ウィリアム・ジェームズ
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ウィリアム・ジェームズ(William James、1842年1月11日 - 1910年8月26日)はアメリカを代表する哲学者・心理学者。パースやデューイと並ぶプラグマティストの代表として知られている。弟は小説家のヘンリー・ジェームズ。著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に及んでいる。
日本の哲学者、西田幾多郎の「純粋経験論」に示唆を与えるなど、日本の近代哲学の発展にも少なからぬ影響を及ぼした。
[編集] 生涯
ジェームズは神学者の息子として、ニューヨークに生まれた。1855年に、一家はヨーロッパへ移転。パリ・ジェノヴァなどで過ごす。
1858年にアメリカへ帰国。1860年に画家を志し米国一流の画家であったウィリアム・モリス・ハントの門に入ったが半年で才能がないことを自覚して断念。シラキューズ大学卒。1865年に博物学者ルイス・アガシのブラジル探検に参加した。そこで生物学に興味を持つようになり、ハーバード大学で医学を学び解剖の技術を身につけ、1872年に学位を取得。ハーバード大学で生理学・解剖学や心理学を講じる。
1875年には、アメリカでは初めて心理学の実験所を設立。米国史上初の心理学の教授となる。やがて、スペンサーの哲学に興味を抱き、生理学だけでは、人間の精神状態を説くのに十分でないと疑問を抱きはじめ、哲学の道を歩むことになる。
心理学の研究と並行して、1880年には、ハーバード大学で哲学の助教授に。1885年に同教授に。
1890年には、『心理学原理』、1897年には『信ずる意志』、1901年には『宗教的経験の諸相』をそれぞれ刊行。1904年には『純粋経験の世界』、1907年には、『プラグマティズム』を刊行。当時のアメリカを代表する哲学者になった。
1910年に、心臓病で死去したが、その後、遺作といえる『根本的経験主義』(1912年)『哲学の諸問題』(1911年)が刊行された。
生涯の多くをハーバード大学の教授として過ごした。また、ヨーロッパ各地へ旅行し、フランスのアンリ・ベルクソンやウィーン学派の人々などとも交流を深め、自身の哲学にも影響した。ジェームズを通して、ルノヴィエ、ホッジスン、フェヒネル、チャールズ・サンダース・パース、サンタヤナ、パピニ、シラー、ジョン・デューイ、ミュンステルベルク、パウルゼン、ブゥトルーなどの新旧の思想家がアメリカ学会に紹介された。当時アメリカで出版されたばかりの内村鑑三『余はいかにしてキリスト教徒となりしか』に興味を持ち、それを推薦した人からもらった感謝状が残っている。教師としての業績も卓越しており、ソフトで魅力的な語り口のジェームズの講義は、当時の学生たちを虜にしたといわれている。作家のガートルード・スタイン、ジャーナリストのジョン・リードなどが彼の講義をうけている。
[編集] 哲学
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[編集] 外部リンク
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