議院内閣制
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議院内閣制(ぎいんないかくせい、Parliamentary System)とは、「議会」と「政府(内閣)」が分立してはいるが、「政府(内閣)」は「議会」の信任に拠(よ)って存在する制度。
「議会」は二院制の場合、主に下院の信任を必要とされ、一方で内閣は連帯責任(日本国憲法66条参照)による議会の解散権をもつことによって制度上議会と内閣との間に相互関係を築いている政治統治体系をいう。
目次 |
[編集] 議院内閣制の歴史
18世紀に英国で誕生し、立憲君主制の標準的制度としてヨーロッパと日本に広まり、英国植民地からの独立国を中心に多くの新興独立国にも取り入れられた。
[編集] 議院内閣制の種類
一般的な「議院内閣制」は「一元主義型議院内閣制」のことを指し「議院内閣制」の標準とされる。「二元主義型議院内閣制」は今日では変則とされるが、初期の「議院内閣制」は二元主義のものであった。近年では、半大統領制の下で「二元主義型議院内閣制」が復活している。
- 注)特に英国等では「一元主義」「二元主義」の境界は曖昧で、現在でも英国議会は伝統的に議会における首相指名選挙というものは行われず、辞職する首相の助言に基づき国王が次期首相を任命するという形式になっている。また大臣の議会に対する責任は、連帯ではなく単独で国王を輔弼することである。このため議会での政府の施政方針演説は首相ではなく国王が行う(単に用意された原稿を読むだけだが)。だが実際の運用はほとんど以下の「一元主義型議院内閣制」の項の説明と変わらない。
[編集] 一元主義型議院内閣制
[編集] 概念
修飾語なしに「議院内閣制」を論じるときに想定される標準的制度である。この制度の場合、大統領や君主などの国家元首は儀礼的な役割しか持たず、首相が実際の行政権を持つのが普通である。
以下この項では主として日本を念頭に解説する。
[編集] 主な国家
英国(脚注)、フランス第三・第四共和制、日本、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オランダなど
[編集] 制度
「一元主義型議院内閣制」では、議会が首相の任命に同意し(日本やドイツのように議会が直接指名する場合と、その他の多くの国のように前任の首相やその他の人物・機関の助言をうけて元首が新首相を任命し、議会が信任する場合とがある。)、首相が内閣の他の大臣を指名する。内閣は議会に対して連帯して責任を負い、分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合(閣内不統一)、大臣が閣内にとどまったまま首相に対する反対派となることは許されず、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。辞任を通じて議会内の多数派に変動がおき、結果的に内閣が倒れることは許容される。
内閣は議会の明示的あるいは暗黙的な多数派に依拠しなければならない。議会は、内閣不信任決議を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる(注)。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、議会の多数派を再形成するために議会を解散するかを選択する。解散の後、選挙を経て新たに作られた議会の勢力により内閣の命運が決まる。選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任をあきらめ別の首相が任命されることになる。
注)ドイツの場合は、憲法に当たるドイツ連邦共和国基本法で、連邦議会が新首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない「建設的不信任(Konstruktives Misstrauensvotum)」制度を採用しており、逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。これはヴァイマル共和政時代に倒閣だけを目的とした内閣不信任が何度も可決された結果政治が安定せず、その混乱を衝く形でナチスが台頭してしまったことへの反省によるものである。 つまり一見ドイツの内閣は積極的な議会解散権を持たないように見えるが、実際には与党に信任決議案を出させ、わざとそれを否決させて解散を実現する手法がとられる。だが、この手法を憲法違反と批判する憲法学者もいる。
