田中マルクス闘莉王
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田中 マルクス闘莉王(たなか マルクストゥーリオ、1981年4月24日 - )は、ブラジル生まれの日本のプロサッカー選手。日系3世で、日本に帰化するまでの旧名は、マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ(Marcus Tulio Lyuji Murzani Tanaka)。
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[編集] プレースタイル
長身を生かした空中戦の強さが特徴。屈強な体格を生かした激しいプレッシングと放り込まれるクロスボールへ適切に対応する手堅いディフェンスをこなす。
また高さを活かした力強いヘディングシュートを武器とするセットプレー以外でも、ドリブルなどで攻撃参加して前線まで上がってくることも極めて多く、超攻撃的なセンターバックとしての評価を確立している。サポーターは闘莉王のポジションを、『攻撃参加をするDF=DFW』と称している(ちなみに元日本代表の鈴木隆行も同じくDFWと称されていたが、闘莉王とは逆に本来のポジションはFWである)。闘莉王が攻撃参加することで守備面が手薄になると思われがちだが、闘莉王の上がりをフォロー出来るDFの坪井慶介・堀之内聖や守備的ボランチの鈴木啓太がいるため大きな問題にはなっておらず、浦和レッズの多彩な攻撃パターンにさらなる彩りを添えている。
熱くなりやすいと言う欠点もあるが、劣勢の展開でも声を張り上げて味方を鼓舞するポジティヴかつ情熱的な性格も評価されている。
空中戦以外にも流れの中では、ペナルティエリア外からでも強烈なミドルシュートを叩き込む力がある。DFながら、水戸時代、浦和移籍後を通じて数多くのゴールを挙げ、2005年シーズンはチームの得点王にも輝いた。
フリーキックを時々蹴るが、上手とはいえない。
非常に危険なプレーも時々ある。ただ最近は減ってきたとはいえる。
以前は無理にドリブルし、肉離れを起こしたことがある。
[編集] 経歴・人物
父親は日系ブラジル人2世(ブラジル名のLyujiは父親の日本名「隆二」に由来)、母親はイタリア系ブラジル人。
中学卒業後、千葉県の渋谷幕張高校がブラジルで行っていたスポーツ留学生のテストに合格したことがきっかけで日本に留学。Jリーグを目指してサッカーに明け暮れ、サンフレッチェ広島からオファーを受け、広島県出身の祖父の奨めもあって2001年に入団。新人離れした卓越したスピードとテクニックを兼ね備えたユーティリティープレーヤーとして注目を集めた。
2002年、シーズンにサンフレッチェがJ2に降格。1年での昇格を目指すため、新たに実力のある外国籍選手を獲得することとなり、外国籍選手の保有枠(1チームにA登録選手が3人まで)のため、2003年、J2水戸ホーリーホックにレンタル移籍。チームの上位進出の原動力となった。同年10月、日本への帰化をきっかけに、登録名をトゥーリオから現在の 田中マルクス闘莉王に変更。(トゥーリオを漢字に置き換えた)
2004年、J1浦和レッズに移籍。アテネオリンピック日本代表に選出。初代表選出にもかかわらずチームメイトに、「おまえら、もっと走れるだろ」と檄をとばす。
2006年、オシムジャパン体制で日本代表に選出。11月15日のアジアカップ予選・対サウジアラビア戦で代表初ゴールを挙げる。更にこの試合の終了直前、FWの高松大樹が獲得したPKを自分が蹴ると名乗り出てオシム監督を笑わせた(オシム監督は中村憲剛に蹴らせたかったようだ)。しかも、このPKをふかして外してしまった。試合後は「もうPKは蹴らない、こんな落ち込みはない…」等とコメントし、しょげた。オシムもこのプレーに対し「今日の収穫は、誰にPKを蹴らせてはいけないかが分かったことだ」と冗談交じりに話した。 シーズン後半はケガを抱えながら、鎮痛剤を服用しながら試合に出場し続け、浦和のリーグ制覇に大きく貢献した。彼が唯一欠場したリーグ戦の磐田戦では3失点を喫し敗戦するなど、特に守備における闘莉王の存在はあまりに大きかったのである。
また、ゴールを決めた後に広告看板の上に乗り浦和レッズのサポーターに向かって体全体を使い喜びを表現するパフォーマンスもある。ホームの埼玉スタジアム2002でよく見られる。たまに看板の上にうまく乗れないこともある。
なぜ手袋を裏表逆にして着用するのかは不明。
[編集] 所属チーム
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2001年 | 広島 | J1 | 23 | 17 | 1 | - | 5 | 0 | 0 | 0 | |
2002年 | 広島 | J1 | 6 | 22 | 1 | - | 5 | 0 | 0 | 0 | |
2003年 | 水戸 | J2 | 28 | - | 42 | 10 | - | 3 | 0 | ||
2004年 | 浦和 | J1 | 4 | 21 | 3 | - | 6 | 1 | 1 | 0 | |
2005年 | 浦和 | J1 | 4 | 26 | 9 | - | 7 | 1 | 2 | 0 | |
2006年 | 浦和 | J1 | 4 | 33 | 7 | - | 7 | 1 | |||
通算 | 119 | 21 | 42 | 10 | 30 | 3 | 6 | 0 |
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 代表歴
- アテネオリンピック サッカー代表
- キリンチャレンジカップ2006 トリニダード・トバゴ戦にて、A代表初選出
- アジアカップ2007予選 サウジアラビア戦にて、A代表初得点
[編集] 個人タイトル
- 2004年 - ベストイレブン
- 2005年 - ベストイレブン
- 2006年 - MVP&ベストイレブン
[編集] コマーシャル出演
- 富士フイルム『あしたに続く写真 闘莉王篇』(2005年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
浦和レッドダイヤモンズ - 2006 |
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1 山岸範宏 | 2 坪井慶介 | 3 細貝萌 | 4 田中マルクス闘莉王 | 5 ネネ | 6 山田暢久 | 7 酒井友之 | 8 アレックス | 9 永井雄一郎 | 10 ポンテ | 11 田中達也 | 12 黒部光昭 | 13 鈴木啓太 |14 平川忠亮 | 16 相馬崇人 | 17 長谷部誠 | 18 小野伸二 | 19 内舘秀樹 | 20 堀之内聖 | 21 ワシントン | 22 大山俊輔 | 23 都築龍太 | 24 近藤徹志 | 25 赤星貴文 | 27 横山拓也 | 28 加藤順大 | 29 新井翔太 | 30 岡野雅行 | 31 中村祐也 | 32 小池純輝 | 33 坂本和哉 | 34 エスクデロ | 35 西沢代志也 | 36 堤俊輔 | 37 大谷幸輝
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監督 ギド・ブッフバルト | コーチ ゲルト・エンゲルス | コーチ 池田太 | コーチ 大槻毅 | GKコーチ 土田尚史 | |
クラブ | 編集 |
- Jリーグ年間最優秀選手
- 2006
-
- 先代:
- アラウージョ
- 次代: