静脈血栓塞栓症
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静脈血栓塞栓症(じょうみゃくけっせんそくせんしょう)は、肺血栓塞栓症(Pulmonary embolism; PE)と深部静脈血栓症(Deep vein thrombosis; DVT)を併せた疾患概念。
飛行機内などで長時間同じ姿勢を取り続けて発症することがよく知られており、俗にエコノミークラス症候群(あるいは旅行者血栓症やロングフライト血栓症)とも呼ばれる。
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静脈血栓塞栓症のデータ | |
ICD-10 | I26.9 |
統計 | |
世界の患者数 | |
日本の年間症例数 | 約4,000例 (2000年) |
学会 | |
日本 | 日本宇宙航空環境医学会 肺塞栓症研究会 日本血栓止血学会 |
世界 | |
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目次 |
[編集] 概念
下肢や上腕その他の静脈(大腿静脈など)に血栓(血のかたまり)が生ずる疾患。原因としては、脱水、感染、長期臥床、手術などがある。この血栓が血流に乗って肺へ流れ、肺動脈が詰まると、肺塞栓症となる。肺動脈が詰まるとその先の肺胞には血液が流れず、ガス交換ができなくなる。その結果、換気血流不均衡が生じ、動脈血中の酸素分圧が急激に低下、呼吸困難をきたす。また肺の血管抵抗が上昇して全身の血液循環に支障をきたす。軽度であれば胸やけや発熱程度で治まるが、最悪の場合は死亡する。
[編集] 分類
- 肺血栓塞栓症
- 上記のように、死亡のリスクが高い疾患である。塞栓をきたす血栓が大きい(肺梗塞Pulmonary Infarction; PI)場合は即死をきたすことがあり、原因も不明な場合が多い。欧米では循環器疾患による死亡原因として3番目に多い。
- 深部静脈血栓症
- 深部静脈血栓症(しんぶじょうみゃくけっせんしょう)は、深部静脈(大腿静脈・膝窩静脈など、体の深部にある静脈)に血栓が出来る病気。肺血栓塞栓症の主な原因である。肝静脈に血栓が出来るとバッド・キアリ症候群を起こす。
[編集] 原因
静脈血のうっ滞や血液凝固の亢進が原因となる。血流うっ滞(血液の流れが滞ること)の原因としては、長時間同じ姿勢で居続けることや、うっ血性心不全、下肢静脈瘤の存在が挙げられる。血液凝固の亢進(血が固まりやすくなること)は様々な病態において生じるが、例えば脱水、がん、手術、エストロゲン製剤の使用などが挙げられる。また抗リン脂質抗体症候群などの血栓性素因も原因となる。
特に、湿度が20%以下になって乾燥している飛行機、とりわけ座席の狭いエコノミークラス席で発病する確率が高いと思われているために、エコノミークラス症候群と呼ばれるが、ファーストクラスやビジネスクラス、さらに列車やバスなどでも発生の可能性はある。長時間同じ体勢でいることが問題といわれる。
2002年にサッカーの高原直泰選手が、海外への移動に際してエコノミークラスより格段に広いビジネスクラスを利用して発病したこともあり、エコノミークラス以外なら安全ということではない。このため、旅行者血栓症とも言われるが、日本旅行医学会は、バスなどでの発生は稀だとして、ロングフライト血栓症に改称することを提唱している。
- なお、高原選手の2006年のワールドカップドイツ大会の代表選出に関連して、ドイツへの移動に際しては、高原選手のみは日本サッカー協会からファーストクラスが宛がわれた。(ジーコ監督以下他のスタッフはビジネスクラスを利用)[1]
2004年の新潟県中越地震では、車の中で避難生活を送る人たちの中に、エコノミークラス症候群の疑いで死亡するケースが相次いだ。
なお、海外では犠牲者の遺族が航空会社を提訴するなど社会問題にもなっている。
[編集] 統計
日本での年間症例数は約4,000例(2000年)と推計され、増加傾向である。
[編集] 疫学
欧米に多く、日本では少ない。人種別では黒人に多く、黄色人種に少ないとされる。高齢者に発症しやすい。
[編集] 予防
静脈血栓塞栓症は突然死をきたす重篤な疾患である。そのため発症する前に予防することが非常に重要である。一般的に推奨されている予防法を示す。
