東武8000系電車
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8000系電車(8000けいでんしゃ)は、1963年(昭和38年)から導入された東武鉄道の通勤形電車である。
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[編集] 概要
沿線人口の急増による乗客増への対応と旧型車両の置き換えを目的として開発され、1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで(1975年(昭和50年)のみ新製車両なし)、約20年もの長期にわたって712両が製造された。ただし製造年次により細部には様々な差異が生じている。大手私鉄の電車としての一系列の最多生産記録を1970年代以来保持している。
製造メーカーはナニワ工機(1970年アルナ工機に改称、2002年からはアルナ車両)を中心に、日本車輌製造東京支店、汽車製造会社、富士重工業、東急車輛製造の計5社である。ただし、汽車会社は1963年製の初期車2編成のみ製造、日本車輌は1971年の東京支店工場閉鎖を機に製造から外れ、代わって東急車輛が1973年より加わっている。
2・3・4・6・8両編成が存在し、組み合わせによってローカル線区の2両から伊勢崎線北千住口・東上線の10両まで、柔軟な運用が可能である。
2006年(平成18年)現在も製造された大多数が残存し、東武のほとんどの路線で使用されている。その中でも野田線は2004年(平成16年)10月19日のダイヤ改正からすべての列車が8000系で運用されている。
[編集] 私鉄最多量産車
その両数の多さと長期にわたる生産期間から、やはり20年間に3,000両超が製造された国鉄103系電車になぞらえて「私鉄の103系」と呼ぶ向きもある。かつての東武の看板列車である日光線特急用1720系デラックスロマンスカーが私鉄では異例の長期使用車両であったことと並んで、東武の保守的イメージの象徴でもあった。
あまりの膨大な車両数から、車両番号が本来の4桁では足りなくなり、5桁の車両番号を持つ車両が登場した。通称「インフレナンバー」と呼ばれており、そのうち最大の車両番号は81115Fの「サハ89116」(読み方は「さははっせんきゅうひゃくのひゃくじゅうろくごう」)である。
[編集] 仕様
- 定員:Tc1・2(制御車)=150名、他=170名
- 自重:Tc1・2=26t、T(付随車)=32t、M(電動車)=39t
- 制御装置:電動カム軸超多段式直並列バーニヤ抵抗制御器 VMC-HT-10A・20A(日立製作所製)
- 制動装置:電磁直通空気制動(HSCブレーキ)
- 駆動装置:TD撓み板継手中空軸平行カルダン駆動
- 補助電源装置:電動発電機(CLG-350D,140kVA/CLG-355,75KVA)、ブラシレス電動発電機
- 設計最高速度:110km/h
- 営業最高速度:100km/h
- 起動加速度:2.23km/h/s
- 減速度:3.7km/h/s(常用)/4.5km/h/s(非常)
- 車両:長さ=20,000mm/横幅=2,850mm/高さ=4,200mm
- 冷房能力:42,000kcal/h/車両
- 台車:TRS-62M・TRS-62T(1963~1974年製)・TRS-75M・TRS-75T(1976~1983年製)(すべて住友金属工業製)
- 歯車比:5.31
- 主電動機:モハ8200・8300形のMMユニット=TM-63/モハ8500・8800形=TM-64形 直流直巻電動機
- 出力(kW×個数):130×4
[編集] 基本構造
車体は全長20m・両開き4扉の普通鋼製で、徹底的な軽量化が図られた。軽量化と車体強度を両立させるため、1963年頃の日本の電車としては珍しく、戸袋窓が設けられていない。前面はそれ以前の東武の通勤形電車と同じく貫通式だが、衝突事故に備えて高運転台構造とし、屋根も深くなっている。窓下の2灯式前照灯や額部の行先表示器は、1961年に運行開始した帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線乗り入れ車2000系の影響が強い。
