進ぬ!電波少年
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進ぬ!電波少年(すすぬ!でんぱしょうねん)は1998年1月11日~2002年9月29日まで放送された日本テレビ系列のバラエティ番組。
「進ぬ」とは、前番組「進め!電波少年」の「め」の払いの部分を延ばした字であり、リニューアルしたことを示している。オープニングタイトルでも最初に「進め!電波少年」が表示され、「め」の部分が「ぬ」に変わっていくアニメーションが使われた。スタッフ、内容方針は基本的に前番組と同じであるが、松村がいないことと、アポ無しロケが行われず若手タレントの挑戦企画がほとんどとなった点において異なる。また、「雷波少年」という姉妹番組がほぼ同時期(1998年4月5日~2002年3月31日)に放送された。
[編集] 概説
司会は松本明子とチューヤン。(チューヤンは1999年1月から。松本明子は1999年1月~3月まで降板)また、2000年、松本明子が妊娠中でこの番組の司会を一時的に休業していたが、その際には代役として女優の室井滋が起用された。
前シリーズ進め!電波少年のヒッチハイクを主とした後半の流れを受け継いで、ほぼ無名に近い若手タレントらを体当たりで合宿方式を用いた企画シリーズを展開した。
特に「なすびの電波少年的懸賞生活」、「朋友のアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」、「Rマニアの電波少年的無人島脱出」、「電波少年的スワンの旅パート1(愛媛→東京)」などの企画は好評を博し、98年8月16日、9月13日放送分では視聴率30.4%を獲得するなど、日本テレビの看板番組の一つとなり、日曜朝に「雷波少年」(1998年4月5日~2002年3月31日)という姉妹番組も作られ人気を得た。 だが、後半はヒッチハイクも世界中行き尽くして行くところが無くなり、人気を博していた企画や人材が出なくなったこと(なすびや松村邦洋など)、新しい企画も多数作られるものの以前ほど秀逸なものがなくなり、相次いで短期で終了、以前のような長期に渡る看板企画が無くなり徐々に視聴率が下がっていくことで、それまで見過ごされていた土屋プロデューサーの強引な手法にも非難が集まり始め、2002年9月29日に終了した。直後に「電波少年に毛が生えた 最後の聖戦」(毎週土曜 22:00~22:54)として短期間枠を移したがそれも終了した。
[編集] 非難の理由
土屋敏男プロデューサーが、アイマスク、ヘッドフォンを無名芸能人に付けさせてその挑戦させる場所へ連れて行く手法(脱走しない様にスタッフが手錠を付けた説もある。)や好評だった懸賞生活やスワンボートの旅がせっかくゴールしたのに企画をエスカレートしてさらに続行させた事で、「無名芸能人の挑戦」路線を続ける番組の方針が視聴者の反発を招き、番組自体が飽きられるようになる(ただし、スワンボートの場合は第1弾で東京での到着が遅れてしまったぺナルティーで仙台に行かせた。)。その上、過酷な企画が多かったにもかかわらず、その割に終了後の見返りが少なかった事も批判を招いた。
1999年末には同番組が特番「行け年!来い年!」で21世紀の年越しカウントダウンを担当したが、土屋の意見で「故意に2分間早める」という演出を行い、視聴者やメディアから非難を受けた。番組内では短い「お詫び」のようなものがあったが、翌年正月には「わけあって今年はカウントダウンやらせてもらえないのね~んスペシャル』と名うって最後までおどけてみせた。 さらに年末の特別番組内にて、「電波少年的80日間世界一周」企画のゴール地点をハガキで選ぶことになり、当時のフジテレビ社長日枝久(現会長)名義の偽ハガキをもとにゴール地点をフジテレビのスタジオに作り上げたが、フジテレビ周辺や関係者を混乱させ問題となり、他の放送局からモラルが問われることとなる。これ以降はTBSの世界ウルルン滞在記や、フジテレビの情報番組などに視聴率を奪われて番組視聴率は低迷していった。 「アポなし」路線のころから言われていたことではあるが、『低俗番組』のレッテルを貼られ、番組は衰退に向かう。これは、既に番組自体が視聴者に飽きられ始めていたことを暗示していた。
