オチャーコフ (防護巡洋艦)
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オチャーコフ(ロシア語:Очаковアチャーカフ;ウクライナ語:Очаківオチャーキヴ)は、ロシア帝国で建造された防護巡洋艦(Бронепалубный крейсерブラニパールブヌィイ・クリェーイスィル;Брoнепалубний крейсерブロネパールブヌィイ・クレーイセル)。艦名は何度か変更されており、当初はオチャーコフ、のちカグール(Кагулカグール)、ギェニェラール・コルニーロフ(Генерал Корниловギニラール・カルニーラフ)と呼ばれた。
なお、オチャーコフは歴史分野では戦艦クニャースィ・ポチョームキン=タヴリーチェスキイで発生した「戦艦ポチョムキンの反乱」に続いて発生した水兵蜂起「巡洋艦オチャーコフの反乱」で知られている。どちらの反乱も、ウクライナにおいてウクライナ人指導者の下に行われた蜂起であった。
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[編集] 概要
[編集] 帝政時代
オチャーコフは、1881年に造船計画に基づきドイツの「ヴルカン」株式会社によって計画が立てられたボガトィーリ級防護巡洋艦の4番艦として設計された。1901年5月4日に黒海艦隊の艦艇リストに記載され、同年8月26日、新ロシアのニコラーイェフ海軍工廠で起工された。翌1902年10月4日、進水、1909年6月23日に艦隊に編入された。1905年11月24日から28日の間、ピョートル・ピェトローヴィチュ・シュミーット(Петр Петрович Шмидт)中尉の指揮の下、分艦隊の蜂起が発生した。その鎮圧に際し、艦体は著しい損傷を受けた。1907年4月7日、艦名はカグールに改称された。
[編集] 世界大戦と内戦
1914年に勃発した第一次世界大戦においては、敵の交通や沿岸地帯への急襲作戦任務、トルコ沿岸における偵察及び封鎖部隊の輸送任務に就き、他の艦隊の活動を急襲任務及び機雷敷設で支援した。また、戦艦戦隊を護送し、その対潜防御を実行した。1916年2月5日から4月18日までは攻撃作戦に参加した。同年10月にはコンスタンツァ(現ルーマニア)の石油貯蔵所や港湾施設を砲撃した。その後、同年10月8日からセヴァストーポリ軍港で武装の近代化を伴う艦体と内部構造の修繕を行った。
その間、ロシア本国ではロシア革命が勃発したが、カグールは1917年4月13日から再びオチャーコフに艦名を戻された。これは、先の「オチャーコフの蜂起」を記念してのものであった。オチャーコフは、同年12月29日に赤軍黒海艦隊へ編入されたが、翌1918年5月1日にはドイツ帝国軍に捕獲され、翌2日には黒海のドイツ海軍、ドイツ傀儡国家のウクライナ国海軍に編入された。
[編集] 白衛軍
しかしながら、ウクライナ国は唯一の実力ある後ろ盾であったドイツ軍がドイツ革命により休戦、ウクライナ中央ラーダの流れを汲むドィレクトーリヤ勢力とブレスト条約を結んだ上で撤退したことにより一年足らずの短命に終わった。しかしながら、再建されたウクライナ民族共和国も永続はしなかった。それに関連し、同年11月24日にはオチャーコフは黒海より侵入してきた英仏連合干渉軍に接収され、赤軍に対抗するため白軍(白衛軍、南ロシア軍、義勇軍)に引き渡された。デニーキン将軍に率いられた白軍は、イギリスやフランスの支援を受け、一時はソヴィエト政府の首府モスクワを窺う勢いを見せた。
1919年3月3日にはオチャーコフはピョートル・ニコラーイェヴィチ・ヴラーンギェリ将軍の率いる南ロシア軍に加えられた。艦名は、9月にギェニェラール・コルニーロフに変更された。ラーヴル・ギェオールギイェヴィチ・コルニーロフ(Лавр Георгиевич Корнилов)は、ロシア帝国の将軍で最も高名な白軍の司令官の一人であった。
1920年11月14日のヴラーンギェリ将軍のセヴァストーポリからイスタンブール、その後ビゼルト(地中海に面したチュニジア北部の町)への退却に際しては、ギェニェラール・コルニーロフは他の可動艦とともに国外へ移動した。しかし、ビゼルトにおいてギェニェラール・コルニーロフは他の艦とともにフランス政府によって抑留された。1924年10月29日にフランス政府はソ連を承認したが、複雑な国際情勢から旧ロシア艦隊の抑留艦はついに帰国することはなく、1920年代末に「金属鉱石取引」会社に解体のため売却され、作業は1933年フランスのブレストにおいて完了した。
[編集] 要目
- 排水量:7070 t
- 全長:134.1 m
- 全幅:16.61 m
- 喫水:6.81 m
- 発動機:垂直蒸気機関 ×2、ボイラー ×16、スクリュー ×2、19500 馬力
- 速度:21 kn
- 航続距離:1210 浬/21 kn、3300 浬/12 kn
- 乗員:565 名
- 武装:45 口径152 ㎜連装砲 ×2、同単装砲 ×8、50 口径75 ㎜単装砲 ×12、7.62 ㎜単装機銃 ×4、381 ㎜水中魚雷発射管 ×2、遮断機雷 ×150
- 装甲:
- 甲板:35 ㎜
- 戦闘司令塔:140 ㎜
- 砲塔:90 ㎜~125 ㎜
- エレベーター:35 ㎜
[編集] 同型艦
- ボガトィーリ
- オリェーク
- パーミャチ・ミェルクーリヤ(1907年4月7日までカグール、その後パーミャチ・ミェルクーリヤ、ヘーチマーン・イヴァーン・マゼーパ、1922年12月31日からコミンチェールン)
- オチャーコフ(1907年4月7日までオチャーコフ、その後カグール、1917年4月13日からオチャーコフ、1919年9月からギェニェラール・コルニーロフ)
[編集] 関連項目
- 艦について
- ボガトィーリ級防護巡洋艦
- 軍関係
- 国家関係
- 情勢
- 艦名について
- オチャーキウ
- カグール
- ラーヴル・コルニーロフ