柏競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柏競馬場(かしわけいばじょう)は、千葉県柏市に存在した競馬場である。開設時は千葉県畜産組合連合会主催。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 開設
当初千葉市椿森にあった競馬場が手狭になったため移転することとなり、1928年(昭和3年)5月8日に開設された。
コースは一周1600m・幅員30m。これは当時の地方競馬では最大級である。ちなみに、現在の地方競馬でもこれに匹敵するだけの規模のコースを有する競馬場は無い。参考までに挙げると、現存する地方競馬の競馬場で最大の周回コースである大井競馬場の外回りコース、盛岡競馬場のダートコース、門別競馬場のコースはいずれも一周1600m・幅員25mであり、柏競馬場と比較すれば若干だが狭い。その事からもこの競馬場の大きさは窺い知れよう。
もちろん馬場や場内の各種設備についても当時最新鋭のものが導入され、「日本一の競馬場」「東洋一の近代競馬場」とその威容を謳われ注目を集めた。初開催の3日間で5万人余の入場者を記録している。
なぜこの時代にこれほどの競馬場が千葉県に作られたかについては理由がある。千葉県はこの当時、三里塚(現在の成田国際空港付近)に所在した宮内省下総御料牧場を頂点に戴き、日本の競走馬および軍馬の生産の中心地となっていた(実際、戦前の競走で名を残した名馬には千葉産が多い)。その馬産地としての威信を賭け、またその誇りを示した競馬場といえる。
また、翌年末には広大な場内を利用してゴルフ場も開設され、競馬の開催がないときにも敷地は活用された。
1933年、総武鉄道野田線(現在の東武野田線)の柏~豊四季間に「柏競馬場前駅」が開設され、常磐線柏駅からの徒歩や乗合自動車に限られていたアクセスが改善された。
[編集] 戦中
1940年からは「柏鍛錬競馬」が開催され、軍用馬の鍛錬競技が行われていたが、1942年に情勢の悪化などにより閉鎖。翌年、敷地は場内外のゴルフ場跡地とともに日本光学(現ニコン)の軍需工場となった。
[編集] 戦後・廃止
1949年2月に県営競馬として再開されたものの、立地条件の悪さや競輪人気などにより売上は振るわず、結局翌年2月が最後の開催となり、1952年に廃止となった。 柏競馬場前駅も「北柏駅」(現在の常磐線のものとは別)と改められ2年ほど営業したが、1955年に廃止された。
なお、1949年秋には第6回東京優駿大競走(日本ダービー)の優勝馬である名牝ヒサトモがこの競馬場で出走、2勝したとの記録がある。ちなみに、この時ヒサトモは15歳である。また、その後、この競馬場での調教中に倒れ、非業の死を遂げたともされる(ただし、ヒサトモの死については、次の開催場である浦和競馬場に移動した後の調教で起きたという説もある)。
[編集] 現在
競馬場の機能は船橋競馬場に引き継がれ、1978年からは当競馬場を記念したかしわ記念も開催されている。
競馬場跡地は日本住宅公団(現都市再生機構)により開発され、豊四季台団地となった。
日本の競馬場 | |
---|---|
中央競馬 | 地方競馬 |
北見 | 岩見沢 | 帯広 | 旭川 | 札幌 | 門別 |
|
中央競馬(廃止・休止) | 地方競馬(廃止・休止) |
小樽 | 室蘭 | 函館 | 上山 |