伊勢崎線・日光線・鬼怒川線での長距離運用も想定し、通勤車ではあるが座席奥行きを深く、クッションを柔らかくして長距離客にも配慮している。客用ドアは製造当初からステンレス製であったが、1974年製までは内側がベージュ色に塗装されていた。1976年製以降は内側の塗装が省略された。
足回りは、滑らかな加速が得られる超多段式のバーニア抵抗制御と、設計当時としては強力な130kWモーターを組み合わせ、コストダウンと走行性能を両立させた。ブレーキは車輪を締め付ける空気制動のみの簡素な設計だが、新開発のレジンシューの採用で必要な制動力を確保している。発電ブレーキ省略措置は、高加速・高減速を必ずしも必要としなかった当時の東武鉄道の路線条件を考慮しての合理的発想である。抵抗器容量を減らし、制御装置も簡素化することで、軽量化による加速力向上や電力消費抑制、モーター負荷抑制、コストダウンを目指した。
また、4両編成と2両編成でモーターや制御装置の仕様を変えるという手の込んだ策を採り、編成長に関わらず、常に編成内の電動車と付随車の比率(MT比)が経済的な1:1構成になるように設計されている。6両固定編成は、4両編成1組と2両編成1組をセットにしたのと同じ機器配置となっている。
[編集] 制御装置
日立製作所製のVMC超多段型制御器(バーニア制御器)。電動カム軸式である。
力行のみ54段(直列24、並列21、弱界磁9)。発電ブレーキを省略して極力簡素な構成とし、なお且つ超多段制御で加速をスムーズにした。
- モハ8200・8300:VMC-HT20形 1C8M(制御器1基で電動車2両分8個のモーターを制御)
- モハ8500・8800:VMC-HT10形 1C4M(制御器1基で電動車1両分4個のモーターを制御)
[編集] モーター
中空軸平行カルダン駆動方式・補償巻線付の130kWモーターで、1963年時点では日本の狭軌鉄道用として最強クラスのカルダンモーターであった。制御回路の都合上4両編成用と2両編成用で端子電圧などの仕様を違えているが、130kWの定格出力、定格回転数1,750rpmなど特性は極力揃えてある。
同じモーターが6000系や1800系では最弱め界磁率20%で使用された(歯車比も同じ)が、8000系の場合は30%にとどめてある。
メーカーは日立製作所(記号はHS)と東洋電機製造(記号はTDK)の2社で共通設計とした。「TM」は東武独自のモーター符号である。
- モハ8200・8300(8個制御対応):TM-63(端子電圧375V) 日立HS-836-Srb、東洋TDK-845-A系
- モハ8500・8800(4個制御対応):TM-64(端子電圧750V) 日立HS-836-Trb、東洋TDK-845-B系
[編集] 台車
住友金属工業の空気バネ台車を一貫して用いているが、前期(1974年製以前)と後期(1976年製以降)で差異がある。
[編集] 前期形(ミンデンドイツ台車)
初期形の台車は揺れ枕吊り式ミンデンドイツ台車FS356形(付随台車は056形)で、東武独自の形式称号として「TRS-62形」の名称を与えられている。枕バネはベローズ式空気バネ、台車枠は鋳鋼製である。
ミンデンドイツ式台車は、ドイツ国鉄(現・ドイツ鉄道)のミンデン研究所で1930年代に考案されたもので、車軸の位置決めを軸受け前後に固定された板バネで行い、車軸の緩衝自体は別のコイルバネで行うという手法である。
日本には1950年代末に住友金属により本格導入された。高速走行時の特性が良好で、後に新幹線の台車にも改良されて採り入れられた実績があるが、長い板バネが前後のスペースを取り、台車が極端に大型化してしまう事や、組み立てや部品加工に高い精度が要求され、板バネ圧入に専用の機械設備を導入しなければならないのが生産技術的難点である。
この高級な台車を東武鉄道が導入した理由は「保守の省力化」であった。ミンデンドイツ式は摺動部分がないため摩耗が起こらず、メンテナンスの手間があまり掛からない。長期的なメンテナンス費用の低減を考慮すれば、高価な台車を採用しても収益の増進に資するという発想であった。
