聖神社
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聖神社(ひじり じんじゃ)は大阪府和泉市王子町919(和泉国和泉郡)にある神社。和泉国の三宮である。現在の社殿は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもので、本社本殿や末社本殿が重要文化財に指定されている。旧府社。大鳥神社・泉穴師神社・積川神社・日根神社とともに五社大明神として信仰されている。
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[編集] 由緒
天武天皇の白鳳3年(675年)8月15日に信太首(しのだのおびと)が祀ったものとされる。
[編集] 社名
『延喜式』神名帳には「聖神社」とあるが、「信太大明神」「篠田社」「信太聖社」などとも呼ばれる。
[編集] 祭神
- 聖神
聖神(ひじりのかみ)は『古事記』に登場する神で大年神の子である。「和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起」によると本地仏は地蔵菩薩となっている。
社家説によれば以下の5柱が祭神だという。現在は配祀神になっているらしい。
- 瓊々杵尊
- 天照大神
- 饒速日命
- 木花開耶姫命
- 磐長姫命
[編集] 歴史
渡来氏族の信太首が氏神として祀ったのが、始まりではないかと言われている。859年(貞観1年)5月7日に官社に指定され、同年8月13日に従五位下から従四位下の神階を受ける(『三代実録』)。『延喜式』(927年(延長5年))では神名帳にその名が記載される。中世の『和泉国神名帳』では神階が「正一位」となっている。
鎌倉時代には信太氏が代々神主職となっていたが、南北朝時代に南朝方についたために、その後信太氏は神主職の地位を失う。かわって1360年(延文5年)には和田蔵人が神主職についている。南北朝時代より同じ和泉国の大鳥神社・泉穴師神社・積川神社・日根神社とともに「五社大明神」と呼ばれるようになる。和泉国の神社の3番目の地位を占めるが、「三宮」の記述は中世にはない。1575年(天正3年)、織田信長に所領1100石を安堵されるが、1585年(天正13年)の豊臣秀吉の根来攻めで兵火にあい、所領も没収された。
江戸時代の初期に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として各地の社寺を造営したが、聖神社も1604年(慶長9年)に造営をうけている。そのときの現存している遺構は本社本殿と末社三神社・滝神社・平岡神社の本殿で国と府の文化財に指定されている。また神宮寺として真言宗の万松院があり、五重塔や鐘堂があった。1796年(寛政8年)には社家と社僧の間で紛争が起こっている。
明治時代になると、神仏分離により神宮寺の万松院は廃寺となった。1872年(明治5年)に郷社に列格し、1943年(昭和18年)3月に府社に昇格する。戦後、神社本庁の被包括宗教法人となる。
[編集] 境内社
- 稲荷塚
- 稲荷塚が10基ほどある。
- 三神社
- 現在の三神社と滝神社の社殿は本社本殿と同じく1604年(慶長9年)の建立で、極彩色と華麗な装飾は桃山時代の特徴を示している。国の重要文化財となっている。ともに1873年(明治6年)に現在地に遷座した。三神社社殿は三間社春日造桧皮葺である。三間社の春日造は全国的にも珍しい。
- 滝神社
- 社殿は一間社春日造唐破風付桧皮葺である。
- 平岡神社
- 枚岡神社の分社か。
- 社殿は一間社春日造桧皮葺で、大阪府指定有形文化財となっている。現在の社殿は1604年-1606年(慶長9-11年)の建立である。
- 聖不動明王
- 遥拝所
- 伊勢神宮の遥拝所。近代に建てられたものである。
[編集] 交通
[編集] 外部リンク
- [1](個人サイトによる聖神社の紹介)