東急バス弦巻営業所
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東急バス弦巻営業所(とうきゅうバスつるまきえいぎょうしょ)は、東京都世田谷区を中心とするエリアを運行する同社路線を担当する営業所である。営業所の略号は「T」。高速道路経由の渋谷空港線を含む全線の運行を東急トランセ弦巻営業所に委託している。
所在地は世田谷区弦巻4-29-23で、世田谷区のほぼ中央にあたる。同区教育センター・中央図書館の目の前であり、営業所内の「弦巻営業所」停留所には、「教育センター・中央図書館前」の副称が付く。営業所前を発着するのは、弦巻線(渋05・渋谷駅~弦巻営業所)、目黒営業所の深沢線(黒07・目黒駅~弦巻営業所)、および学校線(都立01)・小山線(反11)の出入庫系統である。
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[編集] 沿革
弦巻営業所は、瀬田営業所に続く戦後2番目の増設営業所として、1959年3月3日に開設された。これと同時に、1957年に開通していた弦巻循環線(現・弦巻線)の「松ヶ丘小学校前」停留所を「弦巻営業所」に改称している。
もともと、東急は戦前より農大前停留所近傍に世田谷営業所を設け、玉川電気鉄道から引き継いだ世田谷通り・玉川通りを中心とする路線を受け持っていた。しかし、終戦前後に同所が廃止されたため、所管路線は淡島営業所をはじめとする周辺営業所に移されていた。その後、世田谷区の市街化が進むにつれて区内を通る路線の新設が相次いだこと、世田谷通りにおける小田急バスとの相互乗り入れ路線の運行が本格化したことなどを受け、区内の新たな拠点として弦巻営業所の開設に至ったものである。
開設にあたり、淡島営業所から小田急バスとの共同運行路線である成城線・国領線(のちの調布線。廃線)を、瀬田営業所から戦後新設された学校線・弦巻循環線を、不動前営業所から都営との共同による都心直通路線の駒沢線(桜新町~三谷~恵比寿駅~東京駅。廃線)を移管され、営業を開始した。その後、上町線や千歳線などを新たに開通し、近隣営業所との路線調整を図りながら世田谷区内を中心に路線拡充を進めた。
1970年代から80年代にかけては、調布線の廃止、上町線の分割など長距離路線の整理縮小を進める一方、1984年3月16日に廃止となった駒沢営業所よりコーチ自由が丘線・祖師谷線の移管を受けた。その後、1999年から2002年にかけて、東急トランセへの委託路線化や大橋営業所の廃止に伴う路線調整が行われた。当営業所における東急トランセへの運営委託の開始は2000年3月1日で、最初の路線は祖師谷線である。その後、同月16日に弦巻線、同年5月1日に千歳線(現・松陰線)、6月16日に学校線、8月1日に上町線、11月16日に成城線の委託を開始、さらに2002年3月16日に松陰線(渋21)、5月16日に小山線・渋谷空港線が他営業所からの移管と同時に委託路線化されている。
[編集] 現行路線
[編集] 弦巻線
弦巻線は、渋谷駅から玉川通りと世田谷通りの中間に位置する弦巻地区へ向かう路線である。東急玉川線の代替バスであった渋01~04系統が廃止されたため、現在では「渋」を冠した系統の中で最も若い番号となっている。
かつては弦巻循環線と呼ばれ、渋谷駅~弦巻営業所間で両回りの循環運転をしていた。開通日は1957年8月1日である。当初のルートは、渋谷駅~新町~松ヶ丘小学校(現・弦巻営業所)~弦巻一丁目~駒留~渋谷駅で、ルートの南側は新町以東で玉川通りの旧道を走っていたが、1960年から上馬・駒留・弦巻通り経由となり、さらにその後時期不明だが西太子堂・世田谷消防署経由となった。
その後、1984年3月15日に循環線は渋05:渋谷駅~上馬~向天神橋~弦巻営業所(弦巻線)、渋06:渋谷駅~西太子堂~弦巻一丁目~弦巻営業所(駒留線)に分割された。しかし、程なくして1987年9月1日に両線が統合され、渋05:渋谷駅~西太子堂~向天神橋~弦巻営業所という路線となった。これにより、弦巻一丁目側の道路には路線がなくなったが、今も運行当時の停留所(バスベイ)跡が残っている。また、1990年代に入り、駒留~三軒茶屋間の上りルートが若林一丁目経由に変更されている。これは、駒留~世田谷消防署間の駒留通りの渋滞により定時運行が困難になったことが理由である。
開通当初は、弦巻営業所がなかったので瀬田所管だったが、営業所の開設後は現在に至るまで一貫して当営業所が担当している。
[編集] 松陰線