また、空気バネの採用も1963年当時高価であり、通勤電車用としては贅沢なものであった。これは快適性の追求面もされど、車体の軽量化によってより大きくなってしまった空車時と満車時との積空差の吸収が、金属バネでは困難になるという設計技術的側面が、自動的な車高調整機能を備える空気バネの採用を強く後押しした。ある意味「怪我の功名」ともいえるが、結果的に時代に先駆けて非常に優れた乗り心地と安定性を通勤電車で実現し、長期にわたる実用に耐えた同車の先進性の一要素といえる。
[編集] 後期形(S形ミンデン台車)
後期形は住友金属が自社開発したS形ミンデン台車FS-396形(付随台車は096形)となった(東武制式名称はTRS-75形)。台車枠ホイールベース間寄りから突き出した2段の板バネで車軸を固定するカンチレバー(片持ち式)レイアウトで、別体のコイルバネで車軸を緩衝するのはミンデンドイツ式と同じである。ミンデンドイツ式の弱点である「スペースを取り過ぎる」点を解消した構造で、主に私鉄の通勤電車用として1970年代以降盛んに用いられた。
枕バネについても、揺れ枕吊り構造をやめてダイアフラム形空気バネで車重を直接負荷する「ダイレクトマウント構造」を採用し、なおかつ台車枠も鋳造から鋼板プレス溶接となって軽量化された。
[編集] ブレーキ
HSC電磁直通ブレーキ(SMEEの非常弁部を自動空気ブレーキと置き換えた『High Speed Control』)ブレーキ方式(但し、常用自動空気ブレーキ機能は付加されていないタイプである)。発電ブレーキは装備せず、車輪を空気圧作動の制輪子(ブレーキシュー)で締め付ける「踏面ブレーキ」のみとして、機器類を簡素化している。
踏面ブレーキ単独だと、発電ブレーキ併用車に比して制動能力が劣る事になるが、ブレーキシューを従来の鋳鉄製から制動能力に優れたレジン(樹脂)製に変更する事で、ブレーキ力不足を補った。このため、停止時には独特の匂いが発生する。
しかし、踏面ブレーキのみに頼った制動は車輪の偏摩耗によるフラット現象を起こし易く、これによってしばしば乗り心地が悪くなる事は、8000系の恒常的弱点の1つである。
[編集] 冷房装置
当初は非冷房だったが、1972年製の8156Fから集約分散式の冷房装置が新製時より標準装備となり、それまでに製造された非冷房車も順次冷房改造工事が実施された。これに伴い、屋根上室外機のスペースを稼ぐためにパンタグラフが下枠交差式に変更されている。
冷房改造工事は当初西新井工場内の津覇車輌で行う計画だったが、同社は旧型車の3000系への更新工事で手一杯だったため、一部の工事はアルナ工機で行われた。3000系の更新が一段落すると、津覇車輌で冷房改造が行われるようになり、1984年までに冷房化を完了している。
[編集] その他
インチネジ使用とミリネジ使用の違い、台枠と外板の溶接方法の違い、床構造の違いなどの差異も多い。
[編集] 編成及びその概要
※以下の節では、編成の組成両数について4両編成は「4R車」、6両編成は「6R車」、8両編成は「8R車」、3両編成は「3R車」と表記し、個々の編成を表す場合は浅草・池袋方先頭車の車両番号の末尾に「F」(「編成」を意味する英語Formationの頭文字)を付して表記する。
[編集] 4R車
8000系の基本的編成で、1970年製の8155Fまで全て4Rで新造された。電動空気圧縮機(コンプレッサー)は当時の標準型のC-2000Mを装着する。後期はHB-2000CAとなった。
8101Fから8114Fまでは、1971・72年にサハ8700形-モハ8800形を組み込み、6R車グループに移った。この他に、修繕工事の際に2R車を中間車化改造し6R車化した編成が10編成、また、クハ8400形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成も存在する。
東上線系統には、ワンマン運転に対応した編成が6本ある(81107F・81109F・81111F・81112F・81119F・81120F)。