番組終了の原因の1つとして北朝鮮問題の影響も取りざたされている。○○的企画のお笑い芸人(コンビ)が仮面ライダーのショッカー戦闘員風のスタッフに取り囲まれて拉致されるパターンが、北朝鮮に拉致された日本人家族全国協議会から抗議されたため、と言う説もあるが、北朝鮮問題がどのように番組自体に影響を及ぼしたかわかっておらず、真相は不明である。
[編集] 主な企画
[編集] 電波少年的懸賞生活
進ぬ!電波少年第1弾の企画。都内のある部屋に若手芸人が集結。くじ引きで当たりをひいたなすびが挑戦。そのまま都内の某アパートへ移動し全裸になって企画スタート。ゴールは当選品の総額が100万円になった時で、開始から336日目(約11ヶ月)で100万円達成。その後韓国の懸賞生活に挑戦する。ちなみに、そのくじ引き会場には後に有名になるまちゃまちゃもいた。詳しくは電波少年的懸賞生活を参照。
[編集] 電波少年的アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクの旅
懸賞生活と同時期にスタートした企画。俳優を目指していた伊藤高史がアイマスクをかけられ移動される。そして着いた先には当時香港でDJだったチューヤンが合流して挑戦。スタートは喜望峰で、ヒッチハイクで縦断し、ゴールはヨーロッパ最北地。
途中で戦争による危険地帯等に阻まれ進む道を絶たれたことがあった。そのとき、今後の行く末をどうすればいいか視聴者にテレゴングでアンケートした結果「飛行機を使って危険地帯を避けるべき」という答えが最も多かったことを2人に伝える。その結果、2人で相談してそこだけは飛行機による移動となった。
また、久保田利伸に応援歌を作ってもらったり、伊藤が砂漠で脱水症状で倒れたりと波乱のドラマがあった。
[編集] 電波少年的ハリウッドスターへの道
上記の「電波少年的アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクの旅」に続く企画。伊藤高史がハリウッド映画で台詞つきの役をもらうことを目標とするが、数日で伊藤が逃げ出したため、中止となった。
[編集] 電波少年的全米デビューへの道
- 小室哲哉から破門され当時あまり仕事に恵まれていなかった華原朋美が自力だけで全米でCDデビューすることを目指し、ゼロからスタート。(ちなみに、Tプロデューサーが来たときはゲストとしての出演依頼と半ば勘違いしていたらしい。)
- 現地では「日本の歌手である」ことも通用せず、開始当初は絶望的ともいえる企画ではあったが、ボイストレーニングやオーディションなどを経験し、半年後、『Never Say Never』でデビューを果たし帰国した。
[編集] 電波少年的無人島脱出→スワンの旅→スワンの旅in the World
- 都内某所を歩いていたRマニアがTプロデューサーに「メシでもどうだ?」と声をかけられ、そのまま連れ去られる。着いた場所は無人島(由利島)。
- ゴールの条件は、「自分達で筏を作り、それで東京まで帰ること」というルールだった。筏で脱出は4ヶ月で達成したが、その後、着いた場所が二神島で、Tプロデューサーの「東京までの足は用意してあるから」という発言で、そこからスワンボートに乗って東京まで帰る羽目になる。
