愛知県立明和高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛知県立 明和高等学校(あいちけんりつ めいわこうとうがっこう)は、日本の愛知県名古屋市東区にある公立の高等学校。1749年の明倫堂創設以来250年余りの伝統をもつ高校である。全日制に普通科・音楽科、定時制に普通科を持つ。
愛知県立明和高等学校 | |
過去の名称 |
<<明倫>> |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
設立年月日 |
<<明倫>>1783年(天明3年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 定時制 |
学科 | 普通科 音楽科 |
特殊学級 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒461-0011 |
名古屋市東区白壁二丁目32番6号 | |
電話番号 | 052-961-2551 |
外部リンク | 明和高等学校 |
目次 |
[編集] 学校周辺
名古屋城に近い。最寄り駅は名鉄瀬戸線東大手駅。地下鉄市役所駅。
[編集] 学科
[編集] 歴史
歴史をたどれば藩校時代にまで遡る。元は尾張藩の藩校明倫堂(初代督学細井平洲)であり、明治に入ってからはただ単に学校と改称。しかしその後明倫堂の聖堂が売却され、私立明倫中学校となり、現在の明和高等学校がある名古屋市東区白壁に設立される。 終戦後、愛知県立明倫高等学校となるが、同じ愛知県立の第一女子高等学校(旧第一高等女学校)との統合により明倫高等学校は廃校となり、名古屋市東区西二葉町に愛知県立明和高等学校が設立される。1950年には音楽課程が設置され、現在に至る。
[編集] 校名由来
明倫中学校の「明」と第一高等女学校の同窓会『和楽会』の「和」を併せて「明和」となった。
[編集] 進学状況
東京大学・京都大学をはじめとして、各国立・公立・私立大学に卒業生を送り出しているが、名古屋大学に最も多く進学する愛知県有数の進学校である。
[編集] 主な卒業生
- 政界
- 塚本三郎 - 政治家 勲一等旭日大綬章受章
- 官僚
- 財界
- 豊田喜一郎 - トヨタ自動車創業者 大正2年(明倫中)卒業(第二高等学校を経て東京帝国大学工学部機械工学科卒)
- 深谷紘一 - デンソー社長
- 岩沙弘道 - 三井不動産社長
- 青柳守城 - 元住友金属鉱山社長 元・日本鉱業協会会長
- 矢橋有彦 - 日本電気計器検定所(経済産業省所管)理事長 元 石川島播磨重工業専務取締役
- 水野耕太郎 - 東邦ガス取締役社長
- 端山孝 - マスプロ電工代表取締役会長
- 石川恒夫 - 中京テレビ放送取締役相談役
- 富田信夫 - 中京銀行特別顧問
- 堀誠 - ダイテック代表取締役会長 マナハウス代表取締役会長
- 三輪尚治 - 名港海運株式会社社長
- 岩中祥史 - エディットハウス代表取締役。「大ナゴヤ元気会」事務局長。(東京大学文学部卒)
- 高橋理一 - 豊田中央研究所元代表取締役所長 日本応用数理学会元会長
- 薮田仁一郎 - 財団法人国際開発センター理事長
- 杉藤清行 - 明倫ゼミナール代表取締役理事長
- 梅村雄彦 - 名鉄百貨店専務
- 学者
- 勝又義直 - 元名古屋大学医学部長
- 浅野啓三 - 大阪市立大学名誉教授
- 松岡三郎 - 明治大学名誉教授 日本労働法学会元代表理事 (東京大学法学部卒)
- 桐原朝夫 - 元名古屋大学名誉教授
- 浅野周三 - 東京大学名誉教授
- 戸田基 - 元東京大学名誉教授
- 岩内亮一 - 元明治大学名誉教授
- 石井裕正 - 慶應義塾大学医学部名誉教授
- 鈴村興太郎 - 一橋大学経済研究所教授
- 都島基夫 - 慶應義塾大学医学部教授
- 寺尾俊彦 - 浜松医科大学学長
- 広瀬立成 - 早稲田大学理工学部教授
- 大橋洋一 - 東京大学大学院人文社会系研究科教授
- 小山清男 - 東京芸術大学名誉教授
- 中村泉 - スタンフォード大学研究員 元京都大学大学院農学研究科助教授
- 丹羽隆昭 - 京都大学大学院教授
- 安田亨 - 駿台予備学校数学科講師
- 法曹
- 田中清隆 - 日本弁護士連合会元副会長
- 高井伸夫 - 高井伸夫法律事務所代表
- 文芸
- 音楽
[編集] その他
明和祭におけるマスゲームの完成度の高さには定評がある。
お昼休みに学校外で食事をしても構わない。学校周辺には県庁、市役所、法務合同庁舎などがあり、これらの食堂で食事をしている学生の姿がよく見られる。