最近では後期4R車にワンマン改造工事を実施するため、初期車を本線から東上線へ転属させるケースが生じている。
- 編成(上り浅草・池袋側から):Tc(制御車)8100-M(電動車)8200-M8300-Tc8400
[編集] 2R車
支線区用または増結用として製造された。コンプレッサーはクハ8600形に7800系と同様の旧型機であるD3-FRを搭載するが、修繕工事などで新型のHS-20Cへ換装したものもある。1974年(昭和49年)製の8564F以降は、HB-2000CAが搭載されている。
8501Fから8580Fまで80編成製造されたが、修繕工事の際に中間車化改造されたうえで4R車に組み込まれた編成が10編成、またモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して4R車と共に事実上6両固定編成を組む編成も存在する。
東上線系統所属車のうち、8505F・8506F・8510Fには検査時や本線系統との車両転属時に該当車を牽引して秩父鉄道を走行できるように秩父鉄道のATSを搭載している。これらの編成はマスコンハンドルを10000系と類似のものに変更した。
大師線(2003年3月19日より)、小泉線(東小泉~太田間・2003年3月19日より、館林~西小泉間・2006年9月28日より)、亀戸線(2004年10月19日より)、桐生線(2006年3月18日より)で実施されているワンマン運転には、対応機器を備えた8000系2R車が使用されている。
- 編成(上り側から):M8500-Tc8600(実質Mc(制御電動車)だがM扱い)
- ワンマン運転対応編成
[編集] 6R車
1972年(昭和47年)製の8156Fが初の新造6R車となる。制御系統は既存のシステムを利用し、4R用1セット+2R用1セットという変則的な形態になっている。8156Fは東武初の通勤新製冷房車でもあり、利用者から好評を得た。1974年製の8164FからはコンプレッサーがHB-2000CAへ変更され、塗装色がセイジクリームへ変更となった。
8101Fから8114Fまでは、1971・72年にサハ8700形-モハ8800形を組み込み、6R車グループとなった。その他、修繕工事の際に4R車に中間車化改造した2R車を組み込み6R車化した編成が10編成、また、4R車のクハ8400形と2R車のモハ8500形の運転台を撤去(乗務員室は存置)して事実上6R車化された編成も存在する。
- 編成(上り側から):Tc8100-M8200-M8300-T(付随車)8700-M8800-Tc8400(T8700は類義上M'扱い)
- 6R車はほとんど野田線に配属されている。2006年時点で伊勢崎線・東上線に配属されている6R車は以下の通りである。
- 伊勢崎線
- 81110F・81113F・81114F
- 3編成共バリアフリー対応仕様である
- 東上線
- 8108F・8111F・8112F・8114F・8156F・8161F~8163F・8171F・8192F
[編集] 8R車(東上線専用)
長編成で運用される東上線専用として、1977年(昭和52年)に登場したグループである。制御系統は4R用を2組配置としており、中間付随車は新形式のサハ8900形となった。これで8000系は9形式に達している。
10Rではなく8Rにしたのは、当時の東上線は8両編成列車が主体であったことと、検査時の秩父鉄道経由の移動を配慮したためである。
導入当初は大山駅のホーム両端に踏切があり、有効長が6両分に限られていたため、サハ2両を外した6両編成で使用されていた。その後、ホームが延長できないまま本来の8両編成での使用を開始し、大山駅に停車する際には2両分のドアを締め切るドアカット扱いで対応した。のちに一方の踏切を除去してホーム有効長を10両分に延長したことで、ドアカットは解消している。
営団地下鉄(現・東京地下鉄)有楽町線との相互乗り入れ開始後、東上線は10両編成列車が標準になったため、2R車を増結する結果になっている。
17編成製造されたが、うち5編成(8187F・8193F・8195F・81101F・81103F)は伊勢崎線太田~伊勢崎間・佐野線のワンマン化のため、3両編成の800・850系(後述)へ改造され、余剰となったサハ8900形10両は廃車・解体された。