- 2ヶ月かけて東京まで着いた。そのときに生放送の電波少年スペシャルの前説をすることになっていたが、放送開始までに辿り着けなかったため(放送中にゴールした。)、今度はミヤギテレビで前説の仕事があると、仙台まで行かされる羽目になる。仙台にはやはり2ヶ月かかった(当時は秋~冬にかけての天気だったため、北風で海が荒れて出航できなかった日も少なくなかった)。
- その後東京まで戻りゴール報告する間もなく、ニセ番組のロケでインドへ飛び立つ。そして電話で「ロケの場所はインドネシアだった」と言われ、結局スワンボートでインド→インドネシアを航路することになる。インドネシアへは10ヵ月後に無事ゴール。(ただし、この企画でも途中スワンボートによる移動ができない地域を経由しなければならなかったため、飛行機による移動とヒッチハイクがあった。)
[編集] 電波少年的ハルマゲドン→電波少年的ハルマゲドン2
- 来るべき「1999年7の月」の後、21世紀にお笑いを残すという目的でポプラ並木がシェルターを地中に埋めるために穴を掘るという企画(その間の生活費等は自給自足)。しかし、そのハードさから途中で脱走。その後、リタイアを申し出る。
- しかし、お笑いを残すより先に、種を残す必要があるとして、今度は男女2人(蛭子直和、真中瞳)がこの企画に挑戦。リタイアしたポプラ並木も途中から手伝い、見事穴は掘り終わってシェルターは埋められた。そのあと、2人がこのシェルターに入るかどうかをパンチDEデート風に意思確認(本家に出演していた西川きよしと桂三枝も登場した)。結局2人ともシェルターに入る意思はなかったが、最後にキスをして別れるという結末に終わった。
[編集] 電波少年的浪花恋しぐれ
- 三原麻衣子
- 原田慎治(クールズ)
- 原田は芸の道を極め、三原は内職で支え、クールズの単独ライブ資金100万円を目指す。
- スタート時点での体重が110キログラムある三原のダイエットも並行して行われ、1キログラム減量するごとに1万円のボーナスが支給される。ただし、増加した場合は返金しなくてはならない。
- テーマは「芸のためなら女房も泣かす」何かあるごとにこの歌詞が入った「浪花恋しぐれ」を歌うことになっていた。
[編集] 電波少年的超能力生活
「人は超能力だけで生きていけるか」をテーマに安田ユーシが挑戦。ゴールは「スプーンを曲げる」(部屋にはユリ・ゲラーの「スプーン曲がれ」と書いた習字が飾ってあった。)この企画で安田に「5つのカードの中から特定のカードを当てる」能力がある事がわかる。企画はユリ・ゲラーの助けを借りながらスプーンを曲げることに成功して終了。しかし、ユリ・ゲラーの習字の下には「地球まもれ」という習字が隠されており、後の地球防衛軍へとつながる…
[編集] 電波少年的地球防衛軍
「電波少年的超能力生活」から派生。
- メンバー
[編集] 電波少年的80日間世界一周
- 真中瞳、チューヤン
- 世界名作文学シリーズ第1弾。タイトルの元ネタはジュール・ヴェルヌの小説「八十日間世界一周」
- サンフランシスコからスタートし、東回りで80日以内に東京に帰ることを目指す。
- 世界のどこでもEメールを受信できるイリジウム・ページャーを使い、視聴者から提供される情報を頼りに旅をする。
- 大晦日にゴールすることとなり、ゴール地点は視聴者の自宅ということでハガキを募集していたが、日枝久フジテレビ社長(当時)のハガキをひいた(という設定)ことから、ゴールはお台場フジテレビとなってしまった。当時他局間での番組のコラボレーションもなく、フジテレビ側もそのことを把握していなかったようで、問題になった。
[編集] 電波少年的箱男
- 川元文太(ダブルブッキング)
- 世界名作文学シリーズ第2弾。タイトルの元ネタは安部公房の小説「箱男」。