松陰線は、渋谷駅から三軒茶屋を経由して世田谷通り方面に向かう路線のうち、東急が単独で運行する上記2系統からなる路線である。渋21では深夜バスの運行も行っている(1988年2月19日開始)。渋21は渋23の折り返し便に位置づけることができるが、両者は路線の成り立ちが大きく異なる。
渋21は、もともと東急玉川線の代替路線として、渋谷と西太子堂~上町間各駅の直通利用者に配慮して設定されたもので、1969年5月11日の開通以来、玉川線車庫跡地にできた大橋営業所が担当してきた。一方、渋23はこれより前の1963年11月1日に、渋谷駅から千歳船橋に向かう路線として千歳線の線名で開通していた路線で(その後まもなく祖師谷大蔵まで延長)、当初より弦巻営業所の担当であった。このため、両者は渋谷駅の乗り場が異なり、ダイヤも別々に組まれていた。しかし、2002年3月限りで大橋営業所が廃止されることとなったため、渋21は同月16日より弦巻営業所に移管されることとなり、同時に東急トランセへの運営委託路線になった。この際、両系統の乗り場やダイヤが共通化され、線名としては渋21で使われていた松陰線に統一されることとなった。
渋21は、1994年から車椅子用リフト付き車両が運用についているが、上記改正後は渋23に入ることもある。渋23の祖師ヶ谷大蔵駅付近はかつて道路が狭く、同駅前にバスターミナルが完成するまでは、ひとつ手前の祖師谷大蔵(現祖師谷折返所)で発着していた。同駅まで延長されたのは、1993年5月16日のことである。
なお、1989年まで渋谷駅~上町~経堂駅間を結ぶ渋22系統が存在していた。経堂駅周辺の道路が狭隘かつ歩行者の通行が多いため、安全面を考慮して廃止された。この線が大橋営業所担当であった時代には、渋21も経堂線の名称で共通運用が組まれていたことがある。
[編集] 成城線
成城線は、渋谷駅と成城学園前駅を結ぶ路線であり、三軒茶屋を経由して世田谷通り方面に向かう本線格の路線である。現在のように小田急バスとの共同運行で両駅間を結ぶようになったのは1951年8月28日のことであるが、東急単独ではこれ以前に、1944年以来休止していた渋谷駅~東宝前間を復旧させ、「東宝線」として運行していた。このころ、小田急バスは事業を開始したばかりで、三鷹周辺など市部を中心に運行していたが、23区内に営業基盤を設けるべく東急と協議を行い、相互乗り入れを行うことになった。小田急バスは現在、狛江営業所が担当している。小田急バス成城線も参照。
なお、小田急バスは当初上町~渋谷間無停車の急行という条件付きの運行を行っていたが、1951年12月より若林駅前(現・若林三丁目)と西太子堂への停車が認められ、やがて各停運転に切り替わっていった。
成城線は現在、東急バスで唯一道玄坂を経由し、渋谷駅付近の往復経路が異なっている。道玄坂で歩行者天国が実施される日には、往復とも国道246号経由となる措置がとられるが、1994年以前は東急百貨店2階のターンテーブル乗り場を発着していた。
成城線は、1999年10月16日からわずか1年余りの間、大橋営業所が担当していた。弦巻営業所の担当に戻ったのは2000年11月16日で、これと同時に東急トランセへの委託路線となった。
成城学園前駅での発着は南口で行われていたが、同駅の地下化による駅前整備で新たに西口バスターミナルが設けられたことから、2006年7月22日より、降車場所が西口に変更された。なお、渋谷方面行きの乗り場は従来どおり南口のままである。
[編集] 学校線
- 都立01:都立大学駅北口~日本体育大学前~桜新町駅~岡本三丁目~成育医療センター前~成城学園前駅
- 都立01:都立大学駅北口~日本体育大学前~桜新町駅~弦巻営業所
- 都立01:弦巻営業所~桜新町駅~岡本三丁目~成育医療センター前~成城学園前駅
学校線・都立01は、東横線都立大学駅から世田谷区内を縦断し、日本体育大学前、桜新町駅、砧公園緑地入口を経由して成城学園前駅を結ぶ路線である。世田谷区深沢・岡本地区の道路が狭く、中型車が運用に入ることもある。
この線は、1956年9月20日に恵比寿駅~目黒駅~都立大学駅~桜新町の間で開通し、学校名を付した停留所が多かったことから、学校線と命名された。その後まもなく東横百貨店(渋谷駅東口)へ延長され、さらに東横百貨店~砧公園緑地便の開通、成城学園前駅への延長と拡張を続けた。
しかし、渋谷から目黒通りを経由する大幅な迂回ルートで成城に至るという長距離路線であったことから、全線通し需要は少なく、1970年9月1日に成城学園前駅発着便は目黒駅起点に短縮された(のちに系統番号は黒05となる)。さらに1994年に都立大学駅北口起点に短縮され、現行の都立01となった。
