東武1720系電車
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1720系電車(1720けいでんしゃ)は東武鉄道に在籍していた特急形車両。
1960年(昭和35年)から1991年(平成3年)まで運用していた。通称はデラックスロマンスカー(DRC)。「デラ」の愛称で親しまれていた。
先行系列である1700系電車も同一の車体に更新された。そのため本稿ではこの系列についても記述する。
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[編集] 概要
約30余年間に渡り、東武鉄道を代表する列車として日光・鬼怒川方面への特急列車に用いられた。1960年に第1編成(1721編成)が製造され、同年10月9日から運用に入った。のち1972年にかけて、7編成42両が製造されている。後に1700系(後述)の改造車と合わせ、9編成54両となった。
1990年に後継車である100系「スペーシア」が登場し、1991年までに全車が運用を離脱した。なお座席の一部と台車・モーター等足回りは伊勢崎線特急「りょうもう」用の200系に流用され、書類上は廃車ではなく車体新製による更新扱いとなった。
[編集] 特色
設計時点で登場が想定されていた日本国有鉄道157系電車へ対抗するため、速度面での優位性と、国際的な観光地である日光方面への外国人利用者にも対応した車内設備を備える。
性能的には1700系の電動機を改良し中速度~高速域の性能向上を図り、平坦線釣合速度は165km/h(運転最高速度は110km/h)。起動加速度2.3、減速度3.7(常用)km/h/sの高性能を得ている。
制御装置とモーターは2000系・2080系と共通であった。歯車比は3.75で当時カルダン駆動車としては国鉄151系電車(3.50)に次ぐ高速型であった。
全電動車方式の6両固定編成で、車両番号は第1編成は1721~1726・第2編成は1731~1736・・・と付番され、浅草方が17?1・東武日光方が17?6となっている。一方、旅客案内上の号車番号は逆に東武日光方が1号車で浅草方が6号車である。
- 前面形状・・・日産・セドリックをモデルにしたとされるボンネット構造であり、国鉄151系電車より大型のヘッドマークを装備する。このヘッドマークは電動式ではなく、手で差し替える方式を採用した。
- 座席・・・当時の国鉄1等車同等の多段ロック式リクライニングシートを全車に装備した。座席の前後間隔(シートピッチ)は1100mm。向かい合わせ使用時でもテーブルが使用可能なように、窓側に折り畳み式テーブルを設けている。
- サロンルーム・・・8個の回転椅子とジュークボックスが設けられたフリースペースである。しかし、ジュークボックスで使用するレコードが入手難になり、席数を増やす意味合いもあって、1989年に通常座席に変更した。
- ビュッフェ・・・1編成あたり2箇所の配食施設を設けた。
- トイレ・・・外国人観光客に配慮して、和式と洋式の2種類が設けられた。
- マジックドア・・・貫通路の自動ドア。日本の鉄道車両としては最初に導入した。
[編集] 改造
1967年から1969年にかけて、アルストム式の台車をミンデン式に交換している。1761編成以降は、落成時からミンデン式台車を採用した。
後年、内装が陳腐化してきたためリフレッシュ工事を全車に行った。主な内容は、以下の通りとされている。
- 座席のフットレストを新品に取替え。
- マジックドアを新品に取替え。
- トイレの便器をステンレス製に交換。
- 洗面所のエアータオルを新品に取替え。
- 床の傷ついた部分の補修。
- その他、カーペットや壁紙、天井の取替え。
[編集] 事故と5700系代走
1984年12月15日18:15分頃に日光線家中駅付近で17:00発に浅草を発車した特急「きぬ」号鬼怒川温泉行きが乗用車と衝突する事故が発生し、1756号の前面部と車内、さらに1755号の車内までも焼損した。この後、1751号~1754号+7800系2両という組成で回送された。