- 120cm×120cm×120cmの鉄製の箱に入り、鹿児島の佐多岬から東京までの約1500キロメートルを箱を押してもらうという、人の善意に頼った企画。その過程で出会った人々との交流を通して人の優しさに触れ、人を信じることが出来ないという川元に少しでも信じられるようにすることを狙った。ゴールまでふたは溶接され、箱から出ることは出来ない。また、外部とのコミュニケーションは箱にあるメッセージボードでしかできない。
- 企画を開始して間もなく、狭い道路では自動車が箱を避けるために交通渋滞が起きるようになった。これに対して鹿児島県警察より道路交通法 第七十六条 第三項(何人も、交通の妨害となるような方法で 物件をみだりに道路に置いてはならない。)に抵触すると番組スタッフが注意を受け、ルールを変更。箱を私有地に設置して、私有地内を1500キロメートル分移動すればゴールとなった。
- どんな親切を受けても礼を言わず、それどころか文句や罵倒の言葉しか出ない川元に対する視聴者の評判は悪く、ビタミン剤と称して下剤を飲ませる女性や、人気のない山奥に箱を置き去りにする不良が現れるなど嫌がらせが続いた。
- 子供や比較的気が合う人物が相手の時には、相手を思いやる様子も時折見られた。
- 企画の進展がほとんどないまま数ヶ月が経った頃、川元と交際中の女性が現れ、数時間に渡って箱を押し続けた。これに対して企画が始まって以来初めて「ありがとう」の言葉が出た。本来の目標とはほど遠いが、これをもってゴールと見なし、それまで開くことのなかった箱が開き、企画は終了した。
- また、川本を応援するために山崎ハコ作詞・作曲による歌をつくり、室井が歌ったこともある。
[編集] 電波少年的愛する二人別れる二人(やらせなし)
- どーよ
- フジテレビ系で放送され、やらせ問題により打ち切られた「愛する二人別れる二人」のパロディー企画。しかし、内容は本編とは異なり、仲の悪くなったある夫婦と犬に扮したどーよが1ヶ月間共同生活をし、離婚するのか否かを決定するというものだった。
- 後に「番組をパクっている」とフジテレビに抗議される。ところがフジはその後、「トロイの木馬」という電波少年にそっくりな番組を放送。電波少年はナレーターの木村匡也に「次なる企画は『電波少年的トロイの木馬』!!…あれ~?」と語らせ、フジテレビを挑発した。
[編集] 電波少年的東大一直線
- 坂本ちゃん(挑戦者)
- 唐木恵子(家庭教師)
- 「大学に行きたい!」と強い思いを抱く若手芸人が東京大学合格を目指して勉強に励む企画。
- 当初はカズマキの小倉一真が選ばれていたが、二度の脱走の末リタイアした為、「雷波少年」プロデュースのイベントに参加していたアルカリ三世(当時)の坂本ちゃんが新たな挑戦者になった。
- その後、家庭教師として東大出身のケイコ先生も加わり、日夜勉強に励んだが、残念ながらセンター試験での成績が振るわず、東京大学2次試験出願を断念。下記の「どこでもいいから一直線」に移行した。
[編集] 電波少年的東大どこでもいいから一直線
- 東京大学を断念したものの、その成績の向上を無駄にすべきではないということで坂本ちゃんが、どこでもいいから大学に合格するという目標に切り替えて再スタート。
- 15の大学を受験した結果、8大学に合格。その中から日本大学に入学する事となった。
[編集] 電波少年的○○人を笑わせに行こう
- 矢部太郎(挑戦者)
- 笑わせる対象はアフリカ人(ケニア)→モンゴル人→韓国人→オランウータン→日本人→コイサンマンと変わった。
- 最初は坂本ちゃんの部屋で行われ、韓国人ではなすびの懸賞生活の部屋、コイサンマンではアフリカで行われた。
- 食事の前に会話テストが行われ、(アフリカ人、モンゴル人では現地人が部屋に来て問題を出題、韓国人では部屋に置いてあるテレビに出演した人が出題)正解すると食事ゲット。
