日産・エクサ
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EXA (エクサ) は、日産自動車で販売されていた小型乗用車である。
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[編集] 歴史
[編集] 初代 N12型(1982-1986年)
1982年4月 N12型パルサーEXA登場。
チェリークーペ(1971年:E10型、1975年9月:F10型)をルーツとする、N10型パルサークーペの後継車種として、「EXA」シリーズが設定される。リトラクタブルヘッドランプを採用した直線的なスタイルは、どことなく1970年代の「フィアット・X1/9」やこのモデルと同年代の「ポンティアック・フィエロ」に似たイメージがあった。しかし駆動方式は前者2台(ミドシップ)とは異なり、ベースのパルサーと同様、FF方式だった。エンジンは全て「E15」型を搭載、廉価版気化器仕様/燃料噴射仕様(EXA-E)、後にはターボ仕様も追加された。その他、サスペンション等はパルサーと基本的に共通だった。さらに後には100台限定でコンバーチブルが設定された。
このモデルを使用して、当時盛んだったワンメイクレースも開催されていた。余談ではあるが近藤真彦もフレッシュマンレースにおいてエクサのステアリングを握っている。
[編集] 2代目 N13型(1986-1990年)
1986年5月 N13(KEN13)型EXA登場。
パルサーのバリエーションから、新車種として独立。搭載エンジンはCA16DE型直列4気筒DOHC1598ccを搭載。
日産自動車の北米現地法人のデザイン(NDI)を採用し、先代同様のリトラクタブルヘッドランプと、フェアレディZに設定されていたTバールーフを標準設定。ダッシュボード中央部に油圧計・電圧計を配置、運転席周りもサテライトスイッチを採用し、レバー式のライトスイッチ等斬新なデザインが見られた。ボディ形状はノッチバッククーペと、ステーションワゴン形状のキャノピーの2仕様。クーペはリアウィンドゥごと開く脱着式リアハッチを持ち、キャノピーとのコンバートを可能とした。しかし、日本では法令上コンバートは認められなかったもののリアハッチを取り外した状態での走行は可能であった。Tバールーフの脱着とリアハッチの脱着を組み合わせる事により、様々なオープンエア(開放感)を楽しめる構造になり、さらにはリアシートを倒す事でフラットな荷台が出現し、疑似ピックアップトラック的な形態をも楽しむ事が出来た。降雨等の緊急対策に応急用キャンバスハッチ(簡易カバー)も発売されていた。北米では「modular Nissan Pulsar NX」として販売。
この車は、“日本で初めて”が3つある。
- ハイマウントストップランプ設置(クーペ:標準装備、キャノピー:オプション)
- Tバールーフ標準装備
- キーレスエントリー(これは、キーレスの走りとも言えるが、マスターキーの握る位置の両側に磁石が仕込んであり、ドアの取っ手の窪み部分に近づけるとロックする。(グレードによる装備))
キャッチコピーは「AIRY」(空気と共に)。TVCMは(恐らく日産の)テストコースのカーブを走行する同車がスローで映し出されるもの。宇宙飛行士の交信の音声の後に「この車を製作したのは、川村紘一郎(かわむらこういちろう)である」「EXA.それは空気と共に走る車」というナレーションが続く。(川村紘一郎は歴代ブルーバードやS13型シルビアの開発主管)BGMは中国楽器の二胡の様な楽器の音色で空間を感じさせる曲想であった。同車発売当初の一時期のみの放映であった。
姉妹車のパルサー、ラングレー、リベルタビラと共に日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。後継モデルは日産・NXクーペ。
その近未来的な日本車離れしたスタイリングは当時の日本ではあまり受け入れられず、一部の愛好家にのみ乗用された。 月日が過ぎると共に、街中において走行中のEXAを見ることは稀である。 1990年代に一部の愛好者はこの車をローライダー好みのカスタムを施した。現在のスポーツコンパクトカスタムの始まりとして現在EXAは始祖的な扱いを受けている。
受賞した主な賞
- 1987年米国工業デザイナー協会主催米国工業デザイン優秀賞
- 1987年カナダモータージャーナリスト協会主催カナダ・カー・オブ・ザ・イヤー
- 1986-1987日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会主催日本カー・オブ・ザ・イヤー
- 1987年通商産業省選定グッドデザイン賞輸送機器部門大賞