藤原敦忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
藤原 敦忠(ふじわら の あつただ、延喜6年(906年) - 天慶6年3月7日(943年4月18日))は平安時代中期の公家・歌人。本院左大臣藤原時平の三男。母は在原棟梁の娘(本康親王皇女・廉子とも)。三十六歌仙の一人。通称、枇杷中納言・本院中納言。
蔵人頭を経て、929年(天慶2年)参議となり、932年(天慶5年)従三位権中納言に至る。琵琶中納言・本院中納言とも呼ばれた。美貌であったとされ、和歌のほかに管絃にも秀で、比叡山の西坂本に音羽川を引き入れた別業(別荘)を有していたという。「後撰和歌集」や「大和物語」などに、雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)ほか多くの女流歌人との贈答歌が残されている。