- モンゴル人では、現地の家族とともに生活した。
- 食事の内容はアフリカ人では「アフリカ駄洒落飯」(アフリカだけにアフリイカ(あぶりイカ)定食など、後に苦しくなってきたため、視聴者から募集した)、モンゴル人では現地人が作った料理(会話テストに失敗すると出題者が矢部の料理を没収)、韓国人ではテストの合否にかかわらず青唐辛子が食べられたが、テストに合格したときは焼肉のみ(毎日でもいいといったことから)が出た。コイサンマンでは一緒に生活している現地人の食事が食べられる(現地人の料理である草団子を食べたとき悲鳴を上げていた)。
[編集] 電波少年的15少女漂流記
「電波少年的おニャン子だったりモー娘だったり…」で集められた15人が強制参加。久保田利伸の「Vibe Survive」の振り付けを間違えて踊った為、とある無人島に島流しされた。後にリタイアしなかった8人でグループ名を『8/15』(エイト・パー・フィフティーン)として改めて「Vibe Survive」を披露した。
- 15カ国少女漂流記
「15少女漂流記」と同じ条件で、他の14カ国の少女と、自力での無人島脱出を目指す。無人島はカンボジア領の一無人島である事が後に判明した。ヨーロッパ出身の参加者の態度が問題視されていたが、後になって製作局が全く違う内容のテロップを流していたり、やらせを強要していたという告発があった(番組では否定)。「進ぬ!電波少年」の最後を飾るはずのこの企画は、「電波少年」シリーズを終焉に向かわせていった。
[編集] 電波少年的アンコールワットへの道の舗装
もともと「日本の新成人が熱い!」ということで新成人を対象に募集していた。その条件の中に「突然いなくなっても大丈夫な人」とあった。そのほか「何かひとつのことをやり遂げたい人」としても募集していた。カンボジアのある地点からアンコールワットまでの道を舗装する企画。1km舗装するたびに日本円で10000円生活費が支給される。12人から始まり、途中脱落者もありながら最後は、「電波少年的 インターポール」のメンバー(髭男爵のピュアぞー、宴人の川合正悟、アルカリ三世の添野豪)を投入。見事舗装完了した。この企画からTプロデューサーが「T部長」となった。また、この企画はカンボジア政府から表彰され(電波少年シリーズにしては珍しいが)視聴者からも、高評価を得た。
[編集] 電波少年的ペナントレース
- 雷波少年の「雷波少年系熱狂的巨人ファン」や「雷波少年系熱狂的巨人ファンvs阪神ファン」「雷波少年系熱狂的巨人ファンvs中日ファン2000」からの派生企画。
- セントラル・リーグの球団ファンの芸人6人が集結し、2002年のシーズンを通してファンのチームを応援する。
- 順位にあわせた6つの部屋があり、その内装は順位が下がるごとに質素になる(同率の場合は得失点差で決まる。人気者で行こう!の「芸能人格付けチェック」を基にした)。また、順位が下がれば全裸に近づく(4位以下は下半身全裸となる)。
- 1位…「ゴージャスな部屋」。床はカーペット、照明はシャンデリア、寝具はベット、家具はいすとテーブル。フルのユニフォームを着る。
- 2位…「控えめな和室」。床は畳、照明は蛍光灯、寝具は布団、家具は和机、1位の服装からズボンを脱ぐ。
- 3位…「ワイルドな空間」。床はフローリング、照明は裸電球、寝具は寝袋、家具はちゃぶ台、2位の服装からさらに上着を脱ぐ。
- 4位…「床一面すのこ!これは贅沢…」。床はすのこ、照明はランプ、寝具は座布団、家具はみかん箱、3位の服装からさらにブリーフを脱ぐ。
- 5位…「斬新な部屋」。床はむしろ、照明はろうそく、寝具、家具はダンボール、4位の服装からさらにアンダーシャツを脱ぐ。
- 6位…「何もない部屋」。床は土間。照明、家具はなし。寝具は新聞紙、5位の服装からさらにソックスを脱ぐ(全裸)。
