金剛頂経
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)は、金剛界曼荼羅の典拠となる経典であり、大悲胎蔵生曼荼羅の典拠となる『大日経(だいにちきょう)「大毘盧遮那成仏神変加持経」』と並ぶ日本密教の根本聖典で、特に密教の「即身成仏」の原理を明確に説いた経典とされ、真言宗、天台宗にとって欠くことのできない経典である。 真言宗(東密)では特に根本経典として最も重要な経典とされ、『金剛頂経』と『大日経』の二つの密教経典を「両部の大経」という。
空海(くうかい)(774年~835年)は、唐の長安において青龍寺の恵果(けいか)和尚(746年~805年)の弟子となり、密教の伝法潅頂を授かり、『金剛頂経』の教理と実践方法を伝授(大日如来―金剛薩埵―龍猛―龍智―金剛智―不空―恵果―空海と付法)される。806年に日本に初めて、『金剛頂経』に基づく実践体系を伝えている。
『金剛頂経』は龍猛が南天竺の鉄塔のなかで感得したという伝説がある。この経典は大日如来が18の異なる場所で別々の機会に説いた10万頌(じゅ)に及ぶ大部の経典の総称であり単一の経典ではない。 普通に『金剛頂経』といわれるときは、そのうちの初会(しょえ)にあたる『一切如来真実摂経(いっさいにょらいしんじつしょうきょう)』のことをさす。
漢訳経典
金剛智(こんごうち)三蔵(ヴァジュラボーディー/670年頃~741年)がサンスクリット語から漢訳した『金剛頂瑜伽中略出念誦経(略出念誦経)』四巻、不空(ふくう)三蔵(ア-モガヴァジュラ/705年~774年)が漢訳した『金剛頂一切如来真実摂大乗現証三昧大教王経(金剛頂大教王経)』三巻、施護(せご)が漢訳した『一切如来真実摂経』三十巻がある。
サンスクリット原典、チベット語訳も現存し、それらは漢訳では施護訳と対応する。7世紀中頃から終わりにかけて、南インドでその基本形が成立し、次第に施護訳にみられるような完成形態に移行したとされる。
内容
大日如来が一切義成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)(釈尊(しゃくそん))の問いに対して、自らの悟りの内容を明かし、それを得るための実践法が主となっている。その悟りの内容を具体的に示したのが金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)であり、その実践法の中心となるのが五相成身(ごそうじょうじん)観である。五相成身観とは、行者(ぎょうじゃ)の汚れた心を、瑜伽(ゆが)の観法を通じて見きわめ、その清浄(しょうじょう)な姿がそのまま如来の智慧(ちえ)に他ならないことを知り、如来と行者が一体化して、行者に本来そなわる如来の智慧を発見するための実践法である。
8世紀の瑜伽部密教の三大学匠といわれるブッダグヒヤ、アーナンダガルバ、シャーキヤミトラなどの注釈書がチベット訳として残る。 『金剛頂経(真実摂経)』のチベット語訳には注釈書が付随し、現存するものを挙げると、 ブッダグヒヤ(Buddhaguhya)撰 『タントラ義入』、 シャーキャミトラ(Sakyamitra)撰 『コーサラの荘厳という真実の集成に対する注釈』、 アーナンダガルバ(Anandagarbha、)撰 『一切如来の真実の集成である大乗の現観と名づけるタントラの注・真実の燈明』、 プトゥン(Bu ston rin chen grub)撰 『瑜伽タントラの海に入る船』、 の四つがある。