- 編成(上り側から):Tc8100-M8200-M8300-T8900-T8900(※)-M8200(※)-M8300(※)-Tc8400(※)
- ※印は番号が1つ増える(8199Fの場合は82100など)。この付番体系のため、クハ8100・8400に初めて欠番が生じた。
[編集] 3R車(ローカル線区用)
修繕工事の際、支線向けに8R車からサハ8900形2両を抜いた残りの車両を3両編成2本に改造し、ワンマン運転対応機器を装備したもので、2005年に登場した。この際に形式が8000系から変更され、元の車両の連結位置によって800系と850系に分けて系列・形式が付与された。編成のMT比は2:1構成で、電動車比率が高くなったことで加速性能も向上している。
改造された編成は、2005年7月5日から暫定的に800系+850系の6連を組み、本線系統で運用された。そして2006年3月18日のダイヤ改正より伊勢崎線の太田~伊勢崎間と佐野線での運用を開始、老朽化していた1800系通勤転用車や吊り掛け駆動車の5050系を置き換えた。ワンマン化されていない館林~太田間の運行も一部行っている。
- 編成(上り側から) 800系:Tc800-1+M800-2+M800-3/850系:M850-1+M850-2+Tc850-3
- (注)800-2と850-1は元モハ8200形で、パンタグラフを2基搭載する。
[編集] 編成配置図
左側より浅草・池袋寄りとなる。
- 2R:モハ8500-クハ8600
- 3R:クハ800-1-モハ800-2-モハ800-3(800系)/モハ850-1-モハ850-2-クハ850-3(850系)
- 4R:クハ8100-モハ8200-モハ8300-クハ8400
- 6R:クハ8100-モハ8200-モハ8300-サハ8700-モハ8800-クハ8400
- 8R:クハ8100-モハ8200-モハ8300-サハ8900-サハ8900-モハ8200-モハ8300-クハ8400
[編集] 路線による仕様の違い
8000系は本線系統所属車と東上線系統所属車で仕様に細かな違いが見られる。
本線系統所属車には、運転台左上に「次駅停車」と書かれた小さな表示器が設置されている。これは停車駅の誤通過防止のために設けた装置で、複々線区間で急行線走行中に駅が近づくと光と音で注意喚起する。
東上線系統所属車は未修繕車でも前面貫通扉の行先票(サボ)受けが撤去されている。かつては東上線でも種別をサボで表示していたが、種別が表示幕で表示されるようになってから撤去され、本線系統所属車とやや異なるスタイルになった。但し1996年頃に10000・10030系等の増備途上から本線系と東上線系での相互転属が頻繁に行われ一部編成では行先票が残ったまま東上線に転じた編成や、逆に行先票が無いまま本線に転じた編成も存在した。
また、東上線用は客室貫通路上に広告枠が取り付けられている。この広告枠は10000・10030系でも同様だが、1990年代後半頃から広告代理店が東武本線系統と同一になったため、現在は使用されていない。
東上線所属の8000系(2Rと4Rのごく一部を除く)は、同線沿線にある川越工場だけでなく、本線系統の南栗橋車両管理区でも検査を行っている。このため秩父鉄道線の羽生駅~寄居駅間では頻繁に8000系が走る光景が見られる。また、出場車の試運転を日光線新栃木~南栗橋~東武動物公園間で行うため、本線系統でも東上線所属車両を見る機会がある。
[編集] 車体塗装の変化
- 登場当時はベージュ(「ロイヤルベージュ」)とオレンジ(「インターナショナルオレンジ」)のツートンカラーだった。
- 1974年5月の8164F・8564Fより、塗装の簡略化のためセイジクリーム1色となった。しかしこの塗装は不評で、1985年より現在のジャスミンホワイトにブルーの濃淡のラインを施した塗装に順次塗り変えられた。後に妻面のブルーのラインの塗装を省略している。