- 部屋の名称は携帯サイトによる
- 各部屋にそのチームのプレートが張ってあり、試合が始まるとそのプレート部分が下に下がり、テレビが現れる。音声はヘルメットに付いたヘッドフォンから流れる。
- 試合に勝てば1日3食ゲット(近所の定食屋からの出前が取れる)。負ければ勝つまで食事抜きとなる。翌日が移動日・中止により試合が無い場合、その日の勝敗に引き続き食事の有無が決まる。
- 3連勝すると「ボーナス箱」、3連敗すると「ドクロ箱」を引き、指示に従う。
- 勝敗に関係なく、その日のチームが打ったホームラン1本につき「ホームランバー」獲得。負け続けたチームのファンはホームランバーが命綱となった。
- 1位と2位が10ゲーム差以上になった場合、2位以下のチームが1位のチームの試合を見る。1位のチームが勝つと2位以下のチームは食事抜きとなり、1位のチームが負けると2位以下のチームが食事ゲット。
- 1位にマジックが出た場合、2位以下のチームが全裸になり6位部屋で1位のチームの試合を見る。マジックが減ると2位以下のチームは食事抜きとなり、マジックが減らないと2位以下のチームが食事ゲット。
- 当初は6人6様の応援が見られたが、横浜ベイスターズファンのモンモン(浅井企画所属)が5月の長期連敗によって11日間食事抜きとなり、ドクターストップでリタイア。その後、チアガールオーディションを開くも、「全裸になりたくない」との理由から女性応募者ゼロ(女装したモンモンが応募しようとオーディション会場に現れるが、その後二度と現れなかった)。残りのシーズンは5人での応援となった。
- 6月に阪神が長期連敗し、阪神ファンの菊池がモンモンを越える14日間食事抜きとなり、ドクターストップを宣言された。このとき、これ以上仲間が消えるのはいやだと、巨人ファンの松井が食事を譲るなど全員が阪神を応援した。そして、阪神は「負ければ本当にリタイア決定」となるラストチャンスの試合に勝利し、菊池はかろうじてリタイアを免れた。
- ボーナス箱特典の「負けた翌日の特別定食」として、阪神には「かち割り定食」(かち割り10袋とライス)、ヤクルトには「ヤクルト定食」(ヤクルト10本)があった。
- 2002年は読売ジャイアンツが優勝し、巨人ファンの松井成行(シンデレラエキスプレス)が「巨人とビールかけ」、原の胴上げ→カヤック紅海→カイロとV旅行を味わった。
- T部長曰く「パ・リーグ版もやりたかった」。
- 参加ファン
ファン球団 | 所属事務所 | ファン名 |
読売ジャイアンツ | 松竹芸能 | 松井成行(シンデレラエキスプレス) |
阪神タイガース | ホリプロ | 菊池保博(007) |
ヤクルトスワローズ | ホリプロ | 山本洋兵(こてんぱん) |
中日ドラゴンズ | 人力舎 | 大津つよし |
広島東洋カープ | サンミュージック | うめ(楽天) |
横浜ベイスターズ | 浅井企画 | モンモン |
[編集] 電波少年的放送局
- 室井滋が部屋の中でシーエス日本で開設した放送局のテレビ番組を行う。部屋のドアは溶接されているため天井からのブランコを使わないと出られない。さらに室井が出られないときの代役として唐木恵子、羽田実加が出演した。また矢部太郎がFOMAを使って面白いことをレポートしていた。ちなみに試験放送中は「たぶん世界で一番難しいクイズ番組」であった。(出題から回答までの時間が2日以上あり、その間、ずっとスタジオにいなければならない。当然、食事は出ない)
[編集] 電波少年的インターポール
