雲仙岳
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雲仙岳(うんぜんだけ)は、長崎県の島原半島中央部にある火山。広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称。「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれる。行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがる。狭義ではいわゆる「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともある。
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[編集] 概要
主峰は普賢岳(ふげんだけ)で、標高は1359mである。現在では、1990年から1995年にかけての火山活動で形成された平成新山(へいせいしんざん)の方が高く1482.7mとなっている。
古くは『肥前国風土記』で「高来峰」と呼ばれているのがこの山であり、温泉についての記述がある。雲仙はもとは「温泉」と表記され「うんぜん」と読ませていたが、国立公園指定の際に現在の表記に改められた。701年(大宝元年)に行基が大乗院満明寺を開いたことが伝えられている。この満明寺の号が「温泉(うんぜん)山」である。以後、雲仙では霊山として山岳信仰(修験道)が栄えた。
また、行基は同時に四面宮(温泉神社)を開いたといわれている。祭神は、『古事記』にて筑紫島をあらわす一身四面の神である。この神社は上古には温泉神社、中古には四面宮と称されていたが、1869年(明治2年)の神社改正により筑紫国魂神社と改称され、1915年(大正4年)の県社昇格に際して温泉神社に戻した。島原半島中に10数の分社がある。
雲仙温泉としては、1653年(承応2年)に加藤善右衛門が開湯した延暦湯が始まりといわれている。水蒸気が噴出して硫黄の臭いがたちこめる光景が地獄と形容される。キリシタン弾圧の舞台にもなった。
地質学上の調査で推定される現象でしかなかった火砕流が、世界で初めて鮮明な映像として記録された火山としても有名である。当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱。1991年6月3日に発生した大規模な火砕流に多数の報道、消防関係者が巻き込まれ、43名の犠牲者を出した。その中には、世界的な火山学者であったクラフト夫妻も含まれていた。
[編集] 報道について
犠牲者は、全てが不運な巻き添えであるかのように言われることが多いが、取材過程のトラブルや、退避勧告に従わなかった一部マスコミの行動により、純粋な被害者は、警察・消防関係者および地元住民であり、研究者はともかく、マスコミ関係者は一種の加害者と見る向きがある。
[編集] 歴史
- 701年 行基による開山
- 1663年(寛文3年) 噴火。
- 1792年(寛政4年) 噴火。眉山が山体崩壊を起こし、「島原大変肥後迷惑」の発生
- 1928年(昭和3年)3月31日 「温泉岳」として国の文化財(名勝)に指定。
- 1934年(昭和9年)3月16日 雲仙国立公園(現雲仙天草国立公園)として日本で最初の国立公園に指定。
- 1952年(昭和27年)3月29日 「温泉岳」として国の文化財(特別名勝)に指定。
- 1990年11月17日 噴火活動を開始
- 1991年5月20日 地獄跡火口から溶岩ドームの出現が確認される。
- 1991年6月3日 大火砕流が発生。報道、消防関係者を中心に死者43名の大惨事に。この中には有名な火山学者クラフト夫妻も含まれる。
- 1995年4月 噴火活動の休止
- 1996年5月20日 島原市と小浜町(現雲仙市)が溶岩ドームを平成新山と命名。
- 2004年4月5日 平成新山が国の天然記念物に指定される。
[編集] 雲仙岳の防災
山頂付近になお不安定土砂が多数存在しており、豪雨時には土石流となり下流の集落、国道などへ流下してくることから、山麓では治山、砂防事業によるダムの設置、緑化工事、導流堤の設置など、大規模な防災施設の設置が進められている。