[編集] 現状
政党規律が強まった現代では、国民の支持の「短期的な」変化とかかわりなく議会内多数派が維持できるようになった。重要争点について自党内が分裂して不信任投票に至らぬよう、予め十分に調整することができるのである。そのため首相は重要争点をめぐって解散に打って出て多数派を再形成する必要がなくなった。
また、世論調査が普及して支持率が常にわかるようになると、あまりに顕著かつ長期的な支持率低下をみて政権の継続を断念する内閣が増えた。このまま政権を担当し続けるにしても、遠からず来るであろう議員任期満了による選挙で自党を勝たせる可能性は低い。よって自党内から首相降ろしの運動が始まるのである。それに抵抗して首相が解散に打って出ても、自党(場合によっては自派)の敗北が予想されるためにそれも不可能であり、野党に転落し、しかも党首の座を追われるという最悪の結果を避けるため、国民に不人気となった首相は自ら辞任する。
このため、不信任による解散、という議院内閣制の代表的な機構が用いられる頻度は、20世紀後半から低下している。ただ、国民の支持の厚い首相=党首を擁する場合は、不信任決議と関わりなく解散を行い、さらに自党の政権を選挙時点からさらに向こう任期年間延命することができる。不人気な首相が自ら辞任して後継自党党首[1]に託すのも、たったそれだけで国民の支持が回復することが現実にあり得るからである。
[編集] 二元主義型議院内閣制
[編集] 概念
君主や大統領等が裁量権を持つが、その補助的な役割として首相が存在し行政権が与えられて内閣が存在するもの。半大統領制等の場合において見られる。
[編集] 主な国家
英国(脚注)、大正デモクラシー期の日本、ワイマール時代のドイツ、オルレアン朝と第五共和制のフランス。
[編集] 制度
「二元主義型議院内閣制」では、君主または大統領が首相を指名し、首相が他の大臣を指名する。多くの場合、首相または内閣(あるいは双方)は議会からの信任をも必要とする。首相の解任権限は君主または大統領が実質的にも保持し、しかも議会も不信任決議によって内閣を退陣させることができる。内閣全体に対してではなく個別の大臣に対しても不信任決議を出せる制度もある。議会の解散権は内閣ではなく君主または大統領が持つ。それゆえ、不信任された内閣はその時点で君主または大統領に見捨てられることが多く、解散を通じて乗り切ることは少ない。
「二元主義型議院内閣制」は議会権力の勃興期に現われ、君主が自己の好む首相の擁立に失敗して議会に屈服したときに「一元主義型議院内閣制」に移行した。
後には、組閣をめぐる議会内の取引に政局が左右されることを避け、一人の元首によって政治的安定を確保するために導入された。しかし、両方の信任をつなぎとめなければならないので内閣の存立条件はむしろ厳しくなった。
現在の半大統領制では、大統領が統治の実権を握り、内閣の意義、ひいては倒閣の意義が小さいものが多い。この場合、内閣の頻繁な交代は単なる大臣の交代にとどまり、政治危機の規模は局限される。現在のフランス第五共和制では、大統領と議会多数派が食い違った場合に大統領が譲って「一元主義型議院内閣制」に切り替わる慣行になっている。
[編集] 議院内閣制に関する議論
若干概念論争的になるが、内閣の議会解散権は議院内閣制の必要条件ではないとする説が、通常の憲法学または政治学上の多数説であるようである。議会解散という制度は、歴史的に古くから存在した。よって行政権を通常担当する者(近現代では内閣)が、その行使につき責任を誰に対して負うのかという点が争われ、結果として議会が国王に対して勝利した時、解散権は与件としてあったのであり、これが議院内閣制という制度を他から分かつ標識たり得るかという点については疑問視されるのである。たとえば議会解散権が事実上封じられていたフランス第三共和政も、議院内閣制でないとは言えない。統治の効率の点で問題の多い少ないは別儀である。
[編集] 現在議院内閣制を採用する主な国家
[編集] 君主国
[編集] 共和国
*イギリスの議院内閣制
1715年 ウォルポールがイギリス最初の首相に任命される。(二元主義型議院内閣制)
1832年 庶民院(下院)でホイッグ党が多数であったが、国王がトーリー党の首相を任命しようとする。
→失敗、一元主義型議院内閣制へ移行