- 髭男爵のピュアぞー、宴人の川合正悟、アルカリ三世の添野豪、第3別館の村山匠がインターポール荘に入る。4人のうち1人が海外へ派遣される。4人には偽企画「電波少年的あぁ美しき人生」ということにしておき、読書をさせる。海外へ派遣された人がその場所であう犯罪を見て被害にあわないように勉強しようという企画である。食事はカツ丼のみ(取調室で出されるものに由来)だったが、それに耐えられず1人がリタイヤしたため、カツライスがメニューに加わった。残りの3人はその後脱出をかけて「巨乳ジャンケン」をしたが、不正(胸にシリコンが入っていた)のためノーカウント、その後「そっくりさんジャンケン」も失敗に終わり、その後「アンコールワットへの道の舗装」に行った。この企画終了後、帰りの車とは別に添野のみが別の車で拉致された。その後の添野の様子は放送されていない(その企画は辞退したものと思われる)。
[編集] エピソード
- タイトルを「進ぬ」にした理由の一説には、「アポなし」企画における暴走行為により様々な迷惑を起こしてきたため、今後は暴走を慎むため、「進まぬ」と戒める意味でつけられたと言われ、それまで番組に大きく貢献しながらも番組降板余儀なくされた松村邦洋にの功に報いるため別物にしたという説もある
- 2001年5月に番組プロデューサー土屋敏男は日テレの編成部長に昇進。通常であれば降板となるが、土屋はその後も関わり続けた。
- 番組終了後、編成部長であった土屋は表舞台からを消していたが、2005年6月には日本テレビの局次長に昇進し、局からその番組作りの功績が認められた形となった。今でもこの番組を懐かしむファンは多いが、彼が第一線から身を引いたことでこの続編が作られることは難しくなった。ただ、彼の著書「電波少年 最終回」ではスタッフが70歳ぐらいになったらもう一度、電波少年を3ヶ月程度やりたいと言っている。
[編集] 同番組出身のタレント
- 朋友(パンヤオ) (チューヤン・伊藤高史のコンビ)「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」
- 坂本ちゃん・唐木恵子「電波少年的
東大どこでもいいから一直線」 - なすび「電波少年的懸賞生活」
- 真中瞳「電波少年的ハルマゲドン2」、「電波少年的80日間世界一周」
- Rマニア(ロッコツマニア)「電波少年的スワンの旅」シリーズ
- 矢部太郎(カラテカ):「電波少年的XX人を笑わしにいこう」シリーズ
- 川元文太(ダブルブッキング)「電波少年的箱男」
- 黒沢宗子(森三中)「電波少年的15少女漂流記 → 8少女漂流記」
- いとうあさこ「電波少年的15少女漂流記 → 8少女漂流記」
- 斉藤ゆり(地球防衛軍ピンク)「電波少年的地球防衛軍」「電波少年的15少女漂流記 → 8少女漂流記」
[編集] ネット局の状況
放送時間は日曜22:30~23:00だが、中京テレビ(P.S.愛してる!(現:PS))、よみうりテレビ(大阪ほんわかテレビ)、広島テレビ(進め!スポーツ元気丸)、福岡放送(ナイトシャッフル)は、ローカル番組放送で遅れネット放送。
福井放送、秋田放送、四国放送はナショナル劇場の遅れ放送のため。
特番を除いて最後まで同時ネットされなかったのは、進め!電波少年と同様。なお、2000年9月まではスカイパーフェクTV!のCS★日テレでも放送されていたため前述に挙げた遅れネット局の地域でもリアルタイムで見ることができた。
※()内は差替え番組名。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
「電波少年 最終回」 土屋敏男著 日テレより2001年10月発売
[編集] 外部リンク
- 日本テレビ電波少年公式サイト
- 電波少年企画リスト(ファン作成)
日本テレビ 日曜夜10時30分枠 | ||
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前番組 | 進ぬ!電波少年 | 次番組 |
進め!電波少年 | 別れてもチュキな人 |