蓮町駅
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蓮町駅(はすまちえき)は、富山県富山市蓮町1丁目2番地にある、富山ライトレール富山港線の駅。
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[編集] 駅構造
[編集] 富山ライトレール時代
地上駅。旧ホームの南側に位置する蓮町踏切を基準として、北西側に下り用1番線が、南東側に上り用2番線がある変則的な相対式ホーム2面1線構造となっている。1番線は旧ホーム跡地の南寄り、JR時代まで駅舎があった場所に設置され、2番線は背後にマンションが建つ狭い区画に設置された。
[編集] 国鉄・JR時代
線路の西側に単式ホームを持つ、片面ホーム1面1線の地上駅であった。国鉄時代にはホームの東側に貨物ヤードがあり、南側は住友運河の手前まで、北側は国道415号線の手前まで広がっており、棒線である旅客駅と比べてはるかに広大であった。そして貨物ヤードの南側は、北陸本線の富山操車場へ延びる貨物線になっており、城川原駅手前まで旅客本線の東側に沿う単線並列区間になっていた。
この貨物ヤードの多くは宅地に転用されたが、その先の単線並列区間については、2006年の時点で跡地は利用されておらず住友運河の橋も残っている。そのほか当駅と国道415号との間には、クラレ富山工場に向かう引込線がかつてあり、大広田駅方から西にカーブして県道30号線(通称・富岩街道)を横断していた。
駅舎はホームの城川原方の端に接するような形で設けられており、妻面に入口があった。開業当初からの、木造瓦葺の駅舎で、内部には広い待合所のほか窓口があり、その他自動券売機が一台設置されていた。JRとなってからの2001年3月に無人化された駅で、富山港線内では最後まで有人駅となっていた。末期、2005年11月から2005年12月にかけて駅舎のうち事務室部分を撤去し、その後、2006年1月ごろから仮駅舎での営業となった。末期の所在地は、富山県富山市蓮町字一本木割75番地であった。
[編集] 駅周辺
- 馬場記念公園
- 旧制富山高等学校の跡地。創設者の馬場はる子の名前が冠せられている。
[編集] フィーダーバス
移管開業に合わせて、当駅と富山市四方地区(当駅の北西に位置しており神通川の対岸)にある四方神明町バス停との間で、列車に接続するフィーダーバスを試験的に運行している。当初は両区間をほぼ最短で結ぶルートだったが、8月28日からは途中の住宅団地などを経由するルートに変更された。これに伴い所要時間が増加したため、運行間隔が30分から1時間に延びた(一部例外あり)。
運賃は200円均一だが列車と乗り継ぐ場合には100円になる。ICカード乗車券「Passca」は使用できない。運行は富山地方鉄道に委託されており、車体にはフィーダーバスと表記されている。蓮町駅バス停は、当初従来と同様に並行する県道の両側に設置されていたが、8月下旬に蓮町踏切の北東側(下り用1番線から見て線路の向かい側)に駐車スペースとバス停が新設され、ホームとの距離が短縮された。なおフィーダーバスの運行開始に伴い、当駅などを経由して富山駅と四方地区とを結んでいた富山地方鉄道の路線バスは廃止された。
[編集] 歴史
- 1924年(大正13年)7月23日 - 富岩鉄道の富山口駅から岩瀬港駅(現在の岩瀬浜駅)までの開通とともに高等学校前駅として開業(旅客営業のみ)。
- 1927年(昭和2年)12月15日 - 富岩鉄道が富山駅から岩瀬港駅までの間で貨物営業を開始する。
- 1941年(昭和16年)12月1日 - 富岩鉄道が富山電気鉄道へ路線を譲渡し同鉄道の富岩線となる。
- 1943年(昭和18年)1月1日 - 富山電気鉄道が富山県内の多くの会社と合併し富山地方鉄道の一部となる。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 富山地方鉄道富岩線が国有化、国鉄富山港線とされる。同時に蓮町駅に改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2001年(平成13年)3月4日 - 無人化。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 廃止。
- 2006年(平成18年)4月29日 - 富山ライトレールの駅として再び開業。
[編集] 隣の駅
[編集] 参考文献
- 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN 4-916181-21-2、32-34頁、61-62頁。