ミスター珍
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ミスター珍(ミスターちん、1932年10月12日 - 1995年6月25日)は、日本のプロレスラー。
本名は、出口 雄一(でぐち ゆういち)。兵庫県宝塚市出身。身長168cm、体重83kg(全盛期)。
くちひげがトレードマーク。プロレス界から離れていた一時期、テレビタレントや俳優としても活動した。
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[編集] 経歴
[編集] 現役前期時代(国際プロ柔道協会・全日本プロ協会・日本プロレス)
兵庫県警察の機動隊に勤務し柔道の選手として活躍した後、木村政彦や山口利夫が立ち上げた国際プロ柔道協会(プロ柔道)に参加。その後、山口利夫と行動を共にし全日本プロレス協会に参加するも、同団体は興行に失敗し崩壊。1955年に日本プロレスへ入団した。チャイナ服を着た中国人スタイルや日の丸に神風と書かれた鉢巻を締める和風スタイルで、下駄を凶器として使用する悪役レスラーとして一世を風靡した。知名度が上がったこの時期、テレビタレントや俳優としても活動するようになり、日本プロレスを退団。
[編集] 現役中期時代(国際プロレス)
事実上引退したと思われていたが、国際プロレスに参戦し、現役復帰。しかし、国際プロレスは1981年8月9日の北海道・羅臼大会で活動を中止[1]したため、再び事実上引退した(この時の対戦相手は冬木弘道)。
[編集] 晩年時代(FMW)
ほとんどのプロレスファンから存在が忘れられていた1993年7月16日、60歳を超える高齢でFMWに参戦し、正式デビューを控えた練習生の田中正人(現:田中将斗)と対戦(田中の正式デビュー戦は1993年7月23日のリッキー・フジ戦)。突如現役復帰を果たし、日本人現役最高齢レスラーとなる。
第一級身体障害者に認定される程、重度の糖尿病を長年患っており、人工透析を頻繁に受けなければ生命の維持が困難な身体であるとマスコミで公表。度々、現役の引退と復帰を繰り返した原因であることを明かした。大仁田厚の厚意で、人工透析を続けながらイレギュラーでFMWの前座試合に参加。孫のような世代の若手選手を相手に、全盛期の下駄以外にもゴムを凶器として使用するコミカルな試合を展開し、ミスター珍の全盛期を知らない若い世代のファンも喜ばせていたが、病状が悪化し、1995年6月25日に慢性腎不全により死去。享年62。
[編集] タイトル
- テキサス州認定世界タッグ王座
[編集] 出演作
[編集] 映画
[編集] テレビドラマ
- ザ・ガードマン、第24話ガードマン空へ、第25話続ガードマン空へ(1965年、TBS系) 他
- 渥美清の泣いてたまるか(1966年、TBS)
[編集] 著作
- 糖尿地獄からの生還―失明の危機、人工透析、白内障…26年におよぶ糖尿病との執念の闘い(1994年、ザ・マサダ刊 ISBN 4915977072)
[編集] 脚注
- ↑ 詳細は外部リンクYomiuri Online「国際プロレス終えんの地(羅臼)」を参照。