谷口功一
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谷口 功一(たにぐち こういち、1973年5月4日 - )は、プロ野球・読売ジャイアンツ、西武ライオンズ、大阪近鉄バファローズに所属した投手である。1990年、天理高二年の夏甲子園で1学年上の南竜次との二枚エースで全国制覇。翌年1991年ドラフト1位で巨人入り。長身から低めに決まる速球に威力はあったが大成することは無かった。高校時代から既に体が完成していたのか、それ以上の伸びしろが無かったのかも知れない。1999年限りで近鉄を退団した後はアメリカの独立リーグでプレーした。アメリカから帰国後の現在はスポーツバーの支配人をしている。
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[編集] 略歴
- 身長・体重 1m91cm、98kg
- 投打 右/左
- 出身地 大阪府四條畷市
- 血液型 B型
- 球歴・入団経緯 天理高(甲子園出場) - 読売ジャイアンツ - 西武ライオンズ(1998年) - 大阪近鉄バファローズ(1999年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1991年(1位)
[編集] 1991年のドラフト
- この年は鈴木一朗(愛工大名電高→オリックス、現マリナーズ)をはじめ田口壮(関西学院大→オリックス、現カージナルス)、石井一久(東京学館浦安高→ヤクルト)、金本知憲(東北福祉大→広島、現阪神)、中村紀洋(大阪・渋谷高→近鉄、現オリックス)、斎藤隆(東北福祉大→横浜大洋、現ドジャース)、若田部健一(駒大→福岡ダイエー→横浜大洋)、落合英二(日大→中日)、片岡篤史(同志社大→日本ハム、現阪神)、それに松岡の平安高の先輩に当たる桧山進次郎(東洋大→阪神)と、後にプロで実績を残す選手たちがたくさん指名された「大豊作ドラフト」となった。一方、巨人には谷口、松岡正樹(平安高)、小原沢重頼(城西大)ら6名が指名されたが、誰一人モノになった選手はおらず、全員20世紀中に球界から消えてしまった。
[編集] 背番号
- 25(1992年~1994年)
- 48(1995年~1997年)
- 63(1998年)
- 52(1999年)
[編集] 通算成績
- 7試合 0勝0敗0セーブ 9奪三振 防御率7.36