- 2004年10月30日から2005年6月27日まで、東上線開業90周年を記念して、8108Fがツートンカラー塗装のリバイバル編成として運用された。終了後は南栗橋車両管理区で現行の塗装に戻されている。
[編集] 車体修繕
1986年(昭和61年)より、経年による陳腐化解消のため車両の修繕工事が進められている。東武では「更新」とは旧型車の部品を流用し車体新製を行う事を指すため、車体は元のままであるこの工事は単に「修繕工事」としている。修繕車登場当時、乗客からは新車と勘違いされたという。
修繕工事は現在に至るまで20年以上の長期に亘って行われているため(残り1~2年で完了予定)、修繕時期別に大きく4種類に分類され、実に興味深い内容となっている。修繕工事は津覇車輌(西新井→館林)に加え、2005年度分からアルナ車両も担当している。
なお2006年12月8日時点での車体修繕未施工編成は、8R車の81115F及び2R車の8571F・8578F・8580Fである。
- 1986年修繕車では、腐食外板の張り替えや塗膜を総剥離しての再塗装などの老朽化対策の他、側面行先表示器の新設、シートモケット色の変更、車内化粧板のデザイン変更などが行われた。車内は当時の新製車である10000系と同様の明るいカラースキームとなった。前面形状はオリジナルのままで、車内に「津覇車輌」の銘板がない。
- 1987年の修繕車からは、前面形状を6050系と同様のデザインに変更し、運転台も10030系タイプに交換した。この時から「津覇車輌」の銘板を貼付するようになった。このタイプの工事は長期間に渡って続けられたため、途中から運転席側の客室との仕切窓廃止、蛍光灯増設などのマイナーチェンジが実施された。また、2R車のクハ8600形の空気圧縮機換装工事も併せて行われた。
- 1997年の修繕車からは、車いす用スペースの新設、行先表示器の字幕式からLED式への変更、当時の新製車である30000系同様のHID式前照灯への変更などが行われた。施工対象は新製冷房車が多く、1972年製の8158Fが最初に施工された。東上線用8R車もこのグループで施工された。
- 2001年からは、LED式車内表示器(千鳥配置)、自動放送設備、車外スピーカーを装備した車両が登場した。後期台車装備車が主に対象となった。またワンマン運転対応編成もこのグループである。
- 近年、優先席付近のつり革が携帯電話の電源を切るように呼び掛ける黄色い三角形のものに変更された車両がある。
2両編成の修繕車にはワンマン運転対応設備を追加した編成も存在し、2003年(平成15年)3月19日のダイヤ改正から大師線と小泉線太田~東小泉間で、2004年10月19日からは亀戸線でワンマン運転を開始した。2006年3月18日からは桐生線へのワンマン運転拡大に伴い、同線と小泉線太田~東小泉間の直通運転を開始し、さらに2006年9月28日からは小泉線館林~西小泉間にも拡大した。
3両編成の修繕車(800・850系)は、2006年3月18日のダイヤ改正より伊勢崎線太田~伊勢崎間と佐野線でワンマン運転を開始した。
4両編成の修繕車の中には東上線用のワンマン運転対応車も存在しており、2005年(平成17年)3月17日のダイヤ改正より小川町~寄居間のワンマン運転を開始した。対応編成は81107F・81109F・81111F・81112F・81119F・81120Fである。このうち81109F・81111F・81112Fは一旦1997年の修繕車と同様の修繕を実施した後にワンマン運転対応設備を追加した。このため寄居寄りのクハ8400形の貫通幌は撤去されたが、他編成と連結できるように貫通幌の着脱は可能な構造としている。ワンマン運転区間以外に越生線でも運用される。種別表示器に「ワンマン」の他、「特急」・「急行」・「通勤急行」・「準急」・「普通」を用意している。
[編集] 未修繕車の方向幕LED化改造
1998年(平成10年)度から、未修繕車を対象に前面行先表示器が手動の幕式からLED式へ改造された。この改造は行先表示器の機械化が目的で、車体側面には行先表示器は設置されておらず、また前面貫通路扉と側面の行先票(サボ)受けは残っている。この改造によって種別表示部分がやや大きくなった。
