでの最高で49℃を記録した事がある。更に雨も少なく、年降水量は20mm前後。また砂漠地帯であるために風が非常に強く、20m以上の風が普通に吹いている。
150キロ北西にウルムチ、350キロ東にハミが位置している。
[編集] 民族
ウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。
[編集] 経済
砂漠地帯に水を持ってくるための機構が特徴的である。その水源は天山山脈の雪解け水で、山の麓から20~30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底をつなげて水路としたものである。11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと言われ、カレーズと呼ばれる。
[編集] 観光名所
- 交河故城
- 高昌故城
- ヤールホト古墳群
- アスターナ古墳群
- 火焔山
- ベゼクリク石窟寺院
- 蘇公塔