日顕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日顕(にっけん、1922年12月19日 - )は、日蓮正宗総本山大石寺第67世の法主。立正大学日蓮学科卒。阿部姓。越洋阿闍梨。1979年 登座。2005年12月4日、大石寺で行われた広布唱題会の席で「今年中に法主を退座する」と表明。法主の隠居は1956年の64世日昇以来である。
目次 |
略歴
- 1922年(大正11年)12月19日、東京市本所区(現在の東京都墨田区)常泉寺で総本山第60世日開の子息・信夫(しのぶ)として誕生。母親は日蓮正宗最後の尼僧の妙修である。
- 1928年(昭和3年)8月28日、池袋常在寺住職桜井仁道を師範として出家得度し信雄(しんのう)と名乗る。同年6月には父親の日開が登座している。
- 1943年(昭和18年)11月21日、父親である総本山第60世日開が遷化(死去)。
- 1943年(昭和18年)、立正大学日蓮学科を卒業。
- 1944年(昭和19年)、長男・阿部信彰(宗務院庶務部長、東京・妙国寺住職)が誕生。
- 1943年-1945年、学徒出陣。海軍中尉として復員。
- 1952年(昭和27年)、初めて他家から弟子をとり、この時弟子となったのが八木日照(道号は信瑩、現・総監)である。
- 1947年(昭和22年)、本行寺(東京都墨田区)の住職となり、1963年に平安寺(京都市右京区)設立に伴い初代住職として赴任、その後、常泉寺(東京都墨田区)の住職を歴任。
- その間、1961年に宗務院教学部長、1979年春に総監になる。
- 1974年(昭和49年)1月18日、母親・妙修が死去。
- 1978年(昭和53年)4月15日、66世日達より血脈相承の内証を受けたとされる。
- 1979年(昭和54年)7月22日、日達の急な遷化(死去)に伴い、あらかじめ与えられていた「日慈」の日号を明かして登座、しかし先輩格の重役・早瀬日慈(68世・日如の父、元総監)との関係を考慮してかこれを日顕と改め、日蓮正宗法主兼管長・大石寺代表役員(住職)に就任。
- 1981年(昭和56年)10月、宗祖日蓮大聖人700回遠忌法要を執行。大石寺塔中蓮蔵坊を再建新築。
- 1982年(昭和57年)12月19日 還暦を迎える。
- 1984年(昭和59年)、大石寺塔中寂日坊再建新築。
- 1986年(昭和61年)7月、大石寺塔中了性坊再建新築。
- 1988年(昭和63年)10月、大石寺六壷再建新築。同月、大石寺塔中総一坊創設。
- 1989年(平成1年)4月、大石寺塔中報恩坊(1873年に廃寺)を再興。
- 1990年(平成2年)4月、大石寺塔中総二坊創設。同年10月、大石寺開創700年記念法要を執行。
- 1992年(平成4年)12月19日 古稀を迎える。
- 1994年(平成6年)7月、大石寺塔中広布坊創設、地涌六万大総会を開催。
- 1998年(平成10年)3月、大石寺客殿を再建新築。
- 1999年(平成11年)12月19日 喜寿を迎える。
- 2002年(平成14年)4月~10月、宗旨建立750年記念法要を執行。
- 2002年(平成14年)10月、大石寺に奉安堂を建立。
- 2002年(平成14年)12月19日 傘寿を迎える。80歳超の現役法主は史上初。
- 2005年(平成17年)12月4日 正式に退座を発表。1日に総監の早瀬日如を学頭に任命。
- 2005年(平成17年)12月12日 早瀬日如に法を付す。
- 2005年(平成17年)12月15日 法主を退座、隠尊の身となる。翌日に座替り式
正信会破門
