河内長野駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河内長野駅(かわちながのえき)は、大阪府河内長野市にある、南海電気鉄道・近畿日本鉄道の駅。
南海高野線の難波からの区間急行および各駅停車の大半は当駅で折り返しとなり、急行は当駅以南各駅に停車する。 特急「こうや」「りんかん」も停車する。全列車停車駅である。
近鉄長野線の終着駅でもある。準急が運行されている。また、深夜には普通も運行されている。
目次 |
[編集] 利用可能な鉄道路線
-
- 近鉄では、行き先表示は長らく「長野」と省略されていたが、6820系のみは「河内長野」と省略せず表示している。また旧国名対応の表示幕車も「河内長野」と表示している。
[編集] 駅構造
橋上駅舎は南海と近鉄で共用しているが、互いの改札は分けられている。番線の数字も両者では連続していない。 橋上駅舎の入口については、西口側は南海、東口側は近鉄のフォーマットが採用されている。
[編集] 南海河内長野駅
島式2面4線のホームを持つ待避可能駅である。 半数の区急と各停が当駅で折り返しとなるが、直接当駅で折り返す始発列車は配線の関係上2番線または4番線で折返しとなる。案内板などの設備は特急停車駅にも関わらず未だに古く、他の主要駅と比べると立ち後れている感が否めない。
難波行き準急(平日朝ラッシュ時のみ)も当駅を始発としている。
- のりば
1 | ■ 林間田園都市・橋本・高野山方面(本線) |
2 | ■ 林間田園都市・橋本・高野山方面(待避線) |
■ 難波方面(一部の当駅始発列車のみ) | |
3 | ■ 堺東・新今宮・難波方面(本線) |
4 | ■ 堺東・新今宮・難波方面(待避線) |
[編集] 近鉄河内長野駅
島式1面2線のホームを持つ駅である。ただし、少なくとも1980年以降、1番線は使用されておらず、実質的には1面1線である。平日朝ラッシュ時には大阪阿部野橋直通の急行が運行されている。以前は、単に「長野駅」とアナウンスされる事もあった。なお、古市寄りには200mほど複線用地が確保されているが、現在のところは複線化予定は無い。
土休日ダイヤでは始発から終電までほぼ15分間隔の整然としたダイヤとなっている。
- のりば
1 | (事実上使用停止) |
2 | ■ 古市・大阪阿部野橋・橿原神宮前・吉野方面 |
[編集] 利用状況
- 南海電気鉄道
- 2004年度の調査結果によると、1日の利用客は32059人。この数字は…
- 南海の全駅(99駅)中、9位。
- 難波~極楽橋間の駅(42駅)の中では、8位。
- 近畿日本鉄道
- 2005年11月8日の調査結果によると、1日の利用客は13140人。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(323駅)中、56位。
- 長野線の駅(8駅、他線接続駅含む)の中では、4位。
- 大阪府内の近鉄の駅(61駅)の中では、25位。
- 大阪エリアへの利便性の差もあり、南海側の方が大きくリードしている状況。
- 河内長野市に隣接する和泉市のうち、善正町(ぜんしょうちょう)や南面利町(なめりちょう)など、地理的に河内長野市に近い一部の地域には、河内長野駅を主に利用している住民がいる。
[編集] 駅周辺
駅西側にはロータリーがあるほか、各種店舗が入居している「ノバティながの」がある。駅東側は住宅街となっている。また、その向こうを流れる石川対岸にある長野公園は、春に桜が満開時になると、山を桜一色に染める名所。
[編集] 公共機関
- 河内長野市役所(駅から約1km)
- ノバティホール(河内長野駅前市民センター)
- 市立文化会館(ラブリーホール)
- 市立市民総合体育館・総合運動場
- 市立武道館
- 市立保健センター
- 市立休日急病診療所
- 市立福祉センター錦渓苑
- キックス(市立図書館・市民交流センター)
- 大阪府警河内長野警察署
- ハローワーク河内長野(公共職業安定所)
- 河内長野市消防本部河内長野消防署
[編集] 商業施設
- ノバティながの
- 西友河内長野店
- イズミヤ河内長野店
- じゃんぼスクエア河内長野
- 西友新河内長野店
- 関西スーパーマーケット河内長野店
- ジャパン河内長野店
- ロイヤルホームセンター河内長野
[編集] 学 校
- 清教学園高等学校・中学校
- 大阪府立長野高等学校
- 河内長野市立長野中学校
- 河内長野市立長野小学校
- 河内長野市立小山田小学校
- 河内長野看護専門学校
[編集] 金融機関
- 日本郵政公社(郵便局)
- 河内長野郵便局(集配局)
- 河内長野本町局
- 河内長野野作局
- 銀行・信組
- 農協(JA)
- 大阪南農協河内長野支店
[編集] 医療機関
[編集] その他
[編集] 歴史
- 1898年(明治31年)3月29日 高野鉄道(現在の南海高野線)の長野駅として開業。
- 1902年(明治35年)12月12日 河南鉄道(現在の近鉄長野線)の長野駅開業。
- 1907年(明治40年)11月15日 高野鉄道の会社合併により、高野登山鉄道と河南鉄道の駅となる。
- 1915年(大正4年)4月30日 高野登山鉄道が社名変更。大阪高野鉄道と河南鉄道の駅となる。
- 1919年(大正8年)3月8日 河南鉄道が社名変更。大阪高野鉄道と大阪鉄道の駅となる。
- 1922年(大正11年)9月6日 大阪高野鉄道の会社合併により、南海鉄道と大阪鉄道の駅となる。
- 1943年(昭和18年)2月1日 大阪鉄道の会社合併により、南海鉄道と関西急行鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 両社の会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 高野線譲渡により南海電気鉄道と近畿日本鉄道の駅となる。
- 1954年(昭和29年)4月1日 河内長野駅に改称。
[編集] 隣の駅
- 南海電気鉄道
- 高野線(りんかんサンライン)