信濃の国
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歌曲『信濃の国』 (しなの の くに) は、長野県の県歌である。
松本市出身の浅井洌 (1849-1938) の作詞、長野県外出身の北村季晴 (1872-1930) の作曲により、1900年に成立した。長年にわたり実質的な長野県歌となってきたが、1968年(昭和43年)5月20日に正式な長野県歌に制定された。
全6節から成るが、4番のみメロディが異なり、スローテンポとなる(よく間違えられるが「転調」ではない)。
歌詞の内容は、各節で次のように分かれている。
全般に長野県域の地理・歴史・文化を賞揚するものであり、浅間山、千曲川、天竜川、諏訪湖、佐久間象山など、長野県各地の事物・ゆかりの人物が(極力均等に)列挙されている。その内容から、長野県内における激しい地域対立を融和させ、県民意識をまとめるための精神的支柱として愛唱されてきた。
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[編集] 長野県民の愛唱歌
かつては長野県内のほとんどの小・中学校、高校で種々の行事の際に歌われてきたため、俗に「長野県内で育った者なら全員『信濃の国』を歌える」「会議や宴会の締めでは必ず『信濃の国』が合唱される」と誇張気味に語られるほど、県民に深く浸透していた。日本では、都道府県歌は住民にとってあまり馴染みが無い場合が多く、存在すら認識されていないこともあるため、「信濃の国」はある意味「日本で最も有名な県歌」ということができ、特異である。
昭和末期から長野県内でも「信濃の国」を歌わない学校が現れており、「信濃の国」を歌えない県民も徐々に増えつつあるが、カラオケのレパートリーや携帯電話の着信メロディに用いられるなど、長野県民の支持は依然根強いものがある。長野県地域では公共放送でのジングルや列車等の車内アナウンスでの採用例も多い。
長野新幹線開通記念の長野駅でのセレモニー(1997年10月)や、長野オリンピック(1998年)の開会式における日本選手団の入場行進時などに代表されるように、長野県に関わる公的セレモニーの伴奏音楽としても頻繁に採り上げられている。
2005年には、パラパラが踊れるユーロビートバージョンも登場した。ユーロビートバージョンは、CMなどで流れていることもある。
[編集] 歴史
1899年に、長野県師範学校(現・信州大学教育学部)教諭であった浅井の詞、同僚の依田弁之助作曲で創作されたが、翌年依田の後任であった北村が新たに作曲し直し、これが定着した。師範学校から巣立った教諭たちが長野県内各地の学校で教え伝えたことから、戦前から長野県内にあまねく定着した。
長野県域は山地によって随所で細分され、一体の地域という意識は希薄であった。明治初期、長野県は長野市を中心とする長野県と松本市を中心とする筑摩県に分かれていたが、松本市の筑摩県庁舎の焼失により合県したという歴史がある。以来常に激しい地域対立が続き、県民意識の一体性を涵養することが現代に至るまで大きな課題となってきた。
「信濃の国」はこのような事情を背景に、本来一地域(善光寺の門前町)の地名である「長野」でなく、県内の大方の地域が該当する「信濃(信州)」という旧国名で県域を包括したことで、地域全体の共同体意識を喚起する歌として歌い継がれてきた。その面では長野県民の地域ナショナリズムの根元とも言える。
地域対立が昂じ、1948年春、長野県を南北に分割しようとする案が長野県議会で可決されそうになった。その際、議場の傍聴席から突如として「信濃の国」の大合唱がわき起こり、議員たちの意思を削いで、分県を阻止することになったと言われる。 長野県公式ホームページ内、「キッズチャンネル・ながの」においてもこの逸話が紹介されている。 http://www.pref.nagano.jp/kids/menu1/kenka04.htm
[編集] 歌詞
『信濃の国』
- 信濃の国は十州(じっしゅう)に 境(さかい)連らぬる国にして
聳(そび)ゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平(たいら)は肥沃(ひよく)の地
海こそなけれ 物さわに 万(よろず)足(た)らわぬ事ぞなき
- 四方(よも)に聳ゆる山々は 御嶽 乗鞍 駒ヶ岳
浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり
流れ淀(よど)まず ゆく水は 北に犀川 千曲川
南に木曽川 天竜川 これまた国の固めなり
- 木曽の谷には真木(まき)茂り 諏訪の湖(うみ)には魚(うお)多し
民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼(こが)いの業の打ちひらけ
細きよすがも軽(かろ)からぬ 国の命を繋(つな)ぐなり
- 尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧(かけはし) かけし世も 心してゆけ久米路橋(くめじばし)
くる人多き筑摩(つかま)の湯 月の名に立つ姨捨山
しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠みてぞ伝えたる
- 旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛(のぶもり)も
春台(しゅんだい)太宰先生も 象山(ぞうざん)佐久間先生も
皆此の国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず
- 吾妻はやとし 日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山
穿つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い
[編集] 外部リンク
- 信濃の国(SBC信越放送) メロディあり
- ※ちなみに信越放送ラジオでは毎週月曜の放送開始・並びに日曜深夜=月曜未明の終了時にインストゥルメンタルの楽曲をインターバル・シグナルとして演奏している。
- 県歌 信濃の国 歌詞の解説
- 長野県公式ホームページ 歌詞の現代語訳など
- 長野県歌 「信濃の国」