なお、1970年の改正では東急百貨店~桜新町便は存続したが、その後幾度かの経路変更を経て1999年9月1日に目黒営業所へ移管、深沢線として独立している。これについては、東急バス目黒営業所の記事を参照のこと。
[編集] 祖師谷線
- 等11:等々力操車所~深沢不動前~駒沢~向天神橋~上町~農大前~千歳船橋~祖師ヶ谷折返所
深沢不動前~世田谷駅前間は駒沢公園通り、世田谷駅前~農大前間は世田谷通り、農大前~千歳船橋間は千歳通り、千歳船橋~祖師ヶ谷折返所間は城山通りを走る。道路の幅が狭いわけではないが中型車が運用されている。(まれに大型車も運用されることもある)
等11は1970年代の開通で、当初は大橋営業所が担当し、その後駒沢営業所に移ったが、同営業所の廃止で弦巻に移管され、現在は東急トランセ管理委託路線である。また、祖師ヶ谷折返所は、祖師ヶ谷大蔵駅にバスターミナルができるまでは渋23、恵32(直後に分断され現在は用01)が発着していたが、バスターミナルが出来てから折返所は等11の発着のみになった。
以前は、日曜・祝日に弦巻一丁目~世田谷区役所入口(現:世田谷駅前)間で歩行者天国が行われていたため、向天神橋~世田谷区役所入口間は迂回運行していたが、歩行者天国廃止に伴い迂回運行は終了した。しかし、世田谷ボロ市開催時(12月15・16 1月15・16)には上記区間が通行止めとなるため、年に最低4日は上記の迂回ルートを運行する。
2006年11月19日(日)に行われた「世田谷246ハーフマラソン」で、9時より10時の間等11系統は246車線規制を回避するため迂回を行った。
[編集] 小山線
- 反11:五反田駅~武蔵小山~目黒郵便局~学芸大学駅~野沢龍雲寺~上馬~駒留~世田谷区民会館(世田谷区役所)
- 反11:五反田駅~武蔵小山~目黒郵便局~学芸大学駅~野沢龍雲寺~上馬~駒留~向天神橋~弦巻営業所
反11系統は、五反田駅から武蔵小山、学芸大学駅、上馬を経て世田谷区民会館へ向かう路線である。もともと1950年代に五反田駅~武蔵小山の路線として開設され、その後道路の整備に伴い1960年代末に世田谷区民会館へ延伸された。渋滞が発生しやすいことや学芸大学駅前の狭路など、運行条件が良好でない部分もあるが、路線の南半分の独自の運行区間である。
かつては目黒営業所が担当し、古参車が中心の運用であったが、廃車になった109車がまれに運用に入っていたり、ハイブリット車が運用についたりなど、数多くの車両が運用に入っていた。2002年5月16日で弦巻営業所に移管、同時に東急トランセ管理委託路線になった。弦巻移管後は中型車中心の運用になった。98年からはバスロケーションシステムも始まり、弦巻移管後も続いている。
[編集] 上町線
上町線は、東京都大田区の田園調布駅から世田谷区の九品仏駅、等々力七丁目、用賀駅、農大前を経由し世田谷区民会館(世田谷区役所)を結ぶ路線である。1959年9月1日に田園調布駅~世田谷区民会館が開通し、最盛期には渋谷駅に至っていた。
この路線は、鉄道での移動が困難な地区を効率よく結んでいるので、区間ごとの利用客が多い。日中は1時間に2~3本で運行されている。区民会館からは上町(桜小学校)行きの入庫便が反11とともに多く設定されている。1994年1月17日から用賀駅バスターミナルに乗り入れを開始し、現在は東急トランセ委託路線である。
[編集] 渋谷空港線
- 渋谷駅~羽田空港
渋谷空港線は、東京都渋谷区の渋谷駅・渋谷マークシティ5階乗場からセルリアンタワー、渋谷駅(モヤイ像前)、首都高速道路を経由して東京都大田区の羽田空港へ向かう路線である。京浜急行バス、東京空港交通と共同運行している。2000年7月に開業した当時は大橋営業所の担当であったが、営業所廃止に伴う路線移管で2002年5月16日に弦巻営業所に移管され、同時に東急トランセ管理委託路線になった。渋谷空港線は高速道路の渋滞が激しくなると一般道を経由することがある。
[編集] 廃止路線
[編集] 調布線
- 渋25:渋谷駅~大橋~三軒茶屋~上町~農大前~大蔵病院前(現・成育医療センター前)~狛江駅
- 渋26:渋谷駅~大橋~三軒茶屋~上町~農大前~大蔵病院前(現・成育医療センター前)~調布駅南口(当時は小田急バスと共管)
- 1978年:小田急バスに全面移管し、小田急バスの単独路線となる。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 東急バス | 関東地方のバス営業所