松平重昌
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松平 重昌(まつだいら しげまさ)
- 福井藩主。下記で詳述。
- 能見松平家の人物。桶狭間の戦いで戦死。
松平 重昌(まつだいら しげまさ)は江戸時代の大名。越前国福井藩の第9代藩主。
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時代 | 江戸時代 | |||
生誕 | 寛保3年8月22日(1743年10月9日) | |||
死没 | 宝暦8年3月18日(1758年4月25日) | |||
別名 | 於義丸、小五郎(幼名) | |||
官位 | 従四位上、権少将、越前守 | |||
藩 | 越前福井藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:徳川宗尹、養父:松平宗矩、母:一条氏 | |||
妻 | なし | |||
子 | 養嗣子:松平重富 |
[編集] 略歴
一橋徳川家の当主・徳川宗尹の長男として生まれる。延享4年(1747年)6月12日、福井藩主・松平宗矩の養嗣子となる。寛延2年(1749年)10月21日に宗矩が没したため、同年12月7日に跡を継いで福井藩主となる。宝暦5年(1755年)6月13日に元服し、将軍徳川家重から偏諱を賜り「重昌」と名乗り、従四位上権少将・越前守に叙任される。宝暦8年(1758年)3月18日にわずか16歳で夭折し、その跡は養嗣子で実弟の松平重富が継いだ。