東上線所属の後期車より改造が始まり、後に本線や野田線でも同様の改造が行われた。2006年8月現在、原形タイプの前面を持つ車両で行先表示器が幕式の車両は、1986年度の修繕車(8104F・8108F・8111F・8112F(以上6R車)・8127F・8130F(以上4R車)・8509F・8516F(以上2R車))のみである。これらの修繕車は修繕時に方向幕自動化などの改造を受け、前面が若干変更されている。従って新造当時のオリジナルの前面を有する車両は消滅した事になる。
[編集] 野田線の8000系編成
大宮~船橋間を結ぶ野田線は、1977年までは18m級車体の旧型更新車両のみで運用されていた。1977年に8000系前期車が転入し、これが野田線初の20m級車・カルダン駆動車となった。しかし、7800系を更新した釣り掛け駆動車5050系・5070系の配置と引き換えに、1983年に8000系は野田線より転出、同線は再び全編成が釣り掛け駆動車に戻った。
1988年から、10030系の本線・東上線系統への新製投入により捻出された8000系(修繕工事施工済)が再び配置されるようになった。配置数は年々増加し、1992年12月には2080系・3000系列を置き換え20m級車に統一、2004年10月には5000系列を置き換え野田線は全て8000系で運用されることとなった。
野田線の変電所は回生ブレーキに対する電力負荷変動に未対応のため、2006年時点では10000系列以降の回生ブレーキ車は入線できないとされている。
[編集] 臨時列車運転実績
8000系は、これまで東武日光線快速「たびじ」や修学旅行列車に相当する「林間学校号」、東武越生線直通の「越生梅林」号などの臨時列車で使用されてきた。
他には、1986年10月の野岩鉄道会津鬼怒川線開業直後より臨時列車に投入されたことが良く知られている。会津鬼怒川線の開業直後の利用者は予想以上で、列車は激しく混雑した。当時、快速用の6050系は22編成44両(他に野岩鉄道の2編成(61101F・61102F)4両)しかなく、混雑緩和のために8000系使用の臨時快速列車が会津高原(現・会津高原尾瀬口)まで運転された。
4両編成で、2R車×2と4R車×1が交互で使用されていた。8000系の一部編成には会津高原の表示がないので、種別表示器に快速または臨時を表示の上、行先表示器は白幕表示で運転されていた。また一部では行先票(サボ)が使用された。この頃は新塗装化が進んでおり、現行色編成とセイジクリーム色編成の混結もあった。訓練などの手間を省くため、修繕工事による前面変更編成については入線実績はない。
この臨時列車は長期間運転されたが、ロングシートでトイレもない通勤用車両は、浅草から175km、3時間以上の長距離運用には不向きで、乗客などからの評判は悪かった。加えて、空気ブレーキのみでは山岳路線での降坂運転が難しいことから、乗務員からも敬遠された。
1988年に6050系完全新造車7編成14両(および野岩鉄道の1編成(61103F)2両)が増備され、8000系の野岩鉄道乗り入れは終了した。以来8000系は野岩鉄道に一度も入線していない。
[編集] 事故による車体新製
8000系は車籍上は事故廃車がなかったとされているが、実際には踏切事故により大破した先頭車両について、台車・その他機器類は再利用して車体のみ新製した例がある。クハ8139がそれである。
- 1969年(昭和44年)12月9日、伊勢崎線館林~多々良間の踏切で上り列車として走行中だった8139Fと大型クレーン車が衝突、先頭車両が大破。(館林事故) 使用不能となったクハ8139は翌1970年4月に車体を新製した。したがって事故による除籍とはしていない。
[編集] 廃車
8000系は登場から40年以上の長きに渡り、廃車が1両も出なかった事で有名だったが、2004年(平成16年)12月に前述の3R車800・850系を8R車から組成した関係で、サハ2両が余剰となり初の廃車となった。2006年8月現在では、702両が在籍している。
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