駅弁大学
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駅弁大学(えきべんだいがく)とは、太平洋戦争後のGHQ指導下で行われた学制改革により、「一県一国立大学化」が実現され、各地方に国立新制大学が急増した状況に対する評論家の大宅壮一(1900~1970)の諷刺から派生した言葉である。昭和年間にはしばしば蔑称として使われた。平成に入っても、2ちゃんねるなどで使用例が見られる。
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[編集] 背景
戦前のいわゆる旧制大学は、1877年にお雇い外国人により国際的学問水準を確保した旧制東京大学が東京に設立され、1886年の帝国大学令によって、旧制東京大学は唯一の総合大学である帝国大学となった。この帝国大学令が根拠となって複数の学部(分科大学)を有する帝国大学だけが官立の大学として設置を許されることになり、その後、東京の組織を手本に京都帝国大学(1897年)、東北帝国大学(1907年)、九州帝国大学(1911年)、北海道帝国大学(1918年)が各地に誕生し、本郷の帝国大学は「東京帝国大学」と改称された。 しかしすでに1903年にはいくつかの一定水準に達した専門学校が学位授与権こそなかったものの専門学校令による私立大学として高等教育にあたっていた。 その後第一次世界大戦の好景気を背景に高等教育機関の拡充が叫ばれ、その結果1918年に公布された大学令によって官立、公立の単科大学と私立大学の設置が正式に認められた。これにより、有力な官公立の専門学校と十分な基本財産を持つ私立専門学校が旧制大学として順次昇格していった。しかし、双方をあわせてもその進学率は同世代の男子の数%に過ぎなかった。
ところが戦後になると、軍部の独走を阻止できなかった原因のひとつとして健全な知識階級の絶対数の不足が指摘され、再び高等教育機関の大拡充が行なわれることになった。しかし、それは敗戦直後のハイパーインフレ下という最悪の環境下で行われたため、大学新設は質的向上をもたらさず、結局全国の専門学校が一斉に看板を新制大学に架け替えるという「移行」にとどまった。
その結果、「国鉄の急行停車駅ごとに大学がある」と評されるほどに、全国各地で国立大学が急増した。大宅はこれを諷して「急行の止まる駅に駅弁有り、駅弁あるところに新制大学あり」と発言したとされる。(埼玉大学のある旧浦和市の中心駅浦和駅には、急行列車は止まらなかった。)
[編集] 定義
大宅がどの大学を指して「駅弁大学」としたのかに関しては明確ではないが、駅弁と揶揄されたのがおそらく当時の新制大学の可能性が強いと見られる。彼は大学名を名指して、この大学は駅弁だと揶揄したことはなかった。
どこまでの新制大学が駅弁大学なのかは諸説ある。 ただ、大宅が旧神戸商業大学に対し「財界の士官学校」といった表現を使っていることから、その他の官立大学(戦前の国立大学)についても彼は「揶揄する意味での」駅弁大学とはみなしていない可能性が高い。 旧東京教育大学なども駅弁大学ではないであろう。
旧制大学を母体としておらず、戦後に旧制高等学校や旧制高等専門学校等を母体として大学に昇格した新制大学を指すという説もあるが、旧制高校や高専の大学移行は戦前から漸次実施もしくは計画されており(例えば医科専門学校から医科大学への移行など)、この説は正しいとは言えない。
「東京都以外に所在し」かつ「法学部・医学部がなく」(ただし、近年医学単科大学と合併したところを除く)かつ「教育系や経済系学部と工学部が中心の」国立大学を指すと考えるのが妥当ではないかという説もある。
現在の国立大学87校のうち、設置基準の厳しさから法学部を擁する国立大学はわずか14校であり、また国立大学医学部も地方では単科大学となっていた場合も多いことから、概ね妥当な基準であると考えられる。近年医学系単科大学で他の大学と合併したところは次の大学である。
山梨医科大学、富山医科薬科大学、福井医科大学、島根医科大学、香川医科大学、高知医科大学、佐賀医科大学、大分医科大学、宮崎医科大学
[編集] 「一県一国立大学化」のメリット・デメリット
[編集] メリット
- 各地方の国立大学は地方の知的中核となり、卒業生は地元の地域社会や戦後の高度経済成長を支える中核的人材に育っていった。
- 一県一国立大学には、ほとんどの大学に教育学部が設置されて、地元出身で卒業後も、地元の教員となる人材を安定的に供給し、さらに現職教員の再教育を行なうための拠点としても役に立っている。
- 学費の安さから中流家庭の学生が多く、大都会の私立大学に通わせるのが困難な地方に住む一般家庭の子供が出世するためには欠かせないともいえる。これは日本の一億総中流を支えたとも考えることもできる。
- 戦後の爆発的な高度経済成長はこれらの人材無くしてはかなわなかったとさえ言える。
- 理系の生徒の中には旧帝国大学の修士課程に入学するものがいたり、修士課程から難関国立大の博士課程に進学する者もいる
- 高等専門学校卒業生の進学先としての役割がある。
[編集] デメリット
- 新制大学は急ごしらえの「大学」であったため、組織や設備、校舎は旧帝大の水準には及ばないことが多かった。
[編集] 地方の扱い
地方にある都道府県には国立信仰があり、地方の企業で出世したり、教員を目指すのであれば駅弁大学を卒業するのがよい。また、理工系の学部は私立よりも大学院進学率が高い傾向にある。医学部・薬学部は私立とは比べ物にならにほど安く、他の学部と変わらないなめ、駅弁大学でも医学部に限っては旧帝系大学並みの難易度である。 地方の進学校では希望者が多く、上位層が旧帝系・医学部・薬学部・早慶、そのほかが駅弁大学や有名私立に受かるといった感じであい、以前優位性が高い。