ハヤブサ (プロレスラー)
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ハヤブサ(1968年11月29日 - )本名:江崎英治(えざき えいじ)は日本のFMWに所属していたマスクマンのプロレスラー。熊本県八代市出身。
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[編集] 人物
子供時代はいじめられっ子だった事を公表している。また、イラストが上手で、自身のマスクや衣装は勿論、FMWの選手バスのデザインを担当した。日本ハムが札幌移転の前に始球式を勤め、現在も日本ハムのファンである。
[編集] 経歴
熊本商科大学(現:熊本学園大学)出身で、1991年に大学の同期の本田雅史(現:ミスター雁之助)と共にFMWの入団テストを受けて合格。同年5月5日、アミーゴ・ウルトラと組んでのパンディータ、上野幸秀戦でデビュー。その後海外遠征に出るが、1994年一時帰国してジュニアヘビー級レスラーのオールスター戦「スーパーJカップ」に出場し、獣神サンダー・ライガーと対戦、関係者、ファン、ライガーからその素質を絶賛され、トップレスラーへの足がかりをつかむ。
1995年5月5日、川崎球場において大仁田厚の引退試合の相手を務め、電流爆破マッチに初挑戦。その後は新生FMWのエースとして団体を引っ張る立場となる。6月、大矢剛功とのタイトルマッチに勝利し、大仁田由来のベルト、WWAブラスナックル王座を奪取するも、すぐに返上。FMWのトップ選手を集めたリーグ戦「グランドスラム」では、決勝戦に進出するも、ザ・グラジエーターに敗れ、準優勝となった。
1996年には肘がパンクしてしまい、手術のため長期離脱となるが、5月の川崎球場には田中正人と組んでメインイベントに登場。テリー・ファンク&ミスター・ポーゴ組に敗れる。その後は、傷心のため失踪というアングルを取って、8月末までリハビリのために欠場。汐留で行われた復帰戦の相手を務めたのは、今なお行動を共にする盟友の中川浩二(現:GOEMON)であった。10月、みちのくプロレスの両国大会に参戦し、新崎人生に敗れる。12月の駒沢大会では、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケと対戦し、勝利。しかし、この大会で大仁田が現役復帰し、FMWはハヤブサを盛り立てていこうとする社長・荒井昌一と、自らが目立ちたい大仁田の、二つの方向性に割れていくこととなる。
1997年、全日本プロレスの小橋健太に挑戦を表明。全日本マットで新崎人生とタッグを結成し、小橋&志賀賢太郎組に勝利。FMWの川崎球場大会では、小橋&マウナケア・モスマン(現:太陽ケア)組と戦い、自らが小橋のラリアットに敗れた。年末には、新崎人生とともに全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦。強い格付け意識を押し出した当時のメジャー団体の中で、戦績は2勝7敗と振るわなかったが、多くの好勝負を展開。この年はFMWと全日本プロレスをまたにかけた活躍が評価され、年末のプロレス大賞で殊勲賞を受賞。
1998年4月には、ミスター雁之助からFMW二冠統一王座を奪取し、10月には格闘探偵団バトラーツの池田大輔とのタッグで冬木弘道&金村ゆきひろ組からブラスナックルタッグ王座を奪取。しかし、11月に冬木に敗れ、FMW二冠統一王座を失った。海外では、新崎人生とともにECWに参戦。当時ロブ・ヴァン・ダム&サブゥー組が保持したECWタッグ王座に挑戦した。
1999年2月、全日本プロレスに参戦し、新崎人生とのタッグでアジア・タッグ王座を奪取。その後、FMWマットで田中&黒田哲広相手にアジア・タッグ防衛戦が行われた。同年6月に当時のFMWコミッショナー冬木弘道からマスク剥奪勧告を受け、素顔に戻りH(エイチ)と名乗り活動する。これは飛び技を主体とするファイトスタイルにより、着地の衝撃を支え続けた江崎の肘が限界に達していたと言う事情もあったらしい。11月に横浜アリーナで行われたFMW10周年記念興行では、2代目ハヤブサを名乗るマスクマン(正体は雁之助)と戦い、フェニックススプラッシュでこれに勝利。
2000年からは再びハヤブサに戻る。ハリウッドで製作されたプロレス映画「Backyard Dogs」に、本人役で出演するために渡米。WAR後楽園大会では、ミスター・プロレスとも呼ばれる天龍源一郎と対決、これに敗れた。11月には腕の再手術を決意、2度目の長期欠場に入る。
2001年には田口トモロヲ主演の映画「Mask de 41」にレッド・ファルコン役で出演するも、その後に起きた本人と団体のトラブルで、映画が公開されたのは2004年のことだった。5月の川崎球場大会で、欠場から復帰。ザ・グレート・サスケとタッグを結成し、雁之助&黒田に勝利する。10月22日、試合中のアクシデント(ラ・ブファドーラの失敗)により頚椎を損傷し全身不随の重傷を負ったが、懸命のリハビリにより奇跡的に自力で立ち上がるまでに回復した。
2002年8月、WMF旗揚げにあたりコミッショナーに就任するが、その後離脱し個人事務所「隼計画」を設立。現在GOEMONと共に所属する。現在も歩行が困難な状況にあるが、「お楽しみはこれからだ!」と宣言、あくまでもカムバックを目指す。2004年には、2館のみで上映の映画「倍音―ばいおん―」にも出演。現在は、歌手のみのや雅彦、GOEMONとTRIPLE FIGHTというトリオを結成し、歌手としてライブハウスやプロレス会場で活動中である。2006年からは舞台俳優としての活動も始め、市川博樹主演の「天野真一物語」「飛行機雲」などに出演。
[編集] 交友関係
タレントの博多大吉は親友である。大吉は福岡吉本を代表するプロレス好きであり、番組共演もあって知り合った。頚椎損傷の後、2002年に福岡の番組に大吉には内緒で出演。車椅子に乗って出てきた時点で大吉は号泣してしまい、それを見たハヤブサは「ねぇ大ちゃん、挨拶ぐらいしようよ」と明るく話しかけたほどの間柄である。 他、芸能関係では滝沢秀明とは現在も連絡を取り合っているという。(元々、滝沢がハヤブサの大ファンでTV番組で共演したのがきっかけだそうである)
[編集] リングネーム
現在、過去に用いたことがあるリングネーム
- 江崎英治
- ハヤブサ
- H(エイチ)
- ダークサイド・ハヤブサ
[編集] 得意技
- ファイヤーバード・スプラッシュ
- いわゆる450°スプラッシュ。リング内を向いてトップロープに立ち、そこから前方に宙返りしながら寝ている相手をプレスする技。
- ファルコン・アロー
- ブレーンバスターの要領で相手を抱え上げ、振り向いて正面に向かい合うような形になり、そこから開脚ボムの要領で背中から落とす技。現在この技の使い手は多いが、元祖は江崎である。
- フェニックス・スプラッシュ
- リング外を向いた状態でトップロープに立ち、そこから半ひねりを加えながらのファイヤーバード・スプラッシュ。非常に難易度の高い飛び技である。元祖は江崎である。
- トペ・コンヒーロ
- 立っている相手に向かって、高いところから、前方に一回転して飛んでいく技。
- 対角線トペ・コンヒーロ
- リングの対角線を走って、場外にトペ・コンヒーロを見舞う。
- ドライバー・オブ・フェニックス
[編集] タイトル履歴
- FMW二冠統一王座
- アジア・タッグ
- WEWタッグ
- フロリダ・ヘビー
- PCWFヘビー
- FWAライトヘビー