- 1980年(昭和55年)7月4日、正宗の半数に近い僧侶が集まって創価学会を批判するため正信会を発足させた。当時、宗門は創価学会の謝罪を受け擁護する立場にあったため、正信会に対し創価学会を批判することを禁止した。8月24日、正信会は宗門側の禁止勧告を無視して第5回全国檀徒大会を実行し創価学会の池田大作を批判する。9月24日、正信会僧侶201名が宗門より降格などの処分を下される。10月3日、正信会僧侶5名が擯斥処分(破門)となる。正信会は宗門に対し抗議を繰り返し、創価学会に対する批判を止めなかった。さらに日顕に対しては管長の資格が無いとして地位不存在確認の裁判を起こした。これ以降、翌年にかけて正信会僧侶百数十名が擯斥処分となった。
創価学会破門
- 1990年(平成2年)11月16日、創価学会名誉会長、池田大作が、学会の会合において、宗門ならびに日顕の批判を行う。宗門は、この件について「お尋ね」を出し真意を確かめようとした。池田らは当初、批判をしていないと主張しながらもやがて徐々に批判を繰り返すようになる。宗門は宗規を改定して、法華講総講頭の池田大作をはじめ法華講首脳全員を1990年末に罷免した。その後、創価学会は態度を改めず、聖教新聞や、特に創価新報という内部向けの機関紙でむしろ宗門攻撃を募らせた。これをひとつの理由に宗務院は1991年(平成3年)11月28日、創価学会という組織と縁を切り、破門処分とした。
シアトル事件・クロウ事件
- 創価学会ではシアトル事件、日蓮正宗ではクロウ事件と呼ばれている。1992年(平成4年)6月17日以降、『日顕が1963年に法務でシアトルに出張した際に、現地の売春婦と料金トラブルを起こして警察に通報され拘束を受けたとし、現地在住の学会員、ヒロエ・クロウ氏が保釈手続きを行った』などと創価新報・聖教新聞や正信会・顕正会の機関紙が断定的に報道した事件。日蓮正宗側では、そのような事実はまったく存在しないと否定している。
- この裁判は、当時、現場にいたとされる警察官が、創価学会側の証人として出廷したにもかかわらず、創価学会側の主張を覆すような証言をしたり、事実上創価学会側の報道の唯一の根拠となっていたヒロエ・クロウ氏が明らかに矛盾する主張をする中で不審な死亡をするなど奇異な展開をするが、最終的に裁判所の調停で和解となっている。和解内容により創価学会と日蓮正宗とは、この事件を題材にお互いの攻撃を取り止めることになり、和解以降それぞれが事件に関する書籍や記事などの出版を控えることになっている。その中で、創価学会は「シアトル事件・クロウ事件」を材料に日顕および日蓮正宗を攻撃することを禁じられているのに対し、日顕および日蓮正宗は事件が虚偽捏造であることを主張し続けることを認められていることが特徴である。
- 創価学会は、FBIのコンピューターにシアトル事件・クロウ事件についてデータが残っていたという報道をしたが、FBIによって完全に否定され根拠がないことが判明。そこで、日蓮正宗側が「創価学会はFBIのコンピューターをハッキングしたからそういうことを言えるはずだ」と批判したのだが、これに対して創価学会側は「コンピュータをハッキングしたという報道は事実無根」として日蓮正宗を提訴し、日蓮正宗側は賠償金を支払っている。日蓮正宗の報道が表現的に行きすぎたものだというのが裁判所の評価だとしても、もともと創価学会が事実無根の報道を行ったことに端を発していることは客観的事実だと言える。それへの反論の細かい表現に対して揚げ足取り的な訴訟をするというやり方は会員向けのプロパガンダを目的とするものであり、社会正義に反するという見方もある。
- 日蓮正宗に反対する側は「シアトル事件は最高裁で断罪された」等と宣伝することによって、あたかも「クロウ事件」が断罪されたかのような印象を与えているが、それは錯覚を利用したマインドコントロールである。実際は「FBIハッキング報道」に対して名誉毀損になったのであり「シアトル事件」が断罪された訳ではない。
前上人: 日達上人 |
大石寺住職一覧 | 次上人: 日如上人 |
- 破門十年(諸君H13 8月号)
- 各種活字化された言葉(妙音)
- 日顕上人語録
- 創価学会最高裁39訴訟に全敗(負け続き創価学会)