- 長時間にわたって同じ姿勢を取らない。時々下肢を動かす。飛行機内では、着席中に足を少しでも動かしたりすることなどが推奨されている。(乱気流により負傷する事故もあることとから、飛行中にむやみに席を立って歩いたりすることは行わないほうが良い。)
- 麻痺や療養のため長期臥床を余儀なくされる場合は、弾性ストッキングや空気式圧迫装置を用いて血液のうっ滞を防ぐ。
- 脱水を起こさないよう、適量の水分を取る。(飛行機内では客室乗務員を呼び出して持ってきてもらう。) ビール等のアルコール飲料は脱水を引き起こすので危険である。
- 血栓症のリスクが高い場合は、予防的に抗凝固療法を行う。
- 下肢静脈に血栓が存在する場合には、肺に血栓が飛ぶのを防ぐために下大静脈フィルターの留置が検討される。
日本では2004年に肺血栓塞栓予防管理料(保険点数305)が保険収載された。日本は初めての”予防”の保険適応である。
[編集] 症状
代表的な症状は呼吸困難と胸痛である。そのほか、動悸、冷汗、チアノーゼ、静脈怒脹、血圧低下、意識消失などを生じる。急激かつ広範囲に肺塞栓を生じた場合は心肺停止となり、突然死する。
[編集] 検査
- 肺血流シンチグラム:ラジオアイソトープを用いて肺血流の分布を調べる検査。肺塞栓症の診断に最も適しているとされていたが、近年は造影CTにその座を譲りつつある。
- 肺動脈造影:血管内に造影剤を注入して肺動脈を描出する検査。高い診断能を持つが、技術と経験が必要である。
- 造影CT:静脈内に造影剤を急速注入し、肺動脈に到達するタイミングに合わせてCTを撮る検査。比較的簡便で診断能も高い。
- 動脈血液ガス分析:動脈から血液を採取し、酸素や二酸化炭素の量を調べる検査。呼吸機能を評価する検査としてスクリーニングに用いられる。
- 線溶系:血液を採取し、D-ダイマー,TAT,FDPなどを測定する検査。D-ダイマー(D-dimer)とは血栓が溶解する過程で生じる分解産物であり、血栓症の二次線溶において上昇する。
- 心電図:肺塞栓症では肺血管抵抗の上昇により右心負荷がかかるため、心電図異常を呈する。
- 経食道エコー、心エコー:超音波で血栓の存在や右心負荷の程度を確認する。経食道エコーは食道内から超音波を当てる検査で(見た目は胃カメラに似ている)心臓や肺血管の観察により適している。
- 凝固因子:日本人ではFactor V Leiden(ライデンで見つかったためこのように呼ばれる異常第5因子)はみられないため(現時点では未報告)、V因子活性は測定する意義は薄い。むしろ日本人ではプロテインC/プロテインSについて活性異常を念頭に置かなけらばならない。コーカソイドのみに第V因子活性異常は報告されており、日本在留のコーカソイドの発症の際には留意が必要と考えられる。
[編集] 診断
まず臨床症状から本症を疑うことが重要である。同様の症状では虚血性心疾患を疑うのが通常であるが、常に本症を念頭に置く必要がある。 確定診断には画像検査が用いられる。画像検査で肺血流の不自然な欠損や血栓の存在が証明できれば診断は確定する。従来は肺血流シンチグラムがgold standardとされてきたが、1990年代の後半に造影CTの優位性を証明した論文が発表され、流れが変わった。2003年に発表されたBritish Thoracic Societyのガイドラインでは診断にD-ダイマー測定と造影CTを用いることが推奨されている。
急性肺血栓塞栓症では一刻も早い治療が必要であり、速やかに診断をつけなければならない。日本では欧米に比べCTの普及率が高いため、造影CTによる診断は現実的で有用であると思われる。しかしながら2005年現在でも実地医療における診断法は未だ確立されているとは言い難い。一方、欧米では深部静脈血栓症/肺血栓塞栓症の除外診断法がガイドライン化されており、Dダイマー測定によるスクリーニングが簡便性、コスト、患者負担という側面で普及している(その後確定診断として画像診断(CTなど)が用いられる)。
[編集] 治療
血栓の除去と循環動態の改善を目的とした治療が行われる。
[編集] 抗凝固療法
