シコルスキー社
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シコルスキー
- ヘリコプターの製造会社のシコルスキー社。本稿にて。
- 日本のイラストレーターのシコルスキー
- グラップラー刃牙の登場人物
- ロッテ、巨人に在籍した投手、ブライアン・シコースキーのロッテ入団当初の呼称。
シコルスキー・エアクラフト(英:Sikorsky Aircraft Corporation)は、アメリカのヘリコプター製造会社である。ウクライナ(当時ロシア帝国領)生まれのアメリカ人イーゴリ・シコールスキイによって、1923年に設立された。アメリカの複合企業であるユナイテッド・テクノロジーズの一部門であり、ヘリコプター業界のリーディングカンパニーである。
イーゴリ・シコールスキイの設計したヘリコプターは非常に優れており、後のヘリコプターの大部分がそれに基づいている。有名な機種としては、UH-60 ブラックホークやその対潜哨戒機であるSH-60 シーホーク、実験的につくられたシコルスキー Xウイングなどがある。
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[編集] 主な製造機体
[編集] 固定翼機
[編集] 回転翼機
- S-51
H-5とも呼ぶ、草創期のヘリコプター。日本では海上自衛隊が日米経費分担で購入し、1953年(昭和28)から1961年(昭和36)まで使用した。
- 回転翼径:14.6m
- 全長:13.7m
- エンジン:レオニード52-1(540hp×1)
- 最高速度:165km/h
- 航続距離:410km
- 乗員2、乗客2
S-51から発展させた。輸送ヘリとして軍用・民用共に世界各国で採用され、ヘリコプターの実用性を実証したパイオニア的存在である。全世界で1828機が製造された。 「きかんしゃトーマス」のハロルドのモデルのヘリコプターでもある。
S-55の機体を大型化し、エンジン出力も増大して実用性を高めた機体。1954年に初飛行。全世界で2261機が製造された。
- S-61(シーキング)
海軍の対潜哨戒機や救難ヘリとして多用された。日本でも自衛隊がHSS-2として採用したため、三菱がライセンス生産した。
- S-62
S-55のダイナミック・コンポーネントを可能な限り再使用し、GET58タービンエンジンを搭載した機体。タービンエンジンの能力はレシプロエンジンを凌駕し、ヘリコプターの可能性を広げることができた。日本でも航空自衛隊が救難ヘリとして採用したことから、三菱で1961年(昭和36)から1970年(昭和45)まで25機(うち民間7機)をノックダウン生産した。また、上昇性能の良さを生かし、富士山頂レーダーのレドームを空輸して注目を浴びた。空自では1963年(昭和38)から1982年(昭和57)まで使用した。
- 全備重量:7,500ポンド
- 有効搭載量:3,000ポンド
- 巡航速度:175km/h
- エンジン重量:305ポンド
- エンジン馬力:730SHP
大型ヘリコプター。米軍ではH-53。日本でも海上自衛隊が改良型のMH-53Eを掃海ヘリコプターとして採用した。
哨戒機としても多用途機としても利用できるヘリコプター。アメリカ軍ではH-60と称し、以下の機種がある。日本でも各自衛隊が採用したため、三菱がライセンス生産した。
- 多用途機 - UH-60 ブラックホーク
- 哨戒機 - SH-60 シーホーク
- S-76
民間用ヘリコプター。スマートな形状で定評がある。
国際共同開発の民間ヘリコプターである。日本からは三菱が参加し、胴体キャビンなどを担当した。
[編集] 関連項目
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