この直後に年末年始の繁忙期を控えており、その間は5700系6連の運転で代行した。性能面、サービス面で1720系と差があり、特に1720系のダイヤでは運行できないので、5700系の性能に合わせた臨時ダイヤで運行された。乗客には特急券の払い戻しや、了解をとって乗車してもらうなどの対応をとった。1756号+1755号は翌1985年1月12日に復旧が完了した。
[編集] 晩年
1980年代後半に入ると、鉄道趣味雑誌からは度々その古さが指摘されるようになった。その息の長さは、私鉄最大数を誇った8000系とともに、東武の保守的な姿勢の象徴とされた。
しかし、実際には小田急電鉄SE車は1720系より先の登場だが、定期列車の運行終了は同じく1991年である。また、ほぼ同時期に登場した名古屋鉄道"パノラマカー"7000系は有料特急運用から外れつつも2010年まで使用される予定である。
[編集] 保存状況
第1編成の1721Fは各地で静態保存されている。
- 先頭車
東京都墨田区にある東武博物館とさいたま市岩槻区の岩槻公園内に保存されている。なお、東武博物館のものは展示スペースの関係で車体の前半分のみである。
- 中間車
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線神戸駅(ごうどえき)にてレストランとして営業中。青一色に塗り替えられてはいるが、パンタグラフは上がった状態。
いずれも保存されている車両は中に入る事が出来るが、公開時間が限られているので注意が必要である。
[編集] 1700系
1700系は1956年(昭和31年)4月に日光線特急用の車両として日本車輌製造で製造された。最高許容速度145km/h(運転最高速度は105km/h)。
1956年導入の1700形(8両)と、1957年導入の1710形(4両)に大別され、洋式便所の有無などの違いがある。導入当時は5700系に準じた2両固定編成で、日光・鬼怒川方面への分割併合運用を前提として前面に貫通扉を持ち、その上に前照灯を1灯を設けた。また、売店を設置し、座席もリクライニングシートを採用した。外装から、「白帯」(はくたい)のニックネームをファンの間から付けられている。
当時、東武日光線と競合する国鉄日光線に、キハ44800形気動車の投入が予想され(1956年運転開始)、従来の5700系では所要時間で劣勢となるため、速度と車内設備の向上を図って導入されたものである。
1700形登場時は、5700系のうちカルダン駆動車である5720形と共に特急運用についていたが、翌年1710形を増備し、特急を1700系電車に統一した。同時に浅草駅-東武日光駅間無停車の「けごん」を運行し、国鉄側と本数の上でも対抗する形をとった。
しかし、国鉄側も日光線の電化により、151系電車並みの性能及び内装を持った準急用車両の製造が想定され(実際に1959年に157系電車として登場)たことから、内装のさらなる向上及び速達化のために、早々に新形式車である1720系電車が導入されることとなり、1700系は1720系の補完的な立場となった。引き続き1720系と併用して特急に使用されたが、速度・サービスに格差があるため、運用の固まった1969年から、1700系で運用される列車は「B特急」として料金上の区分がなされるようになった。
1720系登場と前後して、冷房装置設置、側窓固定窓化、前照灯増設等の改造が複数回に渡り行われたが、これに伴う車体の痛みや、経年劣化に伴う故障の頻発が目立ち、また特急の車種統一の観点から1971年に、1720系と同等の車体へ更新が行われることとなった。更新は1720系と同じ車体を新製し載せ替えて6両固定編成とし、台車やモーター、機器は旧品を流用している。後に台車(コイルバネ式)も1720系と同じものに交換したため、外観・性能上もほとんど差はなくなった。
更新された1700系も、1991年までに全車運用を離脱した。台車・モーター等の一部の機器は200系に流用され、書類上は廃車ではなく車体新製による更新扱いとなったのは1720系と同様である。
[編集] 関連事項
[編集] 参考文献
花上嘉成 『東武デラックスロマンスカー』、JTB、2004年、176頁、ISBN 4533051707。
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