薬物を用いて血液を固まりにくくする治療法。ヘパリン(注射)、ワルファリン(内服)などの抗凝固薬が用いられる。血栓の増大や再発を防ぎ、生命予後を改善する。禁忌例(出血が命に関わる場合)を除きほぼ全例に行われる。副作用として、出血、血小板減少症(ヘパリン)などがある。血栓を急速に溶かす効果はないため、重篤な肺血栓塞栓症には他の治療法が併用される。
[編集] 血栓溶解療法
薬物を用いて血栓を溶かす治療法。ウロキナーゼ、組織プラスミノーゲン活性化因子(tPA)などの血栓溶解剤が用いられる。血栓を早期に溶解させ、循環動態を改善させる。速やかな改善効果が得られる反面、重篤な出血を引き起こす危険性もあるため、投与は重症例に限られるのが一般的である。 なお、モンテプラーゼ(遺伝子組換えt-PA)について、2005年7月25日より不安定な血行動態を伴う急性肺塞栓症に限り健康保険適用が認可された。
[編集] 血管内治療法(IVR)
血管内カテーテルを用いて薬剤を注入したり血栓を除去する治療法。血栓溶解療法が不可能な場合(命に関わる出血が予想される場合)や、大量の血栓を早急に除去する必要がある場合に行われる。高度な技術を必要とするため、実施可能施設が限られる。以下のような治療が行われている。
- カテーテルから塞栓部に直接血栓溶解剤を注入し、血栓を溶かす。
- カテーテルやワイヤーで血栓を細かく粉砕する。
- カテーテルで血栓を吸引し除去する。
[編集] 手術療法
手術で血栓を除去する方法。急激かつ広範囲の肺塞栓により生命の危機に瀕している場合は、救命のため一刻の予断なく緊急手術となる。また薬物療法が効かず病状が悪化する場合も手術が検討される。
[編集] 予後
死亡率は10~30%と報告されている。死亡例の多くが発症直後の突然死である。治療が奏効すれば生命予後は良好であるが、症状消失後も再発のおそれがあり、抗凝固療法を続ける必要がある。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 小山田吉孝・佐藤徹・石坂彰敏 「急性肺塞栓症の診断と治療」『呼吸と循環』53巻、医学書院、2005年、pp.177-185。
- 肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン作成委員会 『肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン』 メディカル フロント インターナショナル リミテッド、2004年。
- 第28回日本血栓止血学会 教育講演「日本人における血栓症の遺伝的背景:欧米人との違い」
- British Thoracic Society Standards of Care Committee Pulmonary Embolism Guideline Development Group, "British Thoracic Society guidelines for the management of suspected acute pulmonary embolism", Thorax, Thoracic Society, Vol.58, London: British Medical Association, 2003, pp.470-484.
- M Nakamura, H Fujioka, N Yamada, et al, "Clinical characteristics of acute pulmonary thromboembolism in Japan : result of a multicenter registry in the Japanese Society of Pulmonary Embolism Reserch", Clinical cardiology, Vol.24, New York: Foundation For Advances In Medicine And Science Inc., 2001, pp.132-138.
- M Sakuma, T Takahashi, "Incidence and characteristics of pulmonary thromboembolism in Japan", Circulation journal, Vol.66, Kyoto: Japanese Circulation Society, 2002, p.729.