源経信
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源経信(みなもとのつねのぶ:1016年-1097年閏1月6日)は、平安時代後期の公家・歌人。父は源道方。母は源国盛の娘。
1062年(康平3年)右中弁となり、以後蔵人頭などを経て、1067年(治暦3年)参議となる。1083年(永保3年)権大納言に進み、その間大蔵卿・民部卿を兼任している。1094年(嘉保元年)太宰権帥に任命され、翌1094年現地に下向し、1097年(承徳元年)大宰府で没している。
詩歌・管絃にひいで、また有職故実にも詳しかった。1041年(長久2年)の「祐子内親王家名所歌合」をはじめとして、多くの歌合に参加している。藤原通俊が撰集した「後拾遺和歌集」に対して「後拾遺問答」・「難後拾遺」を著してこれを批判した。
「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「経宣集」、日記に「帥記」がある。