船越神社 (志摩市)
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船越神社 | |
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所在地 | 三重県志摩市 大王町船越861番地 |
主祭神 | 天照大神ほか8座 |
社格等 | 村社 |
創建 | 正徳3年(1713年)以前 |
本殿の様式 | 神明造 鉄筋コンクリート造 |
例祭 | 10月18日 |
主な神事 |
目次 |
[編集] 概要
所在地は志摩市大王町船越861番地。神紋は五瓜に唐花。境内敷地面積は 6,800m²である。
創建当初は内宮へ神饌を献上する御厨の神明社であった。魚介類を調理したのちに内宮へ護送していたことから、御饌神として豊受大御神を祀る贄島社が付近に創建された。
大王崎のある波切地区寄りにある岩礁三島山付近の漁業権を巡り、船越と波切で紛争となるたびに船越は伊勢神宮へ奉献する神饌の採取場所であるので譲れないと主張した。1872年(明治5年)の紛争ののちの1880年(明治13年)、三島山を国有地とし船越と波切の境と定められた。
[編集] 歴史
所在地の船越は、鎌倉時代から室町時代にかけて東船越御厨として内宮の支配下にあり、このころに祭祀された神明社を村の氏神とし、毎年6月と12月の月次祭に用いる神饌を内宮へ献上した。
波切城を拠点とし、支配地を広げていた九鬼氏に支配されたのちも内宮への神饌の献上は続けられたが、船越に蘇民将来信仰と牛頭天王信仰が広まるとともに神明社としての祭儀が軽んじられ、牛頭天王を祭祀し天王祭を行なうようになり、正徳3年(1713年)の『志陽略誌』では、主祭神が牛頭天王とされた。
1871年(明治4年)に牛頭天王を主神とする津島社として村社に認められたが、典籍にあわないとして1876年(明治9年)10月に船越神社に改称した。
1907年(明治40年)12月5日に境内の若宮社、無格社の八幡宮、愛神社、山神社、秋葉社、七本松社、舟古志社、贄島社を合祀する許可を受け、同年12月20日に合祀祭を行ない、村社船越神社となった。
[編集] 祭神
- 天照大神:主祭神、勧進年月は不詳。
- 豊受大御神:旧贄島社の祭神、勧進年月は不詳。
- 応神天皇:旧八幡神社の祭神、勧進年月は不詳。
- 猿田彦:旧愛神社の祭神、勧進年月は不詳。
- 大山祇命:旧山神社の祭神、勧進年月は不詳。
- 不詳4座:旧秋葉社祭神の火鎮神、旧七本松神社祭神で大神の馬蹄とされる馬蹄石ほか。
[編集] 社殿
明治以前の社殿の記録が残されておらず定かではないが、1879年(明治12年)2月20日、1907年(明治40年)12月20日、1939年(昭和14年)10月18日に遷宮が行なわれた記録が残されている。ここまでは木造の社殿であった。
1961年(昭和36年)10月18日に行なわれた遷宮で、神饌所(19.78m²)と鉄筋コンクリート造の拝殿(77m²)、内削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ鉄筋コンクリート神明造の社殿(4.95m²)の社殿となった。
[編集] 境内祠
- 馬蹄石
- 旧七本松神社祭神で大神の馬蹄とされる馬蹄石が明治40年の合祀に伴い移転された。高さ1.5m、直径1.3mのこの石には直径10cmほどのくぼみが2か所あることから馬蹄石と呼ばれ、巨石信仰の名残であると考えられている。
- 山の神
[編集] 狛犬
参道中程に1対と、第2鳥居前に1対の狛犬が置かれている。
[編集] 宝物
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- 『大王町史』(平成6年8月1日発行、編集:大王町史編さん委員会、発行:大王町)
- 『三重県神社誌』(平成5年10月10日発行、編集・発行:三重県神社庁)
- 『講座 日本荘園史6 北陸地方の荘園・近畿地方の荘園1 』(1993年2月20日、網野善彦・石井進・稲垣泰彦・永原慶二、吉川弘文館出版、ISBN4-642-02696-7)